第17話 エンリギーニの誤算①

 ──おかしい。こんなはずではなかったのに。


 紅姫エンリギーニは首をひねりながら、勇者イブキの拠点を探索していた。

 この拠点は城や館というより狩小屋と言っていい広さと簡素さで、小さな庭から巨大な塔がいくつも見えたことを考えれば、こちらの世界の基準で考えても粗末なのではないだろうか。

 エンリギーニが日頃暮らす王城の、広大かつ荘厳華麗な姿を知っていれば、比べることすらおこがましいだろう。実際に行ったことはないが、今も魔族領の中にある魔王バラベスの城は、さらに絢爛豪華であったと聞く。つまり結論としてはしょぼい。憎い勇者を笑う材料を手に入れたというのに、あまりエンリギーニの気分は晴れなかった。


(……ヒバリ?)


 きしきしと鳴る廊下を歩いていくと、突き当たりの台所にアースサイド人の娘がいた。勇者がこちらの世界で娶った嫁だという話だ。火の元に立って、鍋で何かを揚げているようである。

 背後から近づいたら、こちらに気づいて振り返った。


「あれ。どうしたのエンリちゃん、一人で」

「どいつもこいつも、タコヤキを焼くのに真剣すぎてつまらぬ」

「あはは。やり始めるとはまるよね」


 応接間はこの嫁から焼き方の手順を伝授された男たちが、せっせと鉄板のくぼみに生地を流し込んでたこ焼きを量産している。守り役のガガボまで、『MKL』のエージェントに交じってたこ焼きをクルクルさせ、VIPの警備体制などについて話しているのだから世も末だった。


「あやつら、途中で焼く蒸しだこがなくなっても、かわりに豚の腸詰めやチーズを入れだしたんだぞ」

「ビールに合うよね、むしろ」


 もはや鉄板の魔力に取り憑かれた大人たちを、止めることはできないようだ。

 エンリギーニは台所内の椅子に腰掛け、テーブルに両手をついた。


「ヒバリは何をしているのだ?」

「私? 小麦粉と卵が余ったから、お砂糖とベーキングパウダー足して、ドーナツ揚げてるとこ」

「どーなつ……」

「この後おやつに食べてもいいし、エンリちゃんたちのお土産にしてもらってもいいよね」


 ヒバリの手元には、すでに揚がったらしい『ドーナツ』があった。丸い形で、中央に穴が空いた揚げ菓子のようだ。


「はいこれ、崩れて失敗したの。あげる」

「む」


 恐れ多くも紅姫に向かって失敗作を献上するとは何事だと思うが、気軽に口に入れられたドーナツは、熱々の上にあちこちカリカリして美味だった。


「…………悪くはない」

「でしょ? はっきり言って、ドーナツ本体より好きだったりするのよねー」


 これだ。このノリがいけないのだ。

 こちらにつけいる隙を与えず、おいしいものを矢継ぎ早に繰り出してきて、なんとなく有耶無耶にしてしまう空気感。わかっていての言動なら、とんでもない悪妻である。


「ヒバリよ。この手拭きの箱にべたべた貼り付けてある、ピンクの数字はなんだ?」

「パン祭のシールだね。そろそろ交換行かないとな」

「メモ帳に変な絵が描いてあるぞ」

「ごめん、電話しながら落書きするの癖で」

「書いたら剥がせ。次の者が使えぬではないか」

「面目ないです」

「なんだこの趣味の悪い人形は」


 もはや目につくもの全てに、ケチをつけずにはいられない状態だった。

 エンリギーニが見つけたのは、テーブルの端に置いてあった鍵で、キーホルダーの部分にしおれたぬいぐるみ風の飾りがついていた。


「あー、それ。『うららかウサギ』だね」

「兎なのか? 耳がないぞ」

「取れちゃったんだよね。でもなんか捨てられなくて」

「貧乏くさいな」

「しょうがないよ、伊吹が最初にくれたものだから」


 勇者イブキは、歴代の召喚者の中でも最強と誉れ高いのに、女性への贈り物のセンスは、まるでなっていないようだ。


「こんな貧相な安物を、勇者が?」

「言わないでー、エンリちゃん。確かにむちゃくちゃしょぼいのよ。伊吹が東京帰る時に、時間なくて駅の売店で買ったやつ。一応京都限定バージョンらしいけど、京都在住の人間にくれてもねえって微妙さなの」

「怒るべきでは?」

「それでも記念だからさー」


 けれど残念さを語るひばりの表情は、愚痴のはずなのにひどく明るかった。むしろ、勇者自身への深い愛情が透けて見えるぐらいだった。


(前以外向いたことがないという感じだな、こやつは。後ろに何があるのかも知らぬのではないか?)


 こうなると意地である。何がなんでも曇らせてみたくなってきた。わざと目を伏せ、ため息をついた。


「ヒバリは贅沢者だな。私には恋人どころか、親の一人もおらぬのに」


 ことさら声を落として呟いたら、はじめてひばりが、心の痛いところをつかれたように口ごもった。


「……エンリちゃん……」

「生まれた時から敵地に暮らし、同族も近くにいない暮らしが想像できるか? どれだけ心許ないか」

「ごめんなさい。そうだよね。私、すごく無神経だったね」

「何に謝る? そうやって上からわかったふりをされるのが、一番腹がたつ」

「ふりなんて。そりゃあ、全部体験してるかって言われたら無理だけど……お父さんもお母さんもいなくて、施設で暮らしたりする気持ちは、ちょっとだけわかるから」


 ──ずるいだろう、こんなのと思った。


 どうにかして、この脳天気で楽天的な娘を傷つけてやりたかったのに、実際顔が曇ると罪悪感がひどい。私は親がいないなんて知らなかったのだと、言い訳がしたくなる。でもいったい誰に?


「……ヒバリも、一人だったのか」

「うちの両親、駆け落ちで結婚したから、亡くなった時に行き場がなかったんだよね。施設にいたのはちょっとだけだけど、おじいちゃんが気づいて迎えにきてくれるまでは、やっぱりきつかったよ。怖くて不安だった」


 動揺するな。後悔するな。つまらない奴らと嗤ってやるために来たのだろうに。

 エンリギーニは唇を噛み、ひばりが大切にしているキーホルダーを、素早く手の中につかみ入れた。


「私、確かに恵まれてるよ。不自由なく育ててもらって、その時々で友達もいて、伊吹にも会えた。不満なんて言っちゃいけないね……って、エンリちゃん?」

「──ヒバリ、これを見ろ」


 言って椅子から飛び降りた。

 直前まで『ドーナツ』を揚げていた鍋の前に立ち、ひばりの前で、これみよがしにキーホルダーを投げ込んでやった。

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