第14話 魔王の娘を迎える

「『MKL』より回答がありました。殿下のアースサイド訪問は、予定通り明日正午のご出立となります」


 その組織の名を聞く時、エンリギーニは言いようもない不快感と苛立ちを覚える。釘で金属を引っかく音を聞くような、本能的な不快感と言ってもいい。


(『MKL』め)


 ランズエンド多国籍騎士団なる、人類種族の混合部隊のことだ。時に一丸となって魔族に立ち向かい、またある時は国家間の調停に奔走する、界をまたいだ国際機関。実にしゃらくさい集団ではないか。

 偉そうな理念を謳ったところで、今回も彼らはエンリギーニの言い分を呑んだ。魔族領に使いを走らせ、少し『青の血族』の影響を匂わせただけでいちころだった。

 エンリギーニは彼らのことが、何よりも嫌いだ。当然だろう。偉大なる『我が産み主様』を倒して封印してしまった、あの勇者イブキが今もなおのさばっているのだから!


「……いよいよだな! 奴のあばら屋に乗り込んで、醜い嫁ともども笑ってやるとしよう!」


 気鬱な日常に色を添える、愉快な娯楽の始まり。紅姫エンリギーニのための温室では、姫の高く澄んだ笑い声が響き渡ったのだった。


   ***


 ひばりが台所の作業台で青葱を刻んでいると、横のガスコンロで笛吹きケトルが、ピーピーと鳴きだした。


「伊吹ー。ちょっとこの火、止めてくれる? 私今、手が離せなくて」


 実際にガスの火を止めてくれたのは、伊吹ではなくエルフのアロイスだった。


「わ。ごめんなさい、わざわざ」

「いえいえ、これぐらい僕らにやらせてください。奥様はとんだとばっちりなんですから」


 アロイスは金髪をかきあげ、優雅に微笑む。

 今日はいよいよ魔王の娘を迎える日で、家の中は彼のような『MKL』の職員が、朝から行き来していた。


「伊吹は今どこですか?」

「あいつですか? 庭で草抜きしてますね」


 ひばりは沸いたお湯をポットに移すと、伊吹の様子を見に台所を出た。

 アロイスが言っていた通り、旦那は庭にいた。

 ドワーフのギリムや騎士のヒースも一緒のようだ。半分草に埋もれていたはずの古井戸が、ここに来て初めて明るい日に当たっていた。


「すみません、助かります!」

「問題ない。これもまた我々の義務です」


 縁側のひばりに、アースサイドの黒いTシャツとデニム姿のヒースが答えた。

 実際、庭の草取りなどの手入れを怠っていたのは確かで、住んでいる人間としては少々恥ずかしいものがあるのだ。本当は連休中に伊吹を巻き込んで、大掃除をするつもりだったのである。帰ってこなかったわけだが。


「ひばり、料理の方は大丈夫そう?」

「うん、もうほとんど準備は終わってる。ずいぶんさっぱりしたね」

「ここだけは、どうにかしなきゃいけなかったから」


 雑草のついた軍手を外しながら、伊吹が言った。


「そういえば魔王の娘さんって、どうやって家に来るの? アロイスさんたちみたいに、東銀座から車?」

「いや、違うよ。今回はメリアカンの王城とうちの家を、直接繋げてもらうんだ」


 どういうこっちゃ、という気分だった。


「ギリムさん、そろそろお願いできますか」

「……やっとこさ出番かね」


 池の縁石に一人、腰を下ろして休んでいたギリムが、長いひげを撫でながら立ち上がった。

 彼は草を刈った古井戸に近づくと、井戸の周りを囲う紙垂を無造作に取り除き、空の徳利を伊吹に投げ渡した。そしてアロハシャツの下の、腰のベルトに付けた工具差しから、使い込まれたハンマーを取りだした。

 ひばりはサンダルを履いて庭に降り、伊吹のもとに駆け寄った。


「今は何をやってるの?」

「そこの井戸がね、時空の歪みに繋がってて、今からランズエンド側と連結させるんだ」

「……え。こ、これが? 本当?」

「うん。休眠中のものも加えれば、国内に似たようなことができるポイントはいくつかあるんだよ。俺が前いた京都支部も、ランズエンドの特定の場所と繋がる物件だったんだよね。もう閉じたけど」


 本部の『大迷宮』内に常設してある『額縁』と違い、この手の天然の転移ゲートは不安定で、管理も行き届かないぶん、ふだんはあまり使われないらしい。

 しかし知らなかった。実家の近所に、異世界に繋がる場所があったとは。

 ギリムはハンマーの釘抜きで、井戸の戸板を外しはじめた。


「伊吹。確かこの家って、『MKL』で所有してる不動産だって言ってたよね……まさかこの井戸があったから?」

「たぶんそうだろうね。できるだけ見つけて入れないようにするのも、うちの業務なんだよ。うっかり落ちて異世界の事故とか怖いし」


 怖いどころの話ではないだろう。戻れなければ、神隠しのできあがりだ。

 ひばりたちが立ち話をしている中、ギリムは黙々と井戸の戸板を外し、内側をハンマーで叩いては打音に耳をそばだてている。


「ま、こんなものだろう。一応は繋がったぞ」


 そう言って腰の工具差しに、愛用のハンマーを戻した。

 井戸の奥から、青く淡い光が漏れ出ているのがわかる。

 その光の色が、青から黄みがかったものに変わった。


「ほ──せっかちなことで。向こうさん、もう来る気でいらっしゃる。私は先に車に戻らせてもらうぞ」


 ギリムは雪駄をぺたぺた言わせて、庭を出ていった。

 思わずその背中を見送ってしまってから、伊吹に聞いた。


「来るって?」

「ちょっと予定より早めに、エンリギーニたちがこっちに来るみたいだ」

「え、やだ嘘。どうしよう」


 最後にもう一度、家の中を確認しようと思っていたのに。

 慌てて髪を解いてなでつけ、つけっぱなしだったエプロンを外したところで、光る井戸の中から、何かが音もなく出てきた。


(うっ)


 人というより、人型の岩ではないだろうか。

 全体にごつごつと硬化した肌の持ち主で、赤黒い顔は角張り、目に虹彩はなく、大きな口は引き結んでいても牙が目立った。縮れた髪の間に生えた、水牛のような角も物々しい。毛皮の服の上に重たい鎖帷子を着込んで、腰の長剣で武装している。

 まるで鬼かなまはげだ。

 今まで出会った『MKL』の職員は、人間と違っていてもここまで恐ろしい外見ではなかったので、ひばりは露骨にひるんでしまった。

 落ち着きなさい、三輪ひばり。自分自身に言い聞かせる。相手は住んでいる世界自体が違うのだ。地球の常識が通用すると思ってはいけない。

 こうなると事前の準備が全て外れてくる可能性があるが、今さらじたばたしても仕方なかった。

 客人が、井戸から敷地の地面に降り立った。そこからこちらをじろりと一瞥してくるので、ひばりは歓迎の意をこめて挨拶した。


「はじめまして。あなたが紅姫エンリギーニさんですね」


 ぶふぉっ。


 なぜかその場にいる者──伊吹、アロイス、ヒース、目の前のお客様までいっせいに噴き出した。


「……ひばり、その人違う。エンリじゃない……お付きの人」

「えっ、そうなの? ごめんなさい!」

「私はガガボ・ゴルドバ……白銀の森のオーガにして、偉大なるエンリギーニ殿下の守り役だ」


 お客様が、巨体をわななかせ、押し殺した声で訂正をしてくれた。


(だって魔王の娘だって言うから)


 もしかしたらこれぐらいごつくて、いかめしいクリーチャー感があってもおかしくないのかと思ったのだ。どうやら違ったようだが。


「ごめん、説明すればよかったね……」

「うん、写真ほしかった……」


 ランズエンドの種族は、本当に色々あってややこしい。


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