第13話 紅姫エンリギーニ

「一時間ぐらい相手してやってくれると、メリアカン王国と同盟国家の臣民と友好種族がものすごく助かるんだけど。だめかな」

「スケールでかっ」


 頼み事の規模が大きすぎて、もはやイメージが追いつかない。

 たぶんこれは、明日の夕飯のリクエストぐらいの気持ちで引き受けてはだめなやつだ。ひばりとてそれぐらいはわかる。


「……危ないことはないんだよね?」

「そこは大丈夫! ひばりに危害が及ぶようなことは絶対ない。させないから」

「本当に? すごい性格の人っぽいけど」

「エンリもぎりぎりのところで、空気は読む奴だから。単に魔王の仇の俺を、困らせてやりたいだけなんだ」


 そんな理由でも、ノーと言えないところが伊吹の辛いところかもしれない。

 今回の姫のわがままが回避できないとなり、伊吹を始めとした『MKL』のエージェントは、そこから実際に異世界へ行かせる方法はあるのか、実行するとして危険はないのか、魔族側の了解はどこから取り、バーターで引き出せる案件はどれといった調整と根回しを、今の今まで続けてきた、ということらしい。

 出ていく前よりシャツの襟に余裕がある夫を、ひばりは軽くドン引きしつつも同情目線で見るしかなかった。それはやつれもするわけである。


「お願いしますひばりさん。異世界の平和はあなたにかかっています」

「んー……」

「ただとは申しません。ご要望があればなんなりとお申し付けください」

「とりあえず、責任もって私の角煮食べてくれる? あと夏用のサンダルが欲しい……かも」

「はいサンダル、喜んで!」

「居酒屋?」


  *


 けっきょくそうやって理解を示してしまったのが、運の尽きだったのかもしれない。

 ひばりは伊吹の頼みを聞き入れ、次の休みは『取引先の社長の娘さん』をおもてなしするべく、パーティーメニューの検索をしているのである。


「子供相手ならさー、変に凝らないでわかりやすいメニューがいいんじゃないの? 手巻き寿司とか、ハンバーガーとか。うちの甥っ子はそれでイチコロだったけどなー」


 菊花がサラダチキンをかじりながら、自説を力説している。


(わかりやすいかー。もうそれしかないかも)


 一応最初は粗相があるといけないので、レストランのケータリングなども提案してみたのだ。しかし先方の指定は、『アースサイドの日常的な料理から外れず、かつひばりの手料理であること』だそうで、ひばりはますます考えこむことになったのだ。


 夜になってから、ひばりは伊吹に言った。


「──伊吹。このプランで行こうと思うんだけど」


 帰宅してスーツを脱ごうとしている夫に、おもてなしメニューをまとめたメモを渡した。


「……へえ、面白いね。こう来たかって感じだ」

「なんかもう考えすぎて意味わからなくなったから、この際初心にかえろうと思うんだ。味覚はあんまり変わらないって言うし」

「ひばりの考えなら、たぶん一番いいよ。俺は全面的に信じるから」

「ほんと? 世界平和がかかってるんでしょ?」


 これでも異世界の明日を担うらしいプロジェクトは、そろりそろりと手探りで進んでいったのである。


   *** 


 ヒトはしょせん鼠だ、とエンリギーニ・バラベスは思っている。

 ありていに言って面倒くさい小者。常に徒党を組んで、おどおどとみすぼらしくて、弱いくせにすぐ殖える。鳴き声が微妙にかんに障るところもそっくりだ。

 現在紅姫エンリギーニが暮らしているのは、そのヒト種族最大の国家、メリアカン王国だった。

 近種のエルフ族やドワーフ族に比べても寿命や能力が劣るヒト族は、その爆発的な繁殖力をもってして大陸の肥沃な土地の大半を勢力圏に収めることに成功していた。顔も知らない『我が産み主様』──魔王バラベスが、是正に動こうとしたのもさにあらんだ。

 メリアカンの首都シントンには、文字通りありとあらゆる物が集まってくる。北は魔族領で切り出される上質の木材に始まり、南は海洋諸国の真珠や鼈甲にいたるまで。エンリギーニは王城にある彼女のために特別にあつらえられた温室で、そういう贅沢な材料を眺めながら、東の果ての華国より仕入れた茶を飲むこともできた。

 王城仕えの若いヒトの娘が、ただいま白磁のティーポットで茶を注ごうとしている。しかし絶えず手が震え続けているせいで、注ぎ口が震え、ポットの蓋もカチカチと鳴って聞き苦しいことこの上ない。


「……も、申し訳ありません……」


 謝る娘の顔は、血の気が失せて蒼白だった。

 エンリギーニは娘の半分ほどの背丈しかなく、ドレスを着て椅子に座っていても、つま先はほとんど床に届かない。それでも娘の震えはますますひどくなり、エンリギーニが形良い瞳で見つめると、貴重な黒発酵茶はカップの中よりも受け皿の方により注がれる形になった。


「あ……ごめんな……」

「…………無様なものだな」


 たった一言呟いただけで、娘が悲鳴をあげた。

 それはもう弱くおどおどとした体のどこから出てくるかと思うような、甲高い金切り声である。


「もう嫌! 耐えられない! 絶対嫌!」


 髪をまとめるヘッドドレスをかなぐり捨て、泣きわめいているところに、「何やってるの!」と同じ制服を着た同僚たちが飛んできた。


「誰の前だと思ってるの! やばいよ!」

「なんで私が魔族なんかに仕えなきゃいけないの。父さんもおじさんもこいつらにやられたのに!」

「いいから黙って!」


 同僚にほとんど引きずられるように、ヒトの娘は温室を退場していった。

 エンリギーニ付きの高位女官が、すぐさまやってきて謝罪した。


「大変お見苦しい真似を。心からお詫び申し上げます」

「メイドの教育がなっていないのではないか? 前はもう少し日持ちがしたぞ」


 いちいちヒトの顔など覚えていないが、交代の間隔が短くなっているのは確かだろう。そのたび煩わしいやり取りが挟まれ、つきあわされるこちらはいい迷惑だった。

 エンリギーニの指摘に、年かさの高位女官は、完璧な化粧を施した唇を引き結んだ。


「……お言葉ですが殿下」

「なんだ?」

「もはやお仕えできる世話係がおりません。日替わりでいとまを出されているこの状況では、みな萎縮いたします。どうぞ今少し寛大なご対処を……」

「──寛大、か。それは難しい相談だ女官長」


 エンリギーニは椅子に座ったまま、残念そうに首を振った。名前は知らないので今回も職名になった。


「私は誰だ?」

「紅姫エンリギーニ殿下、にございます」

「そうか。ならば畏れるのは当然だろう。私の産みの親は魔王バラベスであり、『青の血族』という高位魔族の意向でもってこの城に居るのだ。自分たちの不手際のために不便を強いようというなら、そなたにも用はないな」

「エンリギーニ殿下──」

「聞こえなかったか? 用なしだと言ったのだ、紅姫の私が」


 王室の庇護を受ける御用詩人が、『玻璃の金糸雀が歌うがごとし』と讃える声で、エンリギーニは繰り返した。


「さあ去れ。おまえはいらない。消え失せろ」


 女官長は白塗りの顔を強ばらせ、恐らく怒りに震えているのだろうが、言い返したりはしない。そうできるわけがないのだ。エンリギーニは魔王の娘で、この城で逆らえる者など誰もいないのである。

 ただ喉の奥から振り絞るように「かしこまりました」とだけ言って、女官長は温室を辞した。


(ふん、せいせいするわ。おしろい女め)


 他の世話係たちのように見苦しい去り際でなかったことだけは、褒めてやってもよかったかもしれない。

 それはそれとして、このこぼれた茶をどうしたものか。新しいものを用意させようと顔を上げると、エンリギーニの前に一人の配下が膝をついたところだった。


 ──ガガボ・ゴルドバだ。


 身の丈は通常のヒトより一回り大きく、その肌は雨の日の岩肌のように粗く硬化している。鋼線のごとき蓬髪が、角張った頭部から顎にかけて生えていた。そして魔神の流れを汲む証である、頭部の角。

 この人鬼やオーガとも呼ばれる種族は、エンリギーニたち魔族の眷属として、ともに闘ってきた歴史がある。ガガボはエンリギーニの守り役として側に仕え、敵だらけの城内で睨みをきかせる役を言いつけられていた。


「殿下。ガガボ・ゴルドバよりご報告がございます」

「よろしい。聞こうか」

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