第12話 伊吹、土下座する
五月五日。天気、雨。
連休三日目。伊吹はまだ『MKL』から戻ってこない。というかランズエンドに行っているのだろう。
*
「えー、いいのかい三輪さん。こんな沢山貰っちゃって」
「いいんですいいんです。どうかお家で召し上がってください」
「嬉しいねえ。ありがとう」
行き場を失った豚の角煮は、『築地ひまわり歯科クリニック』の院長影山に横流ししてやった。これをやってもまだ、鍋に大量に残っているから笑えない。
急な出張はいつものことだが、行き先がわかるだけましなのだろうか。携帯の電波があちらに届けばいいのにと思う。
*
嘘。本当に今通話できたら、際限なく罵倒しそうだ。夕飯は炊き込みご飯と海老しんじょを食べる。
【メモ】背広をクリーニングに出すことを忘れない/燃えるゴミの日
***
けっきょく伊吹はゴールデンウィークも明けた平日の夜に、へろへろになって帰宅した。
ひばりは居間にあるテレビでバラエティ番組を見ていたのだが、気づけば出ていった時と同じ服装の彼が、畳にばたんと倒れ込んだのである。
「だ、大丈夫……?」
「ああ、家だ……」
彼は青息吐息でぐったりとしたまま、仰向けに寝返りを打った。テレビと蛍光灯の明かりがまぶしいのか、手で眉間のあたりをおさえている。
「ひばり……色々ごめん。連絡もしないでばたばたして……」
「……それはまあ、しょうがないでしょ。お仕事だし、異世界じゃこっちの電話繋がらないっていうし……」
顔を合わせたら絶対に言ってやろうと思っていた文句の数々が、こうも疲れ切った人間の前では霧散してしまうからずるい。
当日出せなかった大量の角煮や炊き込みご飯は、弁当や院長へのポイント稼ぎに使った他は、冷凍し保存してあるので、本当の意味で無駄になったものはまだないのだ。
伊吹の仕事は魔王がいなくなった世界の、平和を守ることだと聞いているから。
「何か大変なことがあった……んだよね?」
「……こっちとしても、これを政争のネタにされることだけは、どうしても避けたくてさ……」
伊吹は深くため息をつき、それから近くに座っているひばりの顔を見上げた。
あまりにじっと見つめてくるから、こちらも困惑するしかない。
「な、何?」
彼はおもむろに起き上がると、乱れた前髪も直さず、その場に土下座した。
「三輪ひばりさん。この期に及んで大変図々しいお願いをしますが、聞いていただけないでしょうか」
「は、はい?」
「この家にまた人を呼びたいのです。相手は魔王バラベスの娘、エンリギーニ。協力を願います!」
*
『ホームパーティーが盛り上がる五つのアイデア』
『大好評! おもてなしレシピ』
『お家で作れる! フレンチのパーティーメニュー』
ひばりは『築地ひまわり歯科クリニック』の狭いスタッフ休憩室で、自前の弁当を食べる傍ら、スマホの検索を続けている。
SNS上には、様々な知見や叡智が集まっていた。視線を画面に固定したまま、おかずの解凍角煮を口に入れた。
「まー、三輪さんてば勉強熱心だこと」
菊花が後ろを通りながら指摘してきて、ひばりは口の中の角煮を慌てて飲み込んだ。
「何? 家でパーティーでもやるの?」
「……まあ、そんな感じです。メニューどうするか迷っちゃって」
「その顔じゃ、友達と気楽に家飲みって感じじゃなさそうね」
「そうなんですよ。旦那の仕事がらみなんですよ」
「またかー」
「取引先の社長のお子さんとかも来るらしくて、今からプレッシャーが……」
菊花が椅子に腰をおろした。
「なんかさあ、三輪さんの旦那さんって、家に会社の同僚連れてきたりとか昭和のオトコか! って思ってたけど、どっちかって言うと外資系企業のノリだったりする? 週末はワイフの手料理をご馳走するよHAHAHA的な」
「確かに日本人は少ないですね……」
「あー、やっぱりー」
菊花の何気ない指摘は、ある意味当たっていると思う。
伊吹はフランクでオーバージェスチャー気味の西洋人ではないが、同僚に同じ人種が少ないのは事実だ。組織の資本も、大半は国外の資産で運用されていると聞く。
この場合の外資系が、地球規模ではなく異世界であるという点にさえ目をつぶれればだが──。
「この前会った人が、外資でコンサルやってるとか言ってたんだよね。やっぱ気をつけた方がいいのかなあ」
「いやー、会社ごとに違うと思うから、先入観は持たない方がいいんじゃないかと思いますよ……」
ひばりは先日かわした、伊吹との会話を思い出した。
*
「魔王の、娘って……どういうこと?」
訳がわからず戸惑うひばりに、伊吹は土下座の姿勢から慌てて復帰した。
「あ、ごめん。もちろん一から説明するよ。もともとランズエンドは、人類種族と魔族が敵対関係にあったっていうのは話したよね」
一番人口が多いヒトを中心に、エルフやドワーフなどの友好種族で一つの生存圏を築いているのだという。
「魔族は魔族で、まったく別の文化と価値観で生きててさ。なかなかこっち側の考えとは相容れないんだよ」
その魔族は数こそ少ないものの、ヒトを遙かに上回る莫大な魔力を有し、独自の爵位を名乗って城を持ち、オークやオーガのような彼らの友好種族を眷属として従えているのだそうだ。
「じゃあ、伊吹が倒したっていう魔王は?」
「魔王は彼らの間でたまに生まれる、特別に強い魔族の称号だよ。俺たちの代の魔王バラベスは魔王軍を率いて、人類種族を滅ぼす勢いで進軍を始めた」
「それで外から伊吹が喚ばれたってわけ?」
「その通り。最終的に魔王バラベスは封印されて、残された魔族は人類種族との和議を受け入れた」
「めでたしめでたし、ってわけにはいかなかった……のよね」
もしそうなら、今ここで伊吹は苦労していないだろう。
『青の血族』と呼ばれる爵位持ちの高位魔族は、ランズエンドの大陸北部にある魔族領を引き続き治めることと引き換えに、魔王軍の撤退と解体を約束したそうだ。
「今回うちで迎えたいのは、その魔王の娘なんだ」
「娘さんがいたの?」
「魔王城に卵が残されててね。和平の証として、人類側に差し出されたんだ。今、孵化して六年がたつ。名前は紅姫エンリギーニ」
託された魔の姫は、ヒトを中心にした最大国家メリアカン王国の王城で、大勢の人間に見守られながら暮らしているという。
「戦国時代の人質みたいだね」
「いや、人質みたい、じゃなくてそのものだよ」
「やっぱり?」
伊吹は実直にうなずいた。
「魔族側はエンリギーニを差し出すことで、形式上は恭順の意を示しているわけだけど、逆に彼女に何かあれば魔族側は黙っていない。人類種族側はこの件でクレームを入れられることを何より嫌ってる。十年前の全面戦争をまた起こすわけにはいかないんだよ」
問題はそういう微妙なパワーバランスを、エンリギーニが完全に理解し利用していることだという。
とにかく自分の意志を通すためなら、なんでもやる。何か気に入らないことがあれば、側近を使って『青の血族』を巻き込むことも辞さないので、城内では腫れ物にさわるような立ち位置にいるらしい。
「俺も卵の頃からエンリのことは見てるけど、ちょっとわがままに育ちすぎたよ」
頭が痛いとばかりに、伊吹はため息をついた。
「大変だね……」
「放置できないのが辛いとこだ」
実際メリアカン城内での彼女の扱いは、下にも置かない丁重なものだそうだ。時の王族すら出会えば道を譲ることもあると聞くと、相当だった。
たとえ癇癪から出たわがままとわかっていても、それが魔族側に不満として伝われば、どんな外交問題に発展するかわからない。人類側にも魔族側にもいるタカ派の戦争待望論者に、格好の餌を与えてしまうことになるのだと伊吹は言った。
「それで今回彼女のわがままっていうのが、なんか俺の結婚相手の顔を見てみたいってやつらしくてさ……」
「ちょっとちょっとちょっと」
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