第10話 それはとびっきりの……

「……本当にごめん、ひばり。ずっと黙ってて。許してくれなんて、俺からは言えないよ」


 そしてそういう違和感があったにもかかわらず、惚れた弱みで目をつぶってきた自分も、大概ではないだろうか。

 伊吹はこれ以上言い訳するのも潔くないと思ったようだ。もはやまな板の上の鯉、おかみの沙汰を待つ罪人の態度でひばりのジャッジを受けようとしている。

 アロイスの方が、もどかしげにこちらを見た。


「ね、ねえイブキの奥さん。この頑固な堅物男がアースサイドで結婚するって聞いた時は、『MKL』の上から下まで驚いたんですよ。僕らのせいで離婚なんてことにならないですよね、まさか」

「アロイス、やめろ」

「いやだってイブキ──」

「黙れ」


(ずるいよ、伊吹)


 この状況で、全部判断をこちらに委ねる気か。

 出会ってからの、あれこれが頭をよぎった。鯵フライ弁当ばかり頼んでいた人。その次が唐揚げ。中華丼と豚汁。運良く恋人になって、遠距離で繋いだ二年間。もちろんケンカだってした。でもどれもひばりにとっては、大事な思い出だ。それがいざ結婚して一緒に暮らしだしてから揺らぎだし、今ここだ。銀座の地下にある迷宮で、秘密が多い夫の告白と謝罪を聞くはめになっている。


「許さなかったら、どうするの」


 伊吹は答えない。ただ、痛みをこらえるように唇を引き結んだ。

 ひばりはため息をついた。自分でもこの人を責めたいのか責めたくないのか、判然としなかった。


 ただ、うつむくと石畳に転がる赤いミニトマトが見えた。


 その少し先に、ピックに刺したうずら卵とレタスの切れ端。伊吹用の弁当箱が、中身ごとひっくり返ってしまっている。乱暴にトートバッグを放ったせいで、荷物が飛び出してしまったようだ。

 そして飛び出たおかずのハンバーグを、ガーゴイルと呼ばれていた魔物が、くんくんと嗅いでいる。

 匂いを嗅いだ後、ちょっとだけ端の方をつまみ、口に入れる。

 金色の目がまん丸になり、羽と尻尾がぴんと立つ。ソースで手が汚れるのも構わず、両手でハンバーグの本体を持って食べはじめる。


「……おいしい?」


 ひばりが声をかけると、ガーゴイルは文字通り飛び上がって距離を取った。

 口の周りはべたべた、食べかけのハンバーグを握りしめたまま、あどけない子供のような目でこちらを見ている。

 あらためてひばりは聞く。


「それ、おいしい?」


 魔物は舌足らずな声で、「とってもオイシイ」と言った。


 ──そうか、とってもか。


 なんだか気が抜けてしまったのだ。


「ありがとう。そんな落ちたのじゃなくて、ちゃんとしたもの作ってあげるから。うちにおいで」

「ホント?」

「伊吹に連れてきてもらいなね」


 ひばりがうなずくと、ガーゴイルは軽やかにくるくると飛び回った。魔物相手に断言していいかわからないが、嬉しそうに見えた。


「ひばり……」


 どこか震えた声で、伊吹がひばりの名を呼んだ。ひばりが苦笑してみせると、彼は泣きそうな顔でひばりのことを抱きしめた。


「ありがとう。ありがとう……」


 ちょっと、苦しいよ。


 勢いが強すぎて、返事がしづらいのが困りものだ。

 その昔、ひばりの祖父である新八は言っていたものだ。この先ひばりの料理を食べて笑顔になる人は沢山増えるし、その中でもとびっきり一番の人にきっと巡り会えると。

 相手が人間じゃなかったり、とびっきりの人が勇者やってたりするけど。


 ──ねえ、おじいちゃん。こういうのもありなのかな?

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