第5話 深夜のお客様が怪しいかもしれません②

 確かアロイスたちは、近くのコインパーキングに車を駐めていると言っていた。急いで走れば、出発前にぎりぎり追いつける自信があった。

 街灯が照らす人気の無い夜道を走り、お堀にかかる赤い太鼓橋を渡る。


(よかった。いた!)


 あたりをつけていたコインパーキングの一つに、黒のミニバンが駐まっていた。車の近くで電話をかける、アロイス・ナンバーエイトの姿もあった。


「そうです部長、イブキのところにお邪魔してきました。例の自慢の奥さんの手料理で一杯やって。あいつ幸せすぎてハゲませんかね」


 なんとなく声をかけそびれ、物陰に待機してしまったのは、自分たちのことを話題にしているようだったからだ。

 ここで出ていくのも気まずくて、ついつい話が変わるのを待ってしまう。


「いえ、求められてもございませんよ僕の方にそういう魔法は。本当です、増やす方もないです」


 アロイスは先ほどのテンションが嘘のように淡々と喋りながら、スマホを握っていない手でかぶったニット帽の隙間をかいている。どうも暑くて蒸れるようだ。乱暴にかくうちに、帽子の下から人間離れした長い耳が飛び出し、それを無理矢理押し込んで戻していた。


「ええ、一応方針は決まりました。領主のハーヴ公は嫌な顔するでしょうが、うちが直接乗り込んで仲介にあたります。彼らが欲しいのは、ヒトと同等の漁業権だ。魔王軍残党と関わりがないことを証明すれば、文句は言えないはずです。うちから何人か送り込んで睨みをきかせる感じで。詳細は後ほど。じゃ、いったんそっちに戻ります」


 通話を終えると、そのままアイドリング中のミニバンの助手席に乗り込んだ。

 車がパーキングを出ていく。物陰にいたひばりは、彼らのヘッドライトの明かりにもぎりぎり入らなかった。


(今の──なに?)


 ただ話しかける機会をうかがっていたひばりは、けっきょく何もできずに一部始終を見守ってしまったのである。


  *

    

 家路をたどりながら考えた。

 三輪ひばり。今月ちょうど二十五歳になったところだ。目立った既往歴はなし。お酒は──飲んでいる。

 伊吹が帰ってくるのを待っている間に、缶ビール一本だけだが、思っていたより酔っ払っていたのだろうか。

 なんだあのアロイスの耳は。


(ファッション、付け耳、ファンタジーのエルフ族のコスプレ……じゃなかったら……)


 これでもアルコールは強い方だと自負していたのに。

 仮にあれがファッションの付け耳だとして、そのファッションを帽子の中に隠している理由はなんだろう。四月にあのニットは暑いだろうなと思ったし、実際に蒸れてかゆそうだったではないか。かいていたのは耳の付け根に加えて、先端もだった。付け耳なのに、先の先まで神経が通っているのはおかしくないか? 

 おかしいというなら、これまでのことだってそうだ。ひばりがあえて不問にしていたあれやこれやが、芋づる式に頭をよぎる。

 前々から伊吹の連れてくるお客は変だったのだ。この間アロイスと来た人は異様に毛深く、その前の人は鴨居どころか天井に頭をぶつけるほど大柄だった。野菜や汁物には手をつけず、一番喜んでいたのは鮪の刺身だった。

 例によってひばりは『国際化』『多様性』『インバウンド』の単語で己を納得させ、新婚の旦那の客ということもあって「次は馬刺しもお出ししよう」などと呑気に思って今日まで来てしまった。ひょっとして、流してはいけなかったのではないか?

 もんもんと考えながら自宅に帰ってくると、伊吹が心配顔でひばりを出迎えた。


「遅かったじゃないか。何してたの」

「ごめん……」

「指輪は渡せた?」

「……できなかった。もう出発してたみたいで」

「そっか。たぶんそうだと思ったんだ」


 思わず手の中の指輪を、握りしめた。

 一番わからないのは、目の前にいるこの人だろう。

 お客様の外見や挙動が怪しいとして、そういう人を次から次に同僚として連れてくる伊吹は何者なのだという話だ。


「ねえ、伊吹」

「ん?」

「今日のことで、何か私に言うことない? ほら、この際いい機会だから言っておこうでもいいけど」

「何かって……」


 すがるように目を見て訊ねたら、彼はその場で考えこみ、ようやく一つ思い至ったとばかりに破顔した。


「今日は本当に助かったよ。ありがとう、ひばり」


 ただの感謝かい。


 その微妙なまでの『間』とか、真面目に考えた感じの果ての笑い方とか、あまりにいつもの伊吹すぎて、だからこそひばりは混乱した。一番信用しているはずの彼が、急に見知らぬヒトに見えてしまったのだ。


  *


(……私……実は伊吹のことほとんど知らないのかも)


 夜、二階の和室に置いた低床ベッドで、三輪伊吹は穏やかな寝息をたてている。

 同じベッドにいるひばりのことを、信用しきっているのだろう。

 もちろん、知っていることもちゃんとある。好きなお笑い番組は、毎回ちゃんと録画している。生まれは東京都の大田区。ご両親とお兄さんが、そちらに健在。高校時代に事故にあって、一年留年している。決して強い言葉を使わない、穏やかで真面目な人だ。ずれたところも愛しいし、ひばりのことも愛して大事にしてくれると思う。

 でも、伊吹の仕事に関してはどうだろう。

 遠距離だったせいもあり、国際関係の財団法人に勤めており、激務で出張も多い忙しい人──ぐらいの理解度で結婚してしまった自分がいる。


(だって! しょうがないでしょ好きになっちゃったんだから!)


 もう離ればなれはこりごりだったのだ。


 及川菊花は言っていた。いくら条件が良くても、気をつけなければならない人はいると。

 自分は決して条件ありきで動いたわけではないと思うが、好きの一点突破で結婚式も後回しに入籍してしまったのは、はたして正解と言えるのか──。


 わからない。

 考えても考えても答えが出ない。


「わかるかもう」


 悩みの当人が寝返りを打ったが、ひばりはそのまま反対をむいて布団をかぶった。頭が煮えてウニになりそうだった。


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