兎狩り部隊③

 エージェント・ヴォイドは淡々と行動を継続した。

 廃材から組んだ簡易ドローンを飛ばし、結集した軍団を俯瞰視点から撮影し、その情報をリーンズィに共有する。

 リーンズィは思考を切り替えて改めて状況と向き合った。

 見下ろせる全ての場所に重装備の兵士が存在している。

 ありあわせの、しかし無限の時を行進するガラクタども。

 永劫の冬に隔離されたクヌーズオーエに似つかわしくない色とりどりの戦闘服、カーキや森林迷彩、市街地に溶け込むためのデジタル迷彩。様々な勲章、意味のないエンブレムをぶら下げた黒い服の少女達。

 その後方や高層建築物には、大樹の如き巨躯を備える大型蒸気甲冑、スチーム・パペットたちが展開している。大型のセンサーユニットを装備し、完全自動機関銃まで含めた重火器を針鼠のように装備したこの重兵装部隊は、おそらく目前の区画、首斬り兎を閉じ込めるための広大な檻から、何者が逃げ出すのも見過ごさないだろう。

 発狂した時の嵐に飲まれて、数えきれぬ無意味な戦場を越えて、不朽の兵士は鏡像連鎖の迷宮に流れ着いた。いざ狩り場に飛び込めば、スチーム・ヘッドは鋭敏な感覚を頼りに不朽結晶の凶器を構えて駆け回り、レーゲントたちは憐憫と退廃の媚笑で感覚鈍磨と強制沈静化の聖句を高らかに歌い、パペットは有無を言わさぬ暴力で障害物を全て破壊するだろう。

 いずれにも弱兵は無い。

 無数の歴史、無数の土地、無数の終局に対面した生き証人であり、それぞれが得体の知れぬ怪物、死なないと分かっている兵士と死闘を繰り広げ、そして未だ破壊されないまま活動を続けている古強者である。

 そんな悪鬼と救世主の出来損ないどもが総計三〇〇機。

 轡を同じ方向に向け、街路という街路に整列し、号令の下る瞬間を待っている。

 まさしく錚錚たる軍勢と言えた。あるいは致命的な光景だった。不死病患者を完全に戦力化し、人工脳髄と人格記録媒体、不朽結晶連続体加工技術まで完成させた国家同士が、互いの歴史の決定的終着手として、死力を尽して激突する。これら不滅の兵士の集結は、まさにその寸前にしか現れない光景であり、後に待つのは修繕を放棄された荒廃した国土と、傷つき、救いの手を求めて彷徨い歩く死に損ないたちどもだけ。

 だが、今回の戦いに破滅の影を恐れる必要はない。人類の終局など訪れようはずも無い。この入り組み、混ざり合い、都市が都市としての形を忘れつつあるこの混迷こそが、朽ちることを許されない人類に投げかけられた唯一の道である。祈る限り、願う限り、道は無限に分岐して彼らの前に示される。

 望んだ場所に決してたどり着けないという意味では、楽園への旅路にも似ている。


「しかし、これだけの数が<首斬り兎>のためだけに必要?」


 アルファⅡモナルキア・ヴォイドは答えなかった。

 ミラーズは頭に乗せた帽子の向きを整えながら、「どれだけ必要かなんて誰にも分からないわ。初めてのことなんだもの。そうよね、ヴォイド? 初めてのことは誰にも分からない」とクスクス笑う。

 アルファⅡモナルキア・ヴォイドは、やはり答えない。


 瓦礫を積み上げたジグラッドに、奇妙な形状の巨人が上った。

 ミフレシェットこと、軍団長ファデルだった。

 情報の伝達は戦術ネットワークを介して行えば足るため、実際に演台に姿を見せる必要もないが、軍団を統べる者としての象徴的な立場としてそこにいるのだろう。


『お前ら、よく集まってくれた。細かい挨拶は抜きにしようや』


 リーンズィの人工脳髄から、生体脳の聴覚野に、ファデルの男性音声が直接書き込まれる。


『散々検討を重ねた後だし、打ち合わせも何遍重ねたか分からねぇ。何回も繰り返したことをこれ以上やるのは無駄だ』


「え」完全に初耳だったのでリーンズィは少しだけ不機嫌になった。「そうなのか? そうなの? 私は全然聞いてないぞ。君が情報をシャットアウトしていたのだろう」とヴォイドに抗弁すると、未圧縮のデータが首輪型人工脳髄に無言で転送されてきた。


 リーンズィは予期せぬ数千件の情報に数秒フリーズし、頭痛を堪えながら「無断転送はやめてほしい。以後禁止だ」とさらに抗議を重ねた。


『肝心要の仮想敵、<首斬り兎>について、情報を伏せてたのは、すまねぇ。敵の電子戦闘能力が不明だったから伝えるわけにはいかなかった。だが敵の手管はある程度割れた。全機に予想される敵のマニューバを転送する。各自よぉく検討してくれ』


 リーンズィ単体は、まだネットワークへの接続権が確立されていない。

 支援を要請すると、ユイシスのアバターが反応した。彼女が中空に手を這わせる。

 リーンズィの視界に映像窓が展開した。


 どこかのクヌーズオーエの瓦礫の山を背景にして、レーゲント風のスチーム・ヘッドが佇んでいる。高機動装備を身につけたミラーズ。最下段のボタンを外した行進聖詠服から白い下着が露出しているため、リーンズィがコルトとともに市街地の調査に向かうよりも前に収録された映像だと分かる。

 両手には折れたカタナを携えており、その刃には保護用のゴムが貼り付けられていた。

 記録映像のミラーズの前に、スチーム・パペットが現れた。

 標的役であることを示すためか、頭には何故か射撃訓練用のマンターゲットを貼り付けている。

 映像上でQサインが出るや否や、少女の影が天使の翼の金色の残影を遺して消え去り、複雑な螺旋を描きながらパペットの装甲を駆け上がった。


 剣の輝きの軌跡は兎のように跳ね上がって、そのままカメラの外側へ消えた。

 切断されたマンターゲットがひらりと舞い落ち、検証に協力していた他の戦闘用スチーム・ヘッドの首がごろりと転げ落ちた。

 画面には退廃の美の芳香を漂わせるミラーズの微笑みが大写しになり、その後ろで技術者たちが落ちた首を拾って機械的に戦闘用スチーム・ヘッドたちの胴体に載せ、映像は終わる。


『今回は調停防疫局のエージェント、ミラーズに協力を要請した。<首斬り兎>に該当する可能性が一番高い機体とおそらく同じ技術を持ってるからってのが理由だな。詳細は端折るが彼女は俺が知る限り、スチーム・ヘッドでは最強の近接戦闘機、


 シィーってあのファデルがたまに名前出すやつか、とスチーム・ヘッドたちが話しているのが聞こえる。実在してたのか。

 映像は何度も繰り返された。

 どうしても、オーバードライブに突入した機体が、何か格闘攻撃を仕掛けて離脱した、ということしか分からない。


『おめぇらに見てもらってる映像は「襲われた連中の証言を総合して再構築した首斬り兎の戦闘機動」だ。センサーの感知範囲外からいきなりオーバードライブで突っ込んできて、暴れ回って離脱するってのが常套手段みてぇなんだよな。ケルビムウェポンも積んでるみたいだがそこはそれ。次はスローモーションにするぞ』


 引き延ばされた時間の中でもミラーズの動きは流麗だった。

 髪をいつものように翼のように棚引かせ、姿勢を低くしながらパペットの足下に滑り込み、擦れ違いざま、比較的構造の脆弱な関節部を刃で撫でる。

 ゴムで覆われていなければこのパペットは両足での移動能力を喪失していたはずだ。

 続けて手近な装甲部に指を引っかけて体を跳ね上げ、装甲の隙間を突き刺しつつ死角へ跳躍。

 蒸気噴射を利用して空中で停止し、姿勢制御を繰り返して再度接近。

 その超絶技巧と言う他無い奇々怪々なマニューバを繰り返して頭頂部へと向かっていき、破壊出来そうな箇所に全て刃を当て、側頭部に着地した。


 そこから地表でまだ何が起きているのか理解していないスチーム・ヘッドたちに狙いを変える。

 跳躍力と蒸気噴射の両方を活かして瞬く間に下降。アスファルトをブーツで擦りながら細い脚を振り回し、カウンターウェイトとして身体運動を制御。

 同時に進路上のスチーム・ヘッドたちの首を切断していく。

 刃はゴムで覆われたままなので、叩き切ると言うよりはへし折って千切っているというのが実態である。


『こんな調子で蒸気噴射推進と跳躍を活かして速攻を決めるのが、想定される<首斬り兎>の戦闘機動だ』


 リーンズィは絶句した。


「み、ミラーズのぱんつが全機体へ配信されている……!」


「そこに注目されると照れるわね」ミラーズは頬を赤らめた。「あ、私はユイシスとリーンズィ専用だから、心配しないでくださいね? 言い寄られたりしてませんし、応えませんよ?」


> この程度ならこれまでに何十機も被害に遭うことはなかったはずだ。


 と戦闘用スチーム・ヘッドの一機が問いを投げかけた。ファデルは『それだ』と頷いた。


『いくら奇襲を仕掛けてきて、一瞬で勝負を決められるとは言え、こんな手を何度も食うとは俺も思えねぇ。だから現実にはこれよりもかなりキツいオーバードライブで突っ込んできて、部隊の死角を跳ね回りながら斬りまくるんだと思う』


> そんなことが可能なのか? いや理論上は可能だろうが。


『俺ぁこういう動きで、パペット・ヘッドの混成小隊を全破壊した兵士を知ってんだ。その人とまた違うクヌーズオーエで戦っていたこともある』


> シィーの旦那だな。


『ああ。調停防疫局のエージェント、シィーだ。俺が最強のスチーム・ヘッドだと思ってる人だ。強さだけでいやぁ、ウンドワートのが上かもだが。あの人も<時の欠片に触れた者>に敗北しちまったにせよ、大物食いと特殊機動についてはマジモンの天才だった。他にこんな動きが出来るやつが何人もいるとは思えねぇ。

 


 やはりか、とリーンズィは肩を落とした。大丈夫よ、とミラーズが寄り添って、その腕を胸に抱いてくれなければ、もっと明確に戦意を喪失していたかも知れない。


> 本人ではないのか?


『俺の歴史では跡形も無くなっちまったし、違う経歴の存在だろ』


「……こちら、アルファⅡモナルキアだ。補足をさせてもらいたい」とユイシス経由でリーンズィ。「我々は都市の外側で、彼の実体を発見し、彼からの要請に基づいて、人格記録媒体の処分を行っている。同位体という可能性も無くはないが、現状だとそのまま本人だとは考えたくない。レコードも確認したが、闇雲に他者を襲う性向は無かった」


『まさにそこだ。あの人は経験値が高いし、無用な戦いは避けるはずなんだよ。強いったって多勢に無勢、負ける確率も結構在るしな。だが今回の件では場当たり的に、食い詰めた犯罪者の方がまだ計画的だってぐらい、雑に襲いまくってる。だから丸きりの本人では無いだろうというのがオレの考えだぁな。この都市によって粗雑にコピーされた存在である、そういう可能性は高ぇと思う。あの人も結構長いことクヌーズオーエにいたからな』


> 誇張表現で無く、君の語ってきた経歴は事実なのか。


『高倍率オーバードライブとあらゆる戦闘に適応可能な歴戦の記憶、そして戦い続け、生き残り、目的を果たすために次の天地を目指すという執念に取り付かれた機体だ。味方に回せば軍神様だが、敵に回したら殆ど地獄だぜ。その地獄と戦わなくちゃならねぇわけだ』


> そこまでの機体とは思えない。


『一人でクヌーズオーエに展開していたパペット部隊を壊滅させたこともあるんだぜ。ブートレグでも油断は出来ねぇ。今までは俺らの包囲を警戒して逃げ回ってたみたいだが、今回で完璧に仕留める。これだけ数を揃えれば、監視網からも逃げられねぇはずだ。今頃はその辺で潜伏していると見て間違いねぇ』


> どうして敵対者がシィーである可能性を提示しなかった。


『可能性は常に考えてた。でも視覚的な実例を示さないままたぶんこいつだつっても説得力無いだろ』


「根本的な問題なんだが」この声には聞き覚えがある。マルボロと呼ばれていたスチーム・ヘッドだ。「俺らもやつの所在を確定できないよな。この辺のどっかにいるってだけで。そこはどうするんだ」


「いつものやり方だ。敢えて入り込みやすい地区を作成し、そこに敵を誘い込む」


> 反対する。


 どこかのスチーム・ヘッドが言った。同意の声が次々に湧き上がった。


> 彼女は限界に近い。他に手段がある筈だ。


「……他に手段があるにせよ無いにせよ、私が手を汚すのが最適解だよ」


 SCAR運用システムに手を触れながら、純白のヘルメットで顔を覆ったガンマン風の女、コルトが応えた。


「私がこの真正面の都市を焼却して、再配置を誘発し、まっさらで危険のないクヌーズオーエを作る。<首斬り兎>がここなら安心だと思える場所を提供してあげようじゃないか」


 誰も何も言わなかった。

 コルトの周囲にいた機体は、見ていられないと言った様子で目を背けた。

 コルトは肩を竦めた。


「そんなに怖がられると私も傷つくよ。何度も発動するところを観てきたじゃないか」


「そうじゃねえ、そうじゃねえよ」とある戦闘用スチーム・ヘッドが言った。「怖いのはそれじゃない。あんたは……もうそういうことしなくて良いんじゃないか? ネットワークの検閲だけで……」


「では、他に何をしろと言うのかな?」


 SCAR運用システムの重内燃が甲高い駆動音を上げ始めた。鯨の群れの鳴き声が如き、掻き毟るような透き通った大音声。蕾の如き機体上部の構造物に光が灯り、刃物を好む拷問吏に傷つけられた肌の如く継ぎ目から流血の赤が漏れ始めた。

 穏やかにコルトは呟いた。


「そのための大量破壊用蒸気機関、『虐殺機関ジェノサイダルオルガン』。そのための自律トリガーとしての私じゃないか。そうだろう、皆?」


 リーンズィの視界に無数の警告が表示される。

 あまりにも数が多いため、理解が追いつかない。

 ミラーズも同様なのだろうが、無意識的にか、その手は腰のカタナ・ホルダーへ伸ばされていた。

 ライトブラウンの髪の少女の額を、汗が一筋流れた。


「【危険】……【即時退避、もしくは目標の機能停止を推奨】……どういうことだ? どういうこと?」


 金色の髪をしたユイシスが凍てついた声音で告げる。


『生命管制より警告……人類文化継承連帯製アルファⅠ改型SCAR、を確認しました』

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