兎狩り部隊①

<首斬り兎>の正体に関するリーンズィの悲観的な未来予測は、新たに踏み込んだクヌーズオーエのそのあまりの異様さによって掻き消された。

 崩壊した隔壁を超え、その全景を目の端に捉えた瞬間に、リーンズィは無意識的に荷車から飛び降りていた。


「何だこれは……」


 震えながら斧槍を握りしめる。

 肉体の反応に頼って意思判断すべきでは無いと忠告されたばかりではあったが、呼吸が浅くなり、甲冑の下で肌が汗をかいている、その事実を無視できない。人工脳髄から臨戦の指令を出さずとも不随意的に心拍数が上昇していた。異変があれば即座に飛び出していけるほどに。


 そのクヌーズオーエは、徹底的に破壊されていた。これまでのクヌーズオーエが不死病の蔓延した廃墟や、汚染され、見捨てられた土地なのだとすれば、都市の死骸そのものだった。それも人類の営為が築き上げた都市という巨大な生命体が、なにがしか恐ろしく抗いようのない存在と真正面から戦って、どうしようもなく敗北した。そのような凄惨な死体だった。あるいは古戦場と言っても良いだろう。在りし日の平和な生活など想像出来ない。昼の光は暗く、空気は煤けていた。実際、内部機構の汚染を警戒してか少なからぬスチーム・ヘッドが蒸気機関オルガンの吸気ファンを停止させていた。数十年も前に巻き上げられた火と煙が、超自然的な力の対流によって、霧散すること無く閉じ込められているかのように思えた。


 建造物が砲弾あるいは物理的な打撃によって根こそぎにされている光景は、ここでは珍しいものでは無かった。そもそも無事な建造物がまず見当たらない。完全破壊を免れた高層建築物には質量弾代わりに投擲されたらしい車両が突き刺さっている。場所によっては抉り取られた地表がさらに深く深く掘り下げられており、穴の底が見えない。微妙な熱源の変化、二酸化炭素濃度の高さから、処理しきれなかった不死病患者たちが落とされているのだと理解できた。


 今までのクヌーズオーエでは考えられないほどに粗雑な処置だった。

 リーンズィが問い質す前に、ペーダソスが重苦しげに口を開いた。


「あんたの言いたいことは分かるよ。これはどう考えたって非人道的だ。でも穴に落とす以外にここの連中を隔離する方法は無かった」


 余裕が無かったのだという事実は非言語的に理解できた。斧槍の柄を握る手甲の下では手指が強張っている。匂い立つような争いの痕跡、肉体が想起する血と硝煙の残り香が、ヴァローナの肉体を脅かす。

 目に付く限り形あるもの全てが崩れ、おぞましいことに、そこかしこに環境閉鎖鎮静塔が乱立している。一つだけでも不吉だというのに、手に負えない悪性変異体が発生したその証拠が、市街地に入った直後の段階で三〇基以上も観測可能だった。


 形成された年月に比して、鎮静塔は巨大化する傾向にある。高さの異なる鎮静塔が無数に並んでいるということは、悪性変異体がそれだけ跳梁していた事実と同時に、それらを個別に封印するのにどれだけの時間を要したかを物語っている。


「ここいらは厄介なカースド・リザレクターがやたら多くてな……色々と面倒だった。思い出すだけでも嫌になる。リーンズィ、雰囲気に飲まれて神経を磨り減らすなよ?」


 行こうぜ、と同じく下車したペーダソスに促され、リーンズィは、猫を手放したコルト、そしてロングキャットグッドナイトを載せた荷車を引く巨大怪虫のごときSCAR運用システムと並んで歩き始めた。


 ロングキャットグッドナイトは意外にもこの酸鼻極まる風景を受け入れているようで、しかし荷車に残り、猫たちを合唱させて、何らかの音楽を奏でていた。この猫の使徒に文句を言うスチーム・ヘッドはいなかった。チープ・ユイシスには解析不能だったが、その奇妙なメロディに耳を傾けていると、昂ぶった神経が不思議と落ち着いていった。

 未知の技法で奏でられる原初の聖句。あるいは、人類が始まった頃、ことばが生まれる前の歌の真髄。真実の祈り、真実の鎮魂歌。

 

 リーンズィは、緊張の糸をおそるおそる手放す。

 ライトブラウンの髪の少女は、深く息を吐いて、臨戦態勢を緩める。

 マスター、ペーダソスが言った通りだった。安全は既に確保されているのだ。神経を尖らせる必要性は無い。そう思った瞬間に喉に大気中の煤が付着して、少しだけ咳き込んだ。ヴァローナのペストマスク型防護面なら防げるのではないかと考えたが防塵フィルターの類が存在していないのを思い出した。


「ただ格好良いだけの装備だったのだな……」リーンズィは「だったのだな……」と思った。


 進軍は続いた。建造物群の一角には無数の鉄骨に貫かれて磔にされた<月の光に吠える者>が放置されているのを見た。猟師によって捕らえられた人狼が、どうにも上手い処分の仕方が分からないまま放置され、物好きな誰かによって標本にされた。そのような印象を受けた。貫かれた傷口からは未だに煙立つ血液が滴っており、悪性変異が進行するか、さもなければ未だに暴れているべきなのだが、レーゲントたちが二重にも三重にも沈静化の聖句を聞かせたのだろう、歩き狼はままならぬ肉体を抱えて、しかし一つの苦鳴も漏らすこと無く、<兎狩り>部隊の行進を見送っていた。

 リーンズィはヴァローナの翠の瞳の倍率を変更して、見開かれた狼の眼球、その開かれた瞳孔の奥を覗き込んだ。何も無い。光の射さない湖を隠す洞穴のような完全な暗黒。


「君は元気か?」

 ライトブラウンの髪の少女はその暗黒の鏡面宇宙に反射する自分自身に尋ねる。

「私はそこまで元気ではない……」



 その区画を抜けた先にある集合地点は、さらに凄絶だった。

 都市それ自体が、無くなってしまっていた。

 一面が灰色をした更地の荒野だった。

 そして、そこかしこに考え得る全てのものの燃えカス、残骸のたぐいが打ち捨てられ、野ざらしになっている。

 さらに目を引くのは、特異な形状をした瓦礫の山だ。

 このクヌーズオーエと、次のクヌーズオーエのはざま。瓦礫の山が、その隔壁に向かって押し固められ、明らかに人為的に積み上げられている。ジグラットの如く変形した市街地の残骸、グロテスクに押し固められたその都市の死骸には勾配がつけられており、あたかも空まで続く階段のように整備されていた。


「このあたりには、変なものばかりあるのだな……」


「あんなのはちょっとした工作物だ」

 ヘルメットのバイザーを少しだけ開いて、ペーダソスは少女の瞳でウィンクする。

「大分前だが、あの向こう側の区画に攻め込む際の橋頭堡になった。あっちにはここでさえ比較にならん程カースド・リザレクターが湧いていてな、毎回毎回真正面からやりあうのは無理があるっことになって、作戦を立てたんだよ。向こう側の壁の淵に連中を誘引して、あの高台の天辺から、叩き切ったポールや標識やらを槍みたいに投げまくったんだ。動きさえ封じれば何とでもなるからな」


「そのためだけにあんな大規模な設備を? 建築物を何棟か解体してまで作る物?」


「灰は灰に、塵は塵にって言うだろ、しかしそれだけじゃすまないのがクヌーズオーエだ。<再配置>に巻き込まれたら、灰でも塵でも何でも『無かったこと』にされる。余所から持ち込んだ俺らの資材も全部無くなる。そうしたら堪ったものじゃないだろ。消えてしまう場所に使う資材は、現地で調達するのが一番だ。後は何より、デカいものをこさえるのは……」


「目的や意味があるような気がした?」


 ペーダソスは「もうちょっと言い方ってもんが」と声を顰め、しかし首を振った。


「……でも、まぁな。中々達成感のある仕事だった。しかし必要性は無かったよな。どちらかというと確かに『何かやってる』っていう実感が欲しかったんだろう。作ってるものがデカいと、何の疑いも無く……勘違いできるからな。これで何か変わるかもしれないって。無駄だって薄々分かってるのによ」


「無駄とか勘違いとか、私はそこまでは言っていない」


「いやそこまで言ってるんだよ、あんたは。少しは自覚しろよ」


「うーん……」リーンズィは首を傾げた。「みんな、私には聞こえない言葉が聞こえている」


「後でたっぷり考えろ。人間的な時間なんて、気が狂いそうなほど待ち受けてるんだからな。今は自分という軍団アウスラをどこにアサインするかを考えるのが先だ」


 都市の死骸、その無機なる山の前に至る。

 数百機の戦闘用スチーム・ヘッドやレーゲントが陣を敷いている。無数の部隊が永遠に朽ちることのない刃を地面に突き刺し、槍で天を指し、号令が下るのを待っている。

 一つの時代、一つの都市、去る日の正午に針を止めた時計、その針の如き剣と矛の群れ。彼らが走り出しても時代はもう進まない。

 それら凶器を積み重ねれば、玉座をも作れるかも知れない。担い手たちは例外なく人間としての死を剥奪された不死病患者であり、人工脳髄を搭載した不揃いな兜を戴き、微睡みの脳髄へ挿入された人格記録媒体が見せる終わらない白昼夢によって駆動する。これら不撓の戦士であれば、あるいは剣の玉座にすら君臨することが出来るだろう。

 しかし、鏡像連鎖都市クヌーズオーエは王を必要としない。

 王の存在をすらこの世界は忘却した。

 統べる意味すら疑わしい、都市の形をした、『クヌーズオーエ』という名前で縛るのがやっとの混沌。


 兵士たちは、己自身を一振りの刃に見立て、その鋭敏な神経の切っ先を、眼前の全高50mにも達する金属製隔壁へと注ぎ込んでいる。

 恐るべき<首斬り兎>を仕留めるために。


 いずれも劣らぬ精鋭揃いだと言うことは、チープ・ユイシスによる戦力概算を待つまでもなく理解できた。ここに集まっているのは「見つけて殺す」ことだけに特化した兵士と、「見つけて沈静化する」ことだけに特化した歌い手たちだ。

 ヘンラインが率いていたような人道と博愛について考え、実行する集団では無い。

 それら救いの手に値しないものを切り捨て、氷に閉じ込める、濡れた刃の群れである。


「しかし、これだけ強い人が揃っているなら、本当に私に居場所はないのでは?」


「単体だとまぁ無いだろうな」ペーダソスはあっさりと認めた。「アルファⅡモナルキア本体と合流しろ。何だかんだ複数で連携して動ける機体は貴重だし、それだけでも役に立つ」


「むー。私自身でこう……活躍したかった」


「『活躍したかった』が『無事で帰りたかった』にならないよう注意しろ」


 ペーダソスにそこまで言わせるのだ。過酷な戦いになるだろう。

 だというのに、スチーム・ヘッドの兵士たちも、永遠の命で呪われたレーゲントたちも、一分の怯懦も示していない。

 リーンズィは考える。

 ミラーズに教わった知識を元に考える。

 彼らには、彼女らには、今、この時以外には、何も存在しない。

 黙示録の軍勢も、裁き主に率いられた騎士たちも、この地にはついにこなかった。

 だから彼らは常に新しい戦場に居場所を求める。


 戦場へ、次の戦場へ。

 新しい苦難に、積み上げられた瓦礫の山に、約束の国の徴を探す。

 地獄へ、次の地獄へ。

 その先に本物の楽園が、永遠の安寧が待ち受けていると、信じてもいないのに。

 実際にどうなのかは知れない。だが彼らにとって、神の御国などというものは、嵐の中で戦っているときにだけ見える幻想だ。戦闘への興奮で張り詰めた空気と、糸車に載せられぬほど草臥れた眼光。特に戦うことに特化したスチーム・ヘッドたちは、幻を追い求めている。

 手段が目的化しているのだ。戦うために、辿り着くべき場所を探している。


 畢竟、彼らは死ぬために戦っているのだ。

 永久に死ねない体で。

 ただ、死ぬためだけに。

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