月にあらざる彩の女王

実緒屋おみ/忌み子の姫は〜発売中

1:月ニ魅入ラレテイル

 あたしは今日も月の絵を描く。


 小さな電灯を光源に、頭に浮かぶ心象をカンバスへぶちまけるようにして。赤や青、様々な色を乗せ、月を中心に、ストーンサークルみたいな建物を少しずつ、丁寧に紡ぎ上げていく。


 油絵の大胆なタッチとその中に隠された繊細さ、両方を際立たせるのは難しい。それでもバランスを取ることと、止まらない手の動きを両立させるだけの技量が、あたしにはある。集中力も。


 静かの海。月彩つきさいシリーズと名付けた絵の六作品目に取りかかり、早一ヶ月くらいか。季節は初夏となったが、実家の離れたるアトリエには小さな窓と送風機しかない。近くの林すらまともに見てないことを今、思い出した。


 乾性油を塗って椅子にもたれかかった時、扉を控えめに叩く音がした。


「何、百合」

「コーヒー、持ってきたんだけど……薔子しょうこ、少し休憩して」


 双子の姉である百合が扉を開き、中に入ってくる。手にはコーヒーとサンドイッチが載ったトレイがあった。絵を描いている時、あたしがそれしか食べないことを百合は知っている。


 サイドボードにトレイを置いた百合が、絵を覗いて眉をひそめた。


「またその絵なの?」

「あんたってホント、馬鹿よね。これが一番有名なんだから描くに決まってるじゃん」

「そうだけど……私はあまり、好きじゃなくて」

「呪いの絵画って言われてるから? それともあたしの画風が?」


 百合は困ったように笑った。どちらともとれる答えでごまかす、姉の常套手段。嫌気が差す。


「あんた、誰の絵のおかげで食ってるかわかってる? この風間家とギャラリーがあるのだって、あたしが絵を描いてるからよ。あんたは黙って経営だけしてりゃいいんだ」

「……そうね。薔子のいう通りだわ。私には絵心がないし」


 殊勝ぶって俯く姉に、吐き気がした。最初に絵を描いていたのは姉の方だ。それなりに才能があったみたいだけれど、あたしがそれをぶち壊した。あたしはいわゆる天才肌。姉は、秀才。


 今は亡き両親がギャラリー・ミサを立ち上げた時、いや、あたしが天才と知れ渡った時から、百合は絵を描かなくなった。あたしの才能を誰よりもわかってしまったのは、確かに絵心があるからだろう。その事実を隠している姉が、鬱陶しくてたまらない。


「もう出てってくんない? 続き描くから」

「ええ。邪魔してごめんなさい。でも、無理はしないでね」


 百合が長い髪を揺らして退室するのを、じっと見送る。


 健気ぶりやがって、と毒づいて、あたしはサンドイッチを頬張った。ずり落ちてきた眼鏡を中指で押し上げ、絵の全体を見る。石の柱に囲まれた月を描いた油絵は、我ながら上出来だ。


 いつからだろう。この月彩シリーズが、呪われた絵画だと密かな噂になったのは。五作ある内の二作、それを買った二人がそれぞれ殺人事件――しかも未だ未解決――に巻きこまれたのが発端だったか。いや、一人は精神病院行きになったんだっけ。


 でも、そのおかげでいろんな意味で、あたしとこのシリーズの名は業界に知れ渡った。ギャラリーに飾られた他三作、蛇の海・賢者の海・泡の海を見に来る人も多くなったし、他の作品にも価値が出るようになった。


 呪いだなんてとんでもない。あたしにとっては幸運の象徴だ。だからあたしは、今日も月を描く。呪われた、忌まわしいとささやかれる絵画を。インスピレーションの赴くままに。

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