月にあらざる彩の女王
実緒屋おみ@忌み子の姫は〜発売中
1:月ニ魅入ラレテイル
あたしは今日も月の絵を描く。
小さな電灯を光源に、頭に浮かぶ心象をカンバスへぶちまけるようにして。赤や青、様々な色を乗せ、月を中心に、ストーンサークルみたいな建物を少しずつ、丁寧に紡ぎ上げていく。
油絵の大胆なタッチとその中に隠された繊細さ、両方を際立たせるのは難しい。それでもバランスを取ることと、止まらない手の動きを両立させるだけの技量が、あたしにはある。集中力も。
静かの海。
乾性油を塗って椅子にもたれかかった時、扉を控えめに叩く音がした。
「何、百合」
「コーヒー、持ってきたんだけど……
双子の姉である百合が扉を開き、中に入ってくる。手にはコーヒーとサンドイッチが載ったトレイがあった。絵を描いている時、あたしがそれしか食べないことを百合は知っている。
サイドボードにトレイを置いた百合が、絵を覗いて眉をひそめた。
「またその絵なの?」
「あんたってホント、馬鹿よね。これが一番有名なんだから描くに決まってるじゃん」
「そうだけど……私はあまり、好きじゃなくて」
「呪いの絵画って言われてるから? それともあたしの画風が?」
百合は困ったように笑った。どちらともとれる答えでごまかす、姉の常套手段。嫌気が差す。
「あんた、誰の絵のおかげで食ってるかわかってる? この風間家とギャラリーがあるのだって、あたしが絵を描いてるからよ。あんたは黙って経営だけしてりゃいいんだ」
「……そうね。薔子のいう通りだわ。私には絵心がないし」
殊勝ぶって俯く姉に、吐き気がした。最初に絵を描いていたのは姉の方だ。それなりに才能があったみたいだけれど、あたしがそれをぶち壊した。あたしはいわゆる天才肌。姉は、秀才。
今は亡き両親がギャラリー・ミサを立ち上げた時、いや、あたしが天才と知れ渡った時から、百合は絵を描かなくなった。あたしの才能を誰よりもわかってしまったのは、確かに絵心があるからだろう。その事実を隠している姉が、鬱陶しくてたまらない。
「もう出てってくんない? 続き描くから」
「ええ。邪魔してごめんなさい。でも、無理はしないでね」
百合が長い髪を揺らして退室するのを、じっと見送る。
健気ぶりやがって、と毒づいて、あたしはサンドイッチを頬張った。ずり落ちてきた眼鏡を中指で押し上げ、絵の全体を見る。石の柱に囲まれた月を描いた油絵は、我ながら上出来だ。
いつからだろう。この月彩シリーズが、呪われた絵画だと密かな噂になったのは。五作ある内の二作、それを買った二人がそれぞれ殺人事件――しかも未だ未解決――に巻きこまれたのが発端だったか。いや、一人は精神病院行きになったんだっけ。
でも、そのおかげでいろんな意味で、あたしとこのシリーズの名は業界に知れ渡った。ギャラリーに飾られた他三作、蛇の海・賢者の海・泡の海を見に来る人も多くなったし、他の作品にも価値が出るようになった。
呪いだなんてとんでもない。あたしにとっては幸運の象徴だ。だからあたしは、今日も月を描く。呪われた、忌まわしいとささやかれる絵画を。インスピレーションの赴くままに。
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