メスガキだと思っていたVの後輩が年上の好みのお姉さんだったので一目惚れしました

青白

第1話


  1


 生意気な年下のメスガキの印象だった事務所の後輩が、明らかに自分より年上でめちゃくちゃ清楚で麗しい雰囲気を纏っている女性だった。

 そんな稀有すぎる経験を、今、浜那須えな(はまなす えな)は不意打ちで喰らってフリーズしてしまっていた。

 どう思考回路を弄っても。いつもこちらを煽っては楽しそうにケラケラしている、でも素直なところもあってどこか憎めない子供のようなあの娘と、目の前にいる背の高い上品そうな女性とが結びつかない。

『えー、空似センパイ? さすがに秒殺すぎませんかー? よしか、強すぎちゃってごめんなさーい。センパイの顔立てようと思ったけどぉ、ムリでしたぁ』

 あのどこか舌っ足らずで、高めではあるけれど耳障りにはならない幼さを滲ませた声。ほんのりアニメテイストというか、世間一般で言う『メスガキ』というイメージの声は大体こんなものではないかというような響き。

「あ、えと……空似センパイ……? あの、初めまして……。そめいよしか、です。本名は、桜小春(さくら こはる)と申します……」

 やや舌ったらず感は薄まっているものの、この聴いている内に癖になってきそうなふわふわロリボイスは。正面に立ってどこか所在なさげにしている女性から発せられたそれだった。少しずつ、頭が理解してきた、気がする。

 この人は、あの娘だ。私の知っている後輩の、そめいよしかに間違いない。

「あ、この度は……。その、いつもお世話になってます……」

「こ、こちらこそ……? ほ、ほんとによしか、さんなんだよね? ……なんですよね? 初めましてじゃないけど、初めまして……?」

「空似センパイも……思ったより若い子で、びっくりしました……。女の子相手に失礼ですけど、おいくつで……?」

「一応、今年でハタチになりました……」

「わっか……っ、やっばぁっ。よしか、じゃなくて私、今年三十七です……」

「さ、さん……⁉ な、何かびっくりした、しました……。思ったよりずっと綺麗なお姉さんで……」

 ずっとお互い目を泳がせたままもじもじして、顔だけは合わせたまま。ずっとぎこちない会話にもなっていない言葉の応酬を続けている。

 メスガキの生意気な後輩だと思っていたのに、十七歳も年上のこんな綺麗な人だったとは。正直年齢うんぬんより、街ですれ違えば絶対振り返ってしまいそうな容姿端麗なその雰囲気に圧倒されてしまっている。

 おとおどしているのに佇まいから美麗さが漂っていて、何ならえなよりも背が高い。長い黒髪はさらさらのつやつや。青色のストライプのロングスカートのワンピースが良く似合っていて、ウエスト部分を絞ったベルトがスタイルの良さと腰の高さを強調させている。ついでに、バストのまろび落ちそうな豊かな膨らみも。自分のすとんとした寂しい同じところをつい見下ろして、一瞬絶望しそうになった。久々に人生に。

「空似さん! ごめんなさい、案件の打ち合わせは事務室じゃなくて別室で……あ……っ」

 慌てて飛び込むように事務室の中にやってきた、えなのマネージャーをしてくれている秋月茜(あきづき あかね)が向かい合っている自分たちを見て色々察した顔で固まってしまう。どうやら、彼女にとってもまずい状況らしい。いや、まずいとかそういうことではないんだけど。どちらかというと、気まずい。

「そめいさ……こ、小春さん! すみません、こちら側のミスでお二人の打ち合わせの時間帯を重ねちゃったみたいで……! と、とりあえず空似さんは別室に……! 小春さん、お疲れ様です!」

「で、では私はこれで……っ。お疲れ様でしたー……!」

 茜に促されるまま、よしか──小春は深々と頭を下げるとダッシュで事務室を出て行った。ヒールだったためか、途中廊下で二度ほど転びかけて、思わずえなは一旦追いかけた方がいいだろうかと心配になる。

「すぅー……。……あの、空似さん。案件配信の打ち合わせの前に。色々とご説明の時間をいただいても、よろしいしょうか……?」

 約一年半ほど。彼女とはバディとして一緒に色々な山場を乗り越えてきたつもりではあるが。血の気を失って本当に頭を抱えてしまっている彼女を見るのは初めてだった。残業続きで疲れていそうな時も、ここまで真っ青になっていたことがあっただろうか。

「……めちゃくちゃよろしくお願いします」

 そんな茜を気の毒に思いつつも、えなは自分のカオスな現状を把握しておきたくてすぐさま頷いた。


  2


「実は小春さん――もうごまかせないので言ってしまいますが、そめいよしかさんから。空似さんとリアルで直接顔を合わせるのはNGと言われておりまして……。びっくりされるだろうからと」

「で、でしょうね……」

 小規模の会議室。パイプ椅子に座り向かい合った茜のやや疲弊した声に、えなは頷く他はない。

「あ、マイナス的な感じで驚いたとかそういうんじゃないんです! ただその、声とかVアバターの感じと違って綺麗めな清楚系お姉さんでびっくりしたというか……」

 慌ててえなは付け加える。本当に言葉通りの意味だった。

『あっはぁっ。センパイってこのゲーム上手だって言ってませんでしたっけぇ。よしかと協力プレイじゃないとクリアできないんじゃないですかぁ? ざっこぉ……?』

 脳内を鮮明にフラッシュバックする、そめいよしかの声。そして片方に八重歯の生えた、煽り属性の高そうな桃色が基調のサイドテールのメスガキ然とした彼女のVアバターの姿。ついでにせせら笑うような表情。

 それら全てが、先ほど顔を合わせた綺麗な年上のお姉さんと結びつかない。それも自分より、十七歳も年上だと言う。あの清楚な感じからあのメスガキ声が出ていたのは、夢だったのではないかと疑うほどに不釣り合いだった。でもどうやら、現実だったらしい。

 茜は重々しい表情のまま小さくため息をついて続ける。

「……そうですよね。私も最初にお会いした時は驚きました。てっきり十代くらいの子かと思ってましたし。……と、こんな話はいいですね。とにかく今回のことは本当に、申し訳ありません。そめいさんと他のスタッフの打ち合わせがあったことも知らず、私が空似さんを事務所にお呼びしたばっかりにこんなことに……」

「いや、あたし的にはそれはいいんですけど……」

 えなが懸念しているのは、小春、もといよしかのことだ。彼女はおそらくえな以上に今回のことにショックを受けているのではないか。

 つまり今後の配信活動に、ないしは一緒にする配信に、影響が出るのではないか。現に今、次によしかと配信する時のことを考えると、えなは少し気まずさを覚えている。

「配信への影響ですよね……。本当に申し訳ありません。そめいさんにも後で丁重にお詫びいたします。私の不手際です

「私よりも、よしか……小春さんのアフターケアをよろしくお願いします。あの子……人の方がショックが大きかったでしょうし、個人配信にも、それこそメンタル的にも何かあったらいけませんから」

「……はい。心得ています」

 きっちりえなが釘を刺すと、茜は重く受け止めてくれたようで再び深く頭を下げた。彼女が誠実なのはこの一年半の付き合いでよくわかっているつもりだが、やっぱり心配だった。あの子はメスガキではあるけど、結構メンタルは脆めだという感触があるから。……いや、やっぱり中の人があんなに綺麗な大人な女性という感覚が未だに馴染まない。えなの中でも彼女は、「そめいよしか」はまだ年下のメスガキな後輩という印象が拭えなくなってバグっていた。

「そめいさんには私からも、事務所の方からもきっちり謝罪させていただきます。アフターケアも滞りなく。……失礼しました。空似さんには、次の案件の打ち合わせで来ていただいてたのですよね。お待たせいたしました。いくつかお話を企業様の方からいただいておりまして……」

 仕事モードに切り替えた茜がタブレットの画面をこちらに差し出しながら、案件内容の並んだ資料を見せてくれる。

 えなも一応はそれに目を通して茜の要約した話に耳を傾けつつも。さっき対面したよしか、もとい、小春のことがどうしても頭から離れなくて困ってしまった。


  3


 えなは、Vライバーとしてネット上を中心に活動している配信者である。

 いわゆる『Vtuber』とは異なり、ネット世界に住まう彼彼女らに対してえなたちVライバーは現実にも生身を持ち、電子世界に行く時はアバターを介して配信しているという設定がある。人間でもあり、キャラクターでもあるというコンセプトが、えなの所属する事務所「レゲボゲ」のVライバーの指針だ。

 えなは『空似ライメイ』というアバターで配信をしている。青髪に、雷鳴のイメージで金色のメッシュが散らされていているウルフカットの2D女性アバターだ。身長はえなより少し盛ってもらって、格好いいキリッとした容姿にしてもらっている。細身でスタイルもいい。全体図を配信画面で出すことは滅多にないけれど。

 えな自身は、女性の平均身長よりやや低め。ちんまりしていて可愛いだの、バイトしていた居酒屋で男性スタッフに揶揄われたりセクハラされたりすることも結構あってうんざりしていた。

 だが声は、ややハスキーで低め。それが歌に乗ると、格好良く映えることをえなは自負していた。歌うことも大好きだし、よく友人たちからは褒めてもらえていた。

 だから現実の容姿に囚われないVアバターを介しての活動は、結構自分にとって功をなしたのではないかと今は思っている。まあ、活動が波に乗るまで色々苦労はあったけれど。

 だからいつかは音楽を中心にした活動を精力的にしてみたい。元々そのつもりで東京まで出てきた。ゲームや雑談、普段しないことをして配信するのは嫌いではない。が、やっぱり本格的に音楽に携わりたい。現状は、歌配信や歌ってみた動画を時々出すので精一杯だが、いずれは。

 事務所の後輩である『そめいよしか』とのデュオ配信も、ここのところは頻度がかなり増えてきていたのだけれど。

「じゃあ今日はおつにー。明日の案件、頑張るからねー。みんないい雷鳴の夜を!」

 締めの挨拶をして、えなは配信停止のボタンをクリックする。デスクトップに表示されている時計を見れば、深夜零時を過ぎていた。軽い歌配信と雑談のつもりだったが、思ったより楽しんでしまった。付き合ってくれる視聴者に、えなはモニターに向かって手を合わせる。同時接続数は今日も千人を超えていた。おかげでえなも、配信活動だけに専念出来るまでになっている。バイトもしなくて済むようになった。

(……あの子はまだやってるかな)

 たった今自分も使っていた配信サイトの登録チャンネル欄に飛ぶ。すぐ『そめいよしか』の配信枠が見つかり、しっかりライブ中の文字も赤く彩られている。えなが配信を始める前から彼女の枠は開かれていたから、かれこれ四時間以上は続けていることになる。

 サムネは今流行っているローグライクのアクションゲーム。よしかはそのシリーズが大変お気に召しているらしく、新作が出るたびに発売日の零時に配信をしながらプレイしている。えなが眠って起きると、まだ彼女の枠が稼働していた時はさすがに驚かされた。

 彼女は好きなものに対しての集中力が凄まじく、体力もあるロングランナータイプの配信者なのだ。アーカイブのことなどを考えて三時間くらいの配信を限度にしているえなにとって、彼女には驚かされるし尊敬の念さえ抱いている。

 そんなストロングな配信スタイルというのも、えなが彼女を自分より年下かもしれない生意気な後輩と誤認してしまった要因ではあるのだけれど。やっぱり一番の理由は。

「よっしゃあーっ! 撃破ァ! 今の動きすごかったっしょ! らくしょーすぎて逆にびびっちゃったんですけど、よしかぁ。……はぁ? このボス倒すのに二時間くらい掛かってた? あー! 別の配信見てたんじゃなーい? 他の女と間違えるとか、咲ラッコさんたちってばほんと記憶力雑魚過ぎない? ざぁこ、ざぁこ」

 配信を開いた途端、崩れ落ちる巨大で禍々しい敵キャラと、八重歯剥き出しでせせら笑うよしかのアバターの表情と。そして癖になる高めで甘いボイスがえなの脳に飛び込んでくる。

 正直この激甘ロリボイスでこの煽りを聞きたいがために、ツッコミコメントを書き込んでいる人もいるだろう。気持ちはわかる。すごくよくわかる。

 そしてすぐえなの脳裏には、事務所で邂逅したお淑やかなで大人の女性、という雰囲気が散りばめられた中の人──小春桜がしどろみどろになっている姿がフラッシュバックする。

「ッ~~~~……! ぁあぅあッ……!」

 感情が迸って、声にならない声が頭を抱えて天井を見上げるえなの口から溢れる。顔が熱い。色々やばい。今すぐこの気持ちを発散しないと、おそらくそのままあたしごと爆発してしまう。

 よしかの配信は一旦切り、えなはDiscordを起動する。一番上に表示されたフレンドのメッセージに、「ごめん、今話せる?」と素早く打ち込んで送信した。今日は金曜日。深夜とはいえ起きているかもしれなかった。ダメそうなら潔く爆発しよう。

 すぐに「いいよ」と返信が来た。すぐさま、えなは通話を掛けている。

「はい。なしたの? また視聴者から変なコメント書かれた? やなリプ見ちゃったの? どうかした?」

 通話が繋がるなり、相手側は軽い感じで矢継ぎ早に尋ねてくる。慣れ親しんだ女の子の声。えなの小学校からの幼馴染である、白椛茉子(しらかば まこ)だ。

 えなが東京に出てきてからも、地元の大学に通っている茉子にたびたび通話しては悩みや愚痴を聞いてもらったり慰めてもらっていたりした。彼女なしに、今のえなはあり得なかったと言っても過言ではない。

 えなの脳内を一瞬で言うべきことがぐるぐると巡り、今の自分をざわつかせている状況を端的に説明できる言葉を探る。探る。探る。

 が、見つかる前に感情が先走って口走った。

「惚れたッッ!!」

 心の底からでかい声が出た。言ってからえなは、自分でも納得してしまう。

 ああ、そうか。あたし、一目惚れしちゃったのか。いやこの場合は一目惚れの定義に入るかは謎だけれど。

 ちょっとした沈黙の後。イヤホンから大きなため息が聴こえてきた。どうやら今の一言で全部茉子は察してくれたらしい。さすが。結果的に端的に伝えるのには成功したようだ。

「……えな。あんた、またどっかのノンケのこと好きになったの? 惚れっぽいの、いい加減直した方がいいと思うけど。……で、相手誰? この前は配信やってたら出会いなんてないって嘆いてなかった?」

 呆れつつも心配しつつも、やや興味ありげに茉子は尋ねてきてくれる。ちゃんとこちらの話に前のめりになってくれる彼女、一生信頼できる。

 が、さすがに今回の件は言うべきか少し悩んでしまう。少々事情が混み合っている。いや、混み合いすぎている。

 だが結局、えなは覚悟を決める。今言わないと終わる。たぶん勢いで告白してしまう。かも。

「じ、実は……じ、事務所の、こ、後輩、でぇ……」

「はぁああ!? よりによって!? あんたんとこの事務所ってあんたとその後輩の子二人きりなんでしょ? どう考えてもやばいでしょ。てか、年下っぽくて後輩としてはいいけど恋愛対象にはなぁー、とか前に言ってなかったっけ?」

「それが色々と事情が変わりまして……」

 えなはつい先日、後輩であるよしかと偶然顔を合わせてしまった出来事を説明する。何よりもこのアクシデントの中で、声を大にして主張しておきたいことがある。

「だって反則すぎるでしょ……! あの甘々メスガキボイスが、あんな立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花みたいなお姉さんから出てるって考えるだけで良すぎるでしょ! がっつりあたしの心にぶっ刺さっちゃったんだけど! むしろこれで恋しちゃわない方がおかしくない? おかしいよね!」

「うるさ。あんたのオタクな部分出過ぎてるって。情報量が色々多すぎるけど、えな年上の綺麗な女好きだもんね……。しかもギャップ萌えも併発してるし、そりゃリアル対面惚れもしちゃうか」

「さすが茉子ぉ……。言いたいこと全部察してくれる。どうしたらいい? あたしどうしたらいいかな? あの子の配信見るだけで、もうなんかたまらなくなっちゃって悶々するんだけど! これってやっぱ、一目惚れかましちゃったよね……。どうしよぉ……」

「まずは君が落ち着け」

 茉子に促され、えなはデスクにあるペットボトルの水を口に含んで一度深呼吸する。……よし、落ち着いてきた。気がする。

「……落ち着いた? どう、まだ一目惚れっぽい?」

「……うん。ありがとう。おかげさまで冷静でも一目惚れって思い知った。これ、完全に恋です」

 もう一回大きく息を吸ってから、えなは迷いなく言い放つ。そう、これは完全にその感覚だ。

 寝ても覚めても、よしかのことを考えてしまう。たった少しの間。事務所で対面したあの瞬間から、もうよしかは。小春は。生意気ではあるけれど放っておけない後輩というだけではなくなったのだ。少なくとも、えなにとっては。

 再び、イヤホン越しに大きなため息。ダメだこりゃ、というニュアンスではなく、OK把握した、という意味合い。

「で、えなはどうしたいわけ? その後輩ちゃん? 後輩だけど年上さんと。ややこしいな関係性が」

「んーと、今自分の気持ちに気づいたっぽいから、正直付き合いたいとかよくわかんない。でもまぁ、これからもよしかとは、仲良くしていきたいとは思ってる。……でも今、実はちょっと気まずくてさ」

「だよね。えなだけっていうより、向こうの方がむしろ遠慮してる感じでしょ。ここのところコラボ配信全然してないよね」

 相変わらず茉子の察しの良さには舌を巻く。図星だった。

 よしかのほうから配信のお誘いが来ることもここ一ヶ月くらいないし、えなも微妙な気まずさを覚えて送れていない。Discord上でのやりとりも事務所の邂逅以来途切れてしまっている。原因は明白だった。

 ちなみにこうなる前は、一週間に三回はコラボ配信をしている。目に見えて途絶えてしまっているのだ。

「言っとくけどえな、結構深刻な事態だと思うよ。今後の活動に関わるような。あんたとよしかちゃん、コンビで活動してるって印象だから。私たち視聴者側からすると」

「だよねぇ……」

 同じ事務所に所属している、二人きりのVライバー。コンビと捉えられても当然だし、実際持ちつ持たれつで、ここまで来たようなものだ。これからも、そうでありたい。こういう時茉子はびしっと言ってくれるから、本当に助かる。

「すぅっー……これは、ある程度荒療治に出た方がいい感じっすよねぇ……」

「そうだね。通話じゃなくて、メッセージでね。これがダメそうなら、別の方法を探ろう。あと、ちゃんと事務所から許可を取ること。私と通話が繋がってる今、行動して。ほら、早く早く」

「はぁい……」

 茉子にしっかりと通話を繋いだまま見張ってもらいつつ、とりあえずえなは事務所に送る業務連絡の文を打ち込み始めるのだった。


  4


 そして今日、えなは。喫茶店にて、席に付いてドギマギもじもじと約束の時間が来るのを待っていた。

 待ち合わせの時刻は十六時。人で混み合うランチの時間帯と、よしかの生活時間帯のことを考えて遅めになった。彼女は深夜遅くまで。下手をしたら夜から翌日の昼まで連続配信していることもあるので、朝方の人の生活形態から大きく外れている。本人も自虐気味に「完全に昼夜逆転してて、打ち合わせの時間を夜にされたんですけどぉ」と前に配信でこぼしていたことがある。

 そう、今日はよしかと、完全にオフでの待ち合わせなのである。彼女の声は特徴的すぎるので、一応個室のある喫茶店を選んだ。入店時に確認したけれどそれなりに人もいて、声を紛れ込ませるには十分そうな雰囲気だった。まだえなもよしかも大手ライバーという程ではないが、身バレ対策を講じるに越したことはない。

『よしか! よしかが良かったら、ちゃんと話し合おうよ! あえてオフで! その方が通話よりは本音で話し合えると思うし、あたしは諸々全然気にしてないから! 都合がいい時教えて!』

 事務所にちゃんと許可を取って、よしかにメッセージを送ったのはついこの間のこと。事務所から間接的に伝えてもらうより、こうした方が彼女の意志に委ねられると思ったのだ。彼女が通話がいいというならそれでもいいし、とにかく話がしたい。

 このまま、疎遠になっていくよりは。お互い覚悟を決めて腹も割って顔を合わせた方が絶対にいいと思ったのだ。自分たちのリスナーたちも、エゴサをすると急にコラボ配信が途絶えたことがあからさま過ぎて心配の声をちらほらと上げていた。このままではいけない。

 返信が来ない可能性も想定していたが、意外にも一時間以内に彼女からの返事は来た。

『お願いします。出来れば、あんまり朝早くないと助かります』

 彼女らしからぬ固い敬語文章で、それでいて朝起きれないことを自認している彼女らしさも出ていて思わず笑ってしまった。

 そして今、えなは緊張しつつもよしかが来るのを待っている。朝起きた時から落ち着かな過ぎて、つい一時間も早く来てしまった。とりあえずブラックコーヒーを頼んだが、あまり喉を通らずほとんど冷めてきてしまっていた。

 彼女が待ち合わせをブッチする可能性は考えていない。彼女はそんなことをするような子ではないことは、ここ半年の付き合いでよくわかっている。

 問題は。

(……あたし。よしかの生身とボイスを直接喰らって、平常心でいられるか?)

 言うならば、中の人である小春の姿と、よしかとしてのメスガキ然とした声を同時に知覚して。ちゃんとした話し合いに臨めるかということである。小春のよしかのタイプ過ぎる容姿と、よしかの甘めのロリボイス。正直どっちも、えなにとっては劇物すぎる。どっちも好ましすぎて、頭が情報を処理切れずにショートする恐れがあった。

「……おまたせ、しました」

 時間確認のために何度もスマホをそわそわと確認していた頃。個室の入口の方から、聞き馴染んでいるが、少し低めのロリボイスが聴こえてきた。

 目をやる。表情には出さないようにしたが。やっぱり魅入る。

 ライトブルーのパフスリーブのシャツに、黒いふんわりとしたロングスカート。背の高さとスタイルの良さも際立ちまくっていて、前に枝垂れた黒髪は相変わらずキューティクルが活き活きしている。

 やや所在なさげに俯きがちにこちらを窺う表情は、彼女の淑やかな顔立ちからすると幼いが、それがむしろギャップになっていていい。可愛らしさと美しさって両立するんだ、と知見を得てしまった。

 スマホで一瞬時計を確認。約束の時間の三十分前だ。彼女もどうやらいてもたってもいられなくて早めに来てしまったらしい。

 一瞬立ち上がりかけたが、あえて座ったままラフに彼女を席に招こうと思ったら。いきなりよしか──小春が勢いよく頭を下げてきた。

「センパイ──空似さん──浜那須さん。この度は本当に申し訳ございませんでした!」

「えっ、あ、ちょっ……⁉ なになに⁉ どしたの急に⁉」

「あれから全然連絡とらずに、気を遣わせちゃって……。今回のことも、本当なら私から場を準備するべきだったのに……。何から何まで、本当にご迷惑をおかけして……」

「ま、待ってよしか──小春、さん? あたしはそんなこと気にしてないし、むしろ小春さんだって色々大変だったというか……。とりあえず、一旦落ち着こう? ほら、席に着いて、コーヒーでも呑んでリラックスしてさ」

 立ち上がったえなはいたたまれず頭を下げたままの小春の傍に寄ったが、あまりにもいい匂いがして寄り添えず中途半端な位置で行き場のない両手を彷徨わせた。ヘアミストかシャンプーか、それとも彼女自身が常に纏っている香りなのか。主張しすぎないその芳しさがまるでバリアのようにえなを近づけさせない。これ以上近づいたら、惚れる。もっと惚れてしまう。

「し、失礼いたします……」

 何だかんだで適切な距離を保ったまま、小春を向かいの席に座らせることに成功した。えなも自分の席に腰を落ち着けつつ、密かに深呼吸。また小春のいい匂いがして意識が搔き乱されそうになり、必死に自分を律する。

 落ち着け、浜那須えな。大事なのはここからだ。その恋の高鳴りと勘違いしそうな心臓の脈動をどうにかしろ。どうにか言葉を発せられるまでになった。あまり長い間黙っていたら、向こうはもっと気まずくなってしまうだろう。彼女に余計な心労は掛けたくない。

「え、えと小春さん。ちょっとやりにくいので、ネットと同じ感じでこれから話してもいいですか? ここ個室だから、誰かに聴かれる心配もないし」

 お店の人が小春の注文したコーヒーを持ってきてくれた後。ぎこちない日常会話で間を埋めていたえなはようやく本題に入る。目の前の小春と、脳内のよしかで頭がバグって敬語になったりならなかったりしてしまったが、これから彼女を後輩のよしかとして接したい。

「は、はい。大丈夫です……」

 小春自身はそう返事してくれたものの、まだいつもの感じと隔たらずにはいられないらしい。そりゃそうか。こちらだけでも、この硬い空気をほぐしたい。よし、と気合を入れて、えなは口を開く。

「……よしか。さっきも言ったけど、あたしは何も気にしてないし、よしかが悪いと思ったり、引け目とか感じる必要はないと思ってる。だからいつもと同じように空似ライメイとそめいよしかとして。これからも一緒に楽しく、活動していきたいな」

 ぎくしゃくとコーヒーを口に運んで一息ついた様子の小春に、えなはにこやかに笑いかけた。

「せっかくネットの世界ではVアバターの姿で活動してるんだからさ。リアルでも同じ感じでも、問題ないじゃんね? 改めて、あたしと一緒にネット世界の頂点目指してくれる? よしか。そこからの景色、二人で見ようよ」

 自分のコーヒーをぐいっと一気に飲み干して。少し腰を浮かしたえなは、コーヒーカップを置いた小春に向かって軽く手を差し出す。

『あたしと一緒にネット世界の頂点目指してくれる?』はDiscordで初めて通話した時に、小春に──よしかに伝えた言葉だった。

 事務所のオーディションに受かった直後で、緊張気味だった初期の彼女も、今思えばこんな感じでぎこちなかった。それをほぐす為に、あえてちょっと大げさなことをおどけた感じで言ってみせた。大げさでおどけていたけれど、嘘じゃない。まだ麓までたどり着いていない見上げているだけの高みに、いつか彼女と一緒に立ちたい。お互いの好きなことで。それだけは彼女と出会ってから、ずっと変わらないえなの夢だ。

 ふと、小春が小さく吹き出した。それから口元に手を添え、上品に肩を揺らしてくすくすと笑う。

「……センパイ。ずっとそれ言ってる。ほんと、漫画みたいなこと言うんだから。主人公補正狙いすぎ」

 今のは、よしかの声だった。淑やかな彼女の顔に、いたずらっぽい子供のような笑み。……ぎゅんっ、とえなの胸の内側が聞いたことないような音を立てた。

 それは反則。あまりに反則過ぎる。だがあえて表面上は、えなも見栄を張りまくって笑みを返してやる。

「だって主人公だもん? よしかもそうでしょ? 一緒に最底辺から頂点まで駆け上がる筋書き、実現しようぜ?」

「……はい。私もやっぱり、まだセンパイと一緒に活動したいです」

「ほら、もっとよしかのいいとこ出して?」

 まだほぐれきれていない彼女にそう言うと、彼女はにやっと不敵な微笑みに切り替えて、えなの差し出した手を握り返してきた。

「……ほんと。センパイってば、よしかがいないとダメなんだから。ザコ、だねぇ……?」

 ぎゅぅううん。胸がチェーンソーの稼働音みたいに弾んだ。言った後に「ちょ、ちょっと調子に乗りすぎましたかね、センパイ……?」とこちらを窺う上目遣いも、大人びた雰囲気と不釣り合いの少女のようで。

(茉子さん助けて……! 俺この娘好きになっちまう……!!)

 とりあえずハプニングの収拾はついたっぽいけれど。新しい問題が、えなの火照った頭を悩ませるのだった。

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