二人とも
ボロい宿屋の部屋は、やはり相応にひどいものだった。
小さなベットと欠けたテーブル、ぐらぐらの椅子が置かれているだけだ。
宿主から借りた毛布を敷けば足の踏み場もないくらいだろう。
ベッドもひどいもので、ヘスティアが腰を下ろしただけでギシギシと大きな音を立てる。
まあだが、やはり野宿よりはマシかと軽く息をついた。
「…………そんなところにいないでさっさと座りなさいよ」
「…………そう、だね」
ドアの前で立ち尽くしていたアルフォンスに声をかければ、彼は居心地が悪そうにしつつも毛布の上に腰をおろした。
「………………」
「………………」
沈黙である。
二人の間に漂うなんともいえない空気感に、ヘスティアは口の端をむにむにと動かした。
そういえば夫婦となって少しは時間がたったけれど、こうして二人一緒の部屋で夜を過ごすのは初めてだ。
本来なら結婚初夜であれやこれやがあったはずなのだが、この二人の間にそれはなかった。
そう思うとなんだか変な気分になるなと、部屋だからと出していた尻尾がゆらゆらと揺れる。
「…………あの、一つ聞きたいことがあったんだけど、いい?」
「へあぃ!?」
「だ、大丈夫?」
「………………だいじょうぶよ」
いや、ぜんぜん大丈夫じゃない。
むしろ今のへんてこな返事のせいで緊張に恥まで追加された。
なんだこれ最悪すぎるだろうと、ヘスティアはアルフォンスの方を向くことはできないでいる。
だがそれを気にしてはいないのか、アルフォンスは話の続きを始めた。
「魔王って、人間のことをどう思ってるの?」
「――はい? 魔王? 人間って……なにが聞きたいわけ?」
どう思っているか、なんて抽象的なことを聞かれてもうまく答えられる自信がない。
だから改めて聞いたのだが、アルフォンスはその問いに少し慌てた。
「いやごめん。なんというか……俺も魔王に会ったのは最後戦いのときだけだったから、彼についてよく知らないんだ。人間を嫌っているはずなのに、大切な娘をお嫁さんにくれたわけだろう? だから……どんな人なんだろうって思ってたんだ」
お嫁さんって言いかたがかわいいな、なんて頭の隅で思っていたことをすぐに消去、ヘスティアは腕を組んだ。
つまり彼は魔王のいろいろを知りたいわけで、それをうまく聞き出せずにあんな聞き方をしたらしい。
全く世話のかかる夫だなと、ヘスティアは彼のほうへと向き直した。
「魔王は確かに人間嫌いよ。理由は簡単、彼もまた大切な人を人間に殺されているから」
「…………その、大切な人って」
「……………………私の母親」
「――、」
なにもそんな絶望的な顔をしなくてもいいのにと、ヘスティアは笑ってしまう。
正直わからないのだ。
母親が亡くなったのはヘスティアが幼い頃で、肖像画は見たことがあれど、そのぬくもりや優しさを覚えてはいない。
だから父である魔王ほど、その死を悲しむことも恨むこともできないでいた。
薄情かも知れないけれど事実なのだからとアルフォンスに伝えれば、彼はまた顔を曇らせる。
「…………ごめん」
「あなたが謝ることじゃないわ。それが戦争でしょう?」
「………………そうだね。そのとおりだ」
まさかそんなに悲しそうな顔をされるとは思わなかった。
別にヘスティアにとっては過去のことであり、怒りはない。
魔王も思い返すと腸の煮えくり返ることもあるかもしれないが、それがずっとではないのだ。
思い出は薄れていくもの。
でもそれでいい。
だからこそ、人は前を向くことができるのだから。
「だから魔王は人間が嫌い。たぶんきっかけがあれば簡単に人を滅ぼすわ。けれど……そうね、今はあなたがいるもの」
「――俺?」
「自慢じゃないけれど、私これでも魔王に愛されて育ったの。……忘れ形見だったこともあってね。そんな私を嫁に出したのよ? ……あなたのこと、本当に信頼してるんだと思うわ」
「…………そ、うなんだ」
実際アルフォンスだから魔王は和平を受け入れたし、この世界は平和に向かって歩みを進めることができたのだ。
「まあ、だからそうね……。あなたが私を邪険に扱わない限り、魔王が人間たちに手を出すことはないと思うわ」
「……もちろん。君を大切にするのは当たり前だよ。それは魔王がいるからとかじゃない。君が、素敵な人だからだよ」
「あ、あんた……っ、小っ恥ずかしいこと言うわね」
「そうかな? 君も中々だと思うけど」
「は? 私はそんなこと言わないわよ」
「――自覚ないんだ……」
なんだその言い方は、とムッとすればアルフォンスはにこりと笑う。
まるでその笑顔で許してもらおうとしているかのようで、ヘスティアはさらに顔を歪ませた。
「……あなた、なんか図々しくなった?」
「え? そう? だとしたら花嫁様が優しいからかな」
「――あーもういい! 寝る!」
せっかく話をしてあげていたというのにもういいと、ヘスティアは薄汚れた毛布を頭まで被った。
もうこのまま寝てしまおうと思っていると、そんなヘスティアを見ていたアルフォンスがぽつりと呟く。
「ほんと、可愛いなぁ」
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