はじまりはじまり

 この世界は人間界コルアスと、魔界エリュオンの二つに分かれている。

 幾度となく争いを繰り返していた両国は互いを敵と見做し、日々憎しみを募らせていた。

 特に人間たちは。

 強靭な身体に強力な魔力。

 数多の魔法を駆使し襲いかかる魔族の前にただの人間はなす術なく、虐殺を繰り返されていた。

 嘆く人々は神に願う。

 どうか魔族たちに立ち向かう力を与えて欲しいと。

 そんな願いを聞き届けてくれたのか、コルアスに一人の勇者が誕生した。

 彼は魔王アルバートを倒すべく立ち上がり、仲間たちと共に旅をしている。


「って話なんだけど、知ってるよね?」


「……知ってる。けど楽しいから次! 話して!」


 わくわく、と瞳を輝かせているのは、平民の格好をした少女である。

 彼女は自らをティーと名乗り、目の前の旅芸人と思わしき男の話を食いつくように聞いている。

 男もまたそんな彼女に自らをフィンと名乗った。

 二人はたまたまとある田舎町で出会った、赤の他人である。


「ティーは勇者が好きなの?」


「いいえ全く。興味もないわ。けどフィンが話すのはなんか好きなの。……悪い?」


「いいや。可愛いなって思っただけ」


 彼からしてみれば賛美として言ってきたのだろうが、ティーからすればただの戯言にしか聞こえなかった。

 なのでその言葉をまるっと無視して、早く続きをと急かす。

 彼は嫌な顔一つすることなく、勇者のこれまでの功績を淡々と話してくれた。


「その村は救われたの?」


「うん。でも今だけだ」


「今だけ? どうして?」


「魔族がまた襲ってくるかもしれない。彼らは人を人として見ていないから……」


 そんなことはない。

 彼らの中にも人に対して友好的に思うものもいる。

 人間の中にもそういう人がいるように。

 だけれどそんなことを、ティーの口から言えるわけがなかった。

 彼女は人間なのだから。

 ただなんとなく悔しくて、気づいた時にはフィンに疑問を投げかけていた。


「あなたもそう思うの? 魔族は全て残虐だと」


 ティーからの質問にそっと顔を伏せた彼は、どこか悲しげな表情で膝を抱えた。


「…………どうだろうね? 旅をしているとたくさんのものを見るよ。その中にはもちろん魔族の悪行もあるけど、同じくらい人間の醜さも見えてくる。魔族を家畜のように扱う人間だって、中にはいるんだ。一概に魔族だけが悪いとは、言えないよ……」


「私もそう思うわ」


「――え?」


 ぱっと顔を上げた彼は、目を見開いてティーを見る。

 彼女はまるで日常のなんてことない会話のような、そんな軽いノリで答えた。


「人間だからとか魔族だからとかじゃないのよ。そいつがやることはそいつの責任なの。それを種族ってでっかい区切りで考えるのはアホのやることよ」


「……ティー、君は……魔族を、許すというの?」


「許す? あのね、もう許す許さないの次元じゃないでしょ。このままじゃ、最後にはどっちも消えてなくなるわよ」


「……そう、だね。その通りだ…………」


 呆然としつつもこくりと頷いたフィンに、なんでそんなに惚けるのか不思議に思った。

 別にティーは変なことは言っていない。

 そう思うからそう伝えたのに、彼はうん、そうだね、と何度も頷く。


「……なによ。私そんなにおかしなこと言った?」


「――ううん。とっても素敵なことだよ。……ありがとう。勇気が出たよ」


 なんでそこで勇気が出るのか全くもってわからないが、まあ多少なりともフィンにとって良いほうにいけたのならいいかと立ち上がった。


「そろそろ戻らなくちゃ」


「ティーはこの町の子なの?」


「違う」


「じゃあどこに住んでるの?」


「…………他人に教えるわけないでしょ」


「あ、そうか……」


 見るからにしゅんっと落ち込んだフィンを見て、良心が痛まないわけがなかった。

 うぐっと息を詰まらせたティーは、己の頭をぽりぽりとかいた。


「…………また、私から会いに行くから」


「――本当?」


「た、旅をしてるんでしょ? 私も……そうだから」


「女の子一人で? それは危険すぎない?」


「さ、さすがに仲間がいるから大丈夫! じゃあね!」


 これ以上深掘りされると面倒だと急いでその場を後にする。

 急ぎ町の端っこにある人の住んでいない家の裏へと行くと、周りに誰もいないことを確認した。


「……大丈夫そうね」


 そっと目を閉じれば、彼女の姿は一変する。

 ティーの朱色の髪は桃色に変わり、瞳も薄いピンクからガーネットのような赤色へと変化を遂げる。

 髪と目の色が反転したその姿こそティーの、いや、ヘスティアの本当の姿であった。

 バサリと音を立てて背中から悪魔のような翼が生えると、あっという間に天高く飛び立つ。

 ふりふりと揺れる黒く艶やかな尻尾は、空中での不安定な体重移動を支えてくれている。

 ヘスティアの移動速度を待ってすれば、人間界と魔界などものの数分の距離である。

 あっという間に魔王城へとたどり着くと、彼女を出迎えんとたくさんの使用人たちがいた。

 彼らは一斉に頭を下げて、礼の限りを尽くす。


「「おかえりなさいませ、姫様」」


「――ただいま」


「お風呂の準備はできています。お食事はいかがなさいますか? 姫様のお好きなフォティンのタルトをシェフが作っておりますが、お茶になさいますか?」


「んー……お風呂」


「かしこまりました!」


 勝手知ったる様子で魔王城を歩く。

 当たり前だ。

 生まれた時からこの魔王城で育ち、そしていつか来るかもしれない遠い未来、ここはヘスティアのものになるのだから。

 そう、ティーことヘスティアは魔族の姫。

 魔王のたった一人の娘なのだ。

 そんな魔族の中の魔族である彼女がなぜ人間界にいたのか、それはただの趣味だった。

 知らないものを知ろうと人間に化けて遊んでいたところ、あの男に会ったのだ。

 旅芸人のフィン。

 また見つけたら遊んでやろうと、ヘスティアは使用人たちを引き連れながら笑う。

 彼女にとってはただの暇つぶしだ。

 ――そう、思っていたのに。

 この時の彼女は知らないのだ。

 逢瀬を重ねるごとに募っていく想いを。

 会いたいと恋しく思う日々を。

 共に語らい笑い合う日々の喜びを。

 恋心は募りに募り、大輪の花を咲かせたその時、全てを思い知るのだ。


 ――あの男の正体を。

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