異聞三国志【夢幻の狭間】

七海ポルカ

第1話


 朝早く、丹陽たんよう太守である養父の居城から、建業の城に戻って来た周瑜は一度自室に戻って旅の装いを脱ぎ、着替えを済ませてから外に出た。

 建業の城は広大だ。

 孫策の居場所を探そうと思って、一人で探しきれるものではない。

 政務を行う行政区に行っていればこの王と王妃の居城からは遠すぎるし、軍務を行う軍務区に行っていても、ここで名を呼んでも意味はない。

 しかし、公務を行っていない場合の孫策の居場所は、いくつか心当たりがある。

 周瑜は夫婦の私室からのみ行ける、庭へと向かった。

 回廊を歩いて、眼下に広がる空中庭園を見下ろしながら、その姿を探した。

 出迎えた陸遜が、孫策が部屋に下がっていると言っていたからだ。

 来る途中寄った部屋に彼はいなかったので、ここかなと思ったのである。


 空中庭園は真っ白な雪に覆われていた。

 

 ここはどの季節でも花が咲くようにと、そういう風に造られた美しい庭なのだが、さすがに今朝は一面の真っ白で、花の色は見えない。

 それでもとても、美しかった。

 緩やかな螺旋階段を途中まで下りて、辺りを見回す。

 他にもこの奥城には過ごすところはたくさんあるから、ここではなかったのかもしれない。



 ――と。



 ここに入ることが出来るのは、周瑜か孫策だけだ。

 ここは孫策が周瑜の為に作った庭で、彼女以外の立ち入りを固く禁じている。

 そして周瑜が、孫策だけに立ち入ることを許したため、ここは王と王妃の庭となった。

 誰も立ち入れないはずのその庭に、足跡を見つけて、周瑜は不意に表情を輝かせ、階段の続きを軽やかに下りていく。

 周瑜ではない、彼女よりもっと大きな足跡。

 それを追うように、真っ白な庭を過って行く。

 ふと、途中で大きな足跡の側に別の、小さな足跡が混じった。

 四つの爪が見える。

 大きな足跡の後を追うように、てんてんと続く小さな足跡に、周瑜はくすくすと笑う。

 やがて足跡は、庭に作られた四阿しあに入った。

 周瑜はそこから回廊続きの更に奥に建てられた、温室へと向かう。

 入り口を塞いである厚い幕の間から、のそりと姿を現わしたのは、大型犬くらいの大きさの虎だった。艶のある縞模様の身体をしなやかに動かしながら姿を現わし、黄金色の瞳で周瑜の姿を見つけると、すぐに駆け出して来る。

 はしゃいでいる時の跳ねるような走り方でやって来ると、腰を屈めた周瑜の肩に手を置くようにして立ち上がってぐるぐる言いながら頬を舐めて来た。

 周瑜は笑った。

「よしよし、いい子だ。……わぁ、温かいな」

 虎の身体を抱きしめて、背中を撫でてやる。

「さぁおいで」

 虎を連れて、温室の入り口をくぐると、椅子に座って卓の上に広げた地図を見ていたらしい孫策が、こちらを見て微笑んでいた。


「おかえり」


 虎が出て行ったので、周瑜が戻って来たのが分かったらしい。

 卓の上に果物を入れる陶器の皿があり、底の深いその入れ物の中から、ひょこと辛うじて小さな虎が顔を覗かせる。

烈火れっか、元気か」

 周瑜が早速、子虎を取り出して胸に抱いた。

 孫策を追いかけていた小さな足跡はこちらの虎だ。

 大きい方は生まれて一年以上過ぎたが、こちらは生まれてまだ間もない。ようやく走ることを覚えた感じだが、活発なのだ。

 鳴き声もまだ、上手く低く唸ることが出来ず、犬のようにきゅんきゅんと鳴く。

「また悪戯したのか?」

 優しく背を撫でてやりながら周瑜が笑った。

<烈火>と名付けたこの子虎は、普段は孫策の部屋で飼われているが、まだ子供で落ち着きが無いので、あまりにも部屋の物をひっくり返したり粗相をすると、罰として陶器の皿や壺に放り込まれているからである。

「下に置いてると、暖炉に近づいて燃えに行くからそこに入れといた。

 付いて来たいと脚に縋って放さんからここに連れて来てやったというのに。

緋湧ひよう>が止めてなかったら虎の丸焼きになってたぞ。

 そいつは危機回避能力が全くないな」


 呆れるような顔で孫策が頬杖をつき、言った。

「そうか緋湧が止めてくれたのか。弟を守ってやって偉いな」

 周瑜が足元に擦り寄り、背を周瑜の脚に撫でつけている虎の頭をくすぐってやる。

「危険だからここに入れておこう」

 周瑜は元通り陶器の皿の中に子虎を入れて、そこに側にあった小ぶりの林檎を一つ入れておいた。

「ただいま、伯符」

 周瑜が歩み寄ると、孫策が身体を抱きしめて、それから口づけた。

「お帰り。周尚しゅうしょう殿は大丈夫だったか」

「うん。熱も下がって、食事も召し上がるようになった」

「そうか。良かったな」

 周瑜にとっては育ての父である周尚が病に掛かったので、その見舞いに行っていたのである。

「あまり病気になる人ではないんだけれど、一度病をすると治りが遅いのが周家の人間の特徴なんだ。孫家の人は体が丈夫だから羨ましいと言ってた」

「孫家は病とは無縁だからな」

 孫策が屈託なく笑っている。

 確かに孫家の人間は丈夫だ。上から下までみんなほとんど病には掛からない。

 とはいえ、周瑜も見た目は深窓の令嬢のように儚げだが、身体は丈夫だ。

 色んな気候の戦場に参戦しているが、疲れることはあっても病で伏せることは全くない。

 周瑜が戦えるとわかってから、臣下たちが随分周瑜に感心しているが、実はその身体が健康なことも、古参の武将などからは大変素晴らしいと言われていることなのだった。


 隣の席に座った周瑜は卓の上の地図を見た。

 すぐに、それがどこの地図かは分かった。

「南郡――江陵だな」

 うん、と孫策が頷く。

 戴冠して一年が過ぎようとしていた。

 北では相変わらず董卓の悪政が続き、呂布は今、涼州方面にいて、涼州騎馬隊を相手に殺戮を行っているようだ。

 涼州は今、二分されている。

 あくまでも董卓に対して徹底抗戦を行う者達と、董卓も涼州出身なので、戦って血を流すのを止め、物品を納めて董卓と結ぶ者達がいるのだ。

 董卓は涼州から大量の鉱石などを長安に送らせているという。

 反董卓連合の盟主であった袁紹、くみした曹操、公孫瓚こうそんさんなどは荊州方面に撤退し、反撃の機会を窺っている。

 袁紹と曹操からは戴冠後に接触があった。

 再び反董卓連合の一員として、参戦して欲しいという要請だ。

 重鎮たちとよく話し合った結果、今は戴冠して間もなく、国もまだ盤石でない為、いずれ、という返答に濁しておいた。

 以前は孫策は袁紹の要請に一つ返事で参戦したので、これで以前とは孫策の考え方が変わったのだということは、袁紹達には伝わっただろう。


 とはいえ、孫策はいずれ呂布と再戦はするつもりだった。

 

 一人洛陽宮に残った<翔貴帝しょうきてい>は、もはや仕えるべき主では無くなったものの、父の代から含め、彼には確かな恩義があった。

 このまま見捨てるつもりは無かった。

 周瑜は膝に顎を乗せて来る虎の頭を撫でてやりながら、考え巡らせた。

 以前は反董卓連合に参戦中に、袁術の襲撃を受けた。

 もう袁術は死んでいないが、この先、連合に参戦して董卓を討つために北伐を行うとすれば、動きを警戒すべきは西の南郡である。

 それに袁紹たちも、さほど信頼出来るというわけではない。

 以前孫策が呂布軍に潰走させられた時、袁紹達はそのまま手勢を引いた。そのことがある。

 北伐を行う前に、南郡に対して、共闘を持ち掛け、相手の出方を見るのも一手だ。

 前回の連合では、諸将が結託を見せたのは連合を結成する所までで、先陣争いや派兵を巡って争いが絶えなかった。

 孫策はその中で一番若く、経験も無かったため、諸将のそういった勝手な行動の皺寄せを全て受けたのだ。

 

 私憤ではなく、国の為の戦いをする。

 これからはそうしなければならないのだ。


「南郡太守である靡芳びほうが信用ならないからな。西に睨みを利かせる為にも、ここにもう一つ城が欲しい。華陽かようだけでは心許ないんだ」

 孫策が西の辺りを手で示した。 

「……。巴丘はきゅうあたりはどうだろう?」

「巴丘?」

 周瑜が指差す。

「うん。以前華陽に行った時、程普将軍に案内していただいた。

 水場の、いい拠点になると思うが。

 それに南方の長沙ちょうさはかつて義父上ちちうえが赴任された地で、以前から君に好意的な豪族が多い。城を任せられる人材も多いと思う」

「巴丘か」

 孫策は頷いた。

「実は数日後に一度華陽に視察に行くことになった。

 その時にちょっと巴丘を見て来るよ」

「そうなのか?」

「うん。雪解けの前に見ておきたくてな……。来月になると、<百花祭ひゃっかさい>の準備などがあるし、江夏こうかに送る水軍の調練も遅れてる。

 対山越さんえつの守備台にする建安の城の完成も近いし。

 ……春は色んな所に行かなきゃならなそうだぞ周瑜」


 孫策はうんざりした表情で言ったが、周瑜は微笑んだ。

 お前を連れて行く、という意味を含んだ言葉は、それだけで周瑜を安心させた。


「別にいいよ。君と色んな場所に行くのは好きだから」


 孫策がきょとんとしたが、頬杖をついて本当に嬉しそうに手元の地図の各地を見回している周瑜を見て、吹き出した。

「あー。俺ってホントにいい嫁貰ったよな」

「わたしのことか?」

 周瑜がふふん、と機嫌のいい顔をすると、横から腕が伸びて孫策が周瑜に口づけて来た。

 彼はそのまま、椅子に座る周瑜の脚を持ち上げて、自分の膝の上に乗せる。

 上半身の体重を預けて来た。

「俺はお前の他に妻はおらん」

 孫策は周瑜の胸に顔を埋めた。

「……いつ出発するんだ?」

「明後日だ。今回は俺一人で行って来る。

 周瑜は丹陽から戻ったばっかりだろ。こっちで少しゆっくりしろ……。

 そうだ、権を見てやってくれ。張昭に勉強しごかれてかなり凹んでる。

 そんなすぐに何でもかんでも政は出来るようにならねえって言ってんのに、焦ってんだ」

「わかった」

 周瑜が笑っている。

 うん。

 孫策は微笑むと、じゃあ決まりだ、と言って周瑜を横抱きにして持ち上げた。

 奥に休憩室があるのだ。

「ついてくるなよ」

 緋湧ひようがとことこと後をついて来た。孫策が注意したが、目を輝かせて薄暗い部屋の中までついて来る。

「私が戻って来て、構ってもらえると思ってるんだ」

「構ってもらえるにしても俺の方が先だ」

 奥の休憩室に入る。

 ここは王妃の庭から続いているので即ち、ここで休むのは王妃しかいない。

 品のある調度品でまとめられ、ゆったりとした天蓋付きの寝台と、どの方面の庭も見えるようにと置かれた大きな円型の横椅子がある。

 孫策は柔らかな横椅子の上に周瑜の身体を横たえた。

 寝台から毛布を持って来ると、横椅子に広げた。

 横向きに向かい合わせで、寝そべり、孫策が毛布を二人の身体に被せる。


「……そういえば、私の留守中、臨海りんかいから周家の使者が来たと聞いた」


 思い出すように周瑜が言えば、周瑜の身体に手の平を触れさせ、その輪郭を確かめるように、頬や、肩を撫でていた孫策が頷く。

「ああ。別に大したことじゃない。新年の挨拶と、春に行われる<百花祭ひゃっかさい>に献品する品を届けに来た」

「そうか」

「お前がもう少し丹陽にいるかなと思って、帰しちまったんだ。悪いな。

 周家のものは、他の品とは別にしておいた。

 良かったらお前が確認するといい」

「うん、ありがとう。気にしないでいい、臨海の本家は、私が君の妻だからといってあからさまに擦り寄って来るようなそういう性格はしてない」

「そうだな。あそこは昔から案外あっさりしてるよな。

 俺に文を寄越すようになっただけでも、関係は随分改善された方だ」

 臨海本家とは、孫策は周瑜の結婚を巡って猛烈な反対をされたので、それ以来折り合いが良くない。

 百歩譲って結婚のことは、もう随分時が経つので許してもいいと孫策は思っているが、問題は袁術が富春ふしゅん攻めに出てきた時、臨海本家は袁術に対してなんの動きも見せてくれず、逃れて来た孫権達とも接触を持とうとしなかったことは新たな遺恨となって戻っていて、そのことはかなりその後、孫策を再び激怒させて、また関係が悪化してしまったのだ。


 戴冠式にも舒城じょじょう周家の周尚は賓客として呼ばれ姿を見せたが、本家の人間は姿を見せなかった。

 孫策の怒りを恐れたのである。


「結婚のことはともかく、富春攻めのことは許せねえ」


 本家の話をすると、孫策はそっぽを向いていた。

 だがそのうち、どうやら周尚の方に臨海の人間が、仲を取り持ってほしいと願いに現われているという話が伝わって来て、周尚に心配を掛けていることを周瑜が気にする素振りを見せた。

 彼女は何も言わなかったが、孫策にはそれが分かったので、向こうが和解をしたいというのなら会う、と言って使者には会うようになってくれたのだ。


「ありがとう、策。臨海の人間と会うようになってくれて」


 孫策は寝そべったそこに肘を立てて、頭を支えた。

「まぁ、いつまでもへそ曲げてても、前進しねえしな。

 それにお前が富春攻めのことは許すって言ってんのに、俺がいつまでもぷんぷんしてても仕方ねえし……。でも深く考えるとやっぱ当時のこと許せなくなるからあんま考えないようにしてる」

「そうか。それならそうした方がいいな」

 孫策は周瑜の身体を抱き寄せる。

 背に腕を回し、きつく抱きしめた。

「ふふ」

「?」

 周瑜が突然笑ったので何かなと足の方を見れば、毛布から覗いた周瑜の足の裏を、椅子に顎を乗せた虎がぺろぺろと舐めていたのだ。

「くすぐったい」

 周瑜が堪えるように笑いを噛み殺している。

「こら! まだお前の番じゃない。大人しくしてろ」

 孫策が怒ると、虎は喉をぐるるぅ……と低く鳴らして、明らかに残念そうな顔をした。


「周瑜、お前が一緒に寝たりするからこうなるんだぞ」


 去年の秋くらいに孫策が牛渚ぎゅうしょの水軍基地で新しい水軍演習の為に一月ほど滞在したことがあった。 牛渚はここから目と鼻の先なので、孫策はよく戻っては来ていたし、周瑜も時間があれば会いに行ったから、ずっと離れていたという実感はさほどなかったのだが、戴冠式を済ませて建業の城で過ごすようになっては初めての孫策の不在だったので、広い寝室でいつもの話し相手がいなく、退屈だった周瑜は部屋ではいつも緋湧に寄り掛かって過ごしていた。

 よくそのまま一緒に寝たりもしていたので、ある時から虎は周瑜が寝ていると、側に来ようと寝台に乗ったり椅子に乗ったりするようになってしまったのだ。

「だってあの子はあったかいんだ」

「お前そういや子供の頃もそんなこと言って馬小屋で寝てたこと何回かあったよな」

「あった。養父上ちちうえ玉蘭ぎょくらんにいつも怒られてた」

「俺も馬は好きだけどさすがに馬小屋で寝たことはねーぞ。

 あんな馬糞とかも転がってる所でよく寝れんなって、俺が少なくとも十二歳までお前のこと女扱い出来なかったの絶対それも理由の一つだ。間違いなく美少女だったのに勿体ない。行動に問題があったんだよお前は……。

 どこの世界に馬小屋で馬と一緒に寝る令嬢がいるんだよ」

「ここにいる」

 周瑜が向こうを向いたので、こいつ、と孫策が周瑜を背中から捕まえて抱き寄せた。

「でもそれを言うなら私が馬小屋で寝た理由の一端は、君のせいでもあるんだぞ」

「? なんだよ……」

「私は君と一緒に寝たかったのに、親父に怒られるとかおふくろに怒られるとか、男は女とは寝ないとか、そんなことばっかり言ってちっとも一緒に寝てくれなかったんだもの。寂しかったんだ。構ってくれなかったから。

 その点、馬は可愛い。

 そんな文句少しも言わずいつも私の側で寝てくれる」

「別に文句言ってたわけじゃ……オレだって当時お前と寝てやりたい気持ち…………いや、違う。実際お前の部屋で寝たら俺はすっげー拳骨で怒られてたんだよ! いいじゃねえか今はお前と寝るの大好きになったんだからッ! ガキの頃のこと蒸し返すなよな!」

「拳骨が怖い男か、孫策。君がそんな臆病なんて知らなかったぞ」

「悪かったな小さい頃は怖かったんだ! お前親父に拳骨で殴られたこと無いんだから文句なんか言うな! うちの親父の鉄拳は石をも砕くんだ」

 孫策は虎の方に文句を言った。

「お前のせいで喧嘩になったぞ。

 滅多にしない夫婦喧嘩だ」

 虎は孫策の文句は聞こえてないかのように、我関せずと自分の手先をぺろぺろと舐めて毛並みを整えている。

「あんな寝台に乗って来て俺たちがヤってる所見てそのうちよし次は俺の番だなんて思ってお前に圧し掛かるようになったらどーすんだよ」

 周瑜が覗き込んで来た孫策の鼻をぎゅっと摘まんだ。

「忘れてるようだから言うけど、緋湧ひようは女の子だ」

 孫策は本当に忘れていたらしく、きょとんとした顔をしてから、安心したように笑って横椅子に倒れ込む。

「そうだった。顔がカッコイイからいつも忘れる」

「失礼だぞ。あんなに可愛い目をしてるのに」

「じゃああれか、玉蘭とお前がきゃっきゃと遊んでるのと同じなんだな。

 それならまあ、大目に見てやってもいいか」

仲翔ちゅうしょう殿が烈火は雄だからかなり大きくなるかもしれないと言っていたぞ」

「いいぞ。大きいのは大歓迎だ。ものすごく大きくなったら呂布狩りに行く時に連れて行ってやる」

 周瑜は身じろいで、孫策の腕の中で身体を反転させ、孫策と向き合った。

「明後日からまたしばらく離れるんだからそれまでお前と呆れるほど仲良くする予定だったんだぞ」

「私だって君と喧嘩したまま見送るのは嫌だ。……仲直りしようか」

 孫策が笑って額を触れさせてきた。

「うん、仲直りだ」

 動物みたいに顔を寄せる仕草をした孫策に微笑んで、周瑜は頷いた。



◇ ◇ ◇



 ドロドロとした思考がうっすらと醒めて、気づけば暖炉の側で横になっていた。

 身じろぐと、頬がふわふわした。

 温かくてとてもふわふわした枕だな、と思ったら、緋湧だった。

 暖炉の側を陣取り、絨毯の上に顎を置いて、こちらも眠っている。

 周瑜は虎の胴体の、お腹の辺りを枕にして眠っていたらしい。 

 緋湧も温かかったが、毛布にも包まれていたので、裸だったが寒さは感じなかった。

 すっかり辺りは暗い。

 隣に、孫策もいた。

 こちらも同じく裸体のまま虎に寄り掛かって、足を気持ちよく絨毯に伸ばした姿で眠っている。

 孫策の腕は、周瑜の身体に掛かっていた。

 あどけない顔で眠っているのを鼻先に見下ろして、周瑜はそっと手を伸ばした。

 孫策の髪を優しく撫でる。

「ん……」

 孫策が身じろいだ。

 周瑜が側にいることは分かっているようだが、遊び疲れた子供のような心境らしい彼は機嫌の良さそうな顔で目は開けず、周瑜の方に身体と顔を寄せて来た。

 動物が甘える時のような仕草が可愛くて、周瑜は自分から孫策に腕を伸ばした。

 孫策が近づいたのと同じくらい、彼女からも身を寄せて、孫策の頭を抱え込む。

「……しゅーゆ……」

 今のは完全に寝言だ。

 くすくす、と周瑜は笑ってしまう。

「……おいで」

 少し毛先を丸める孫策の髪を優しく撫でて、そっと自分の胸に抱きしめる。


 姉弟。

  親友。

   戦友。

  恋人。

 夫婦。


 自分と孫策の関係性を表現する言葉はたくさんある。

 どれか一つということはない。

 その全てが自分と孫策だと周瑜は思っている。

 孫策も、そうだろう。

 先ほどまでの、恋人や夫の顔を隠して、今は弟のような顔で自分の腕に収まって眠っている孫策をしばらく抱きしめて撫でながら、暖炉の明かりを見つめ、周瑜は幸福感に包まれていた。


(……もうこれ以上、なにもいらないかもしれない……)


 そんな風に思う。


 ぐるぅ……、と声がした。

 今度は緋湧の寝言だ。

 周瑜は微笑って、寄り掛かる虎の背もそっと撫でてやる。

 ふわぁ、と彼女は柔らかい欠伸を零した。

 もう一度深く自分と孫策の身体を毛布で包み込むと、温かなぬくもりに目を閉じる。

 程なく、周瑜は穏やかな眠りに落ちたのだった。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る