第58話宣耀殿女御の荷立ち 弐

 イライラが止まらない。

 これも全てあの子供のせい。

 自分に懐かないどころか、あの子供はあろうことか尚侍に懐き、毎日のように藤壺に足を運んでいる。


 最近では帝も宣耀殿に来ても娘にあえない。

 娘は藤壺に日参していると知り、帝は藤壺に足繁く通うようになっていた。


(こんなはずでは……)


 今頃は帝の寵愛を一身に受けているはずだった。

 しかし、現実は違う。

 帝が藤壺に通われているせいで、自分の元に訪れて下さる機会がめっきりと減ってしまった。

 それもこれもあの子供のせいだ。

 帝は藤壺に通い詰め、自分のもとを訪れる機会が減っているというのに、あの子供は毎日藤壺で過ごしている。

 昨日などは「女三の宮さまは遊び疲れて眠ってしまわれました。起こすのは可哀想なので藤壺に泊まらせます」と、尚侍の女房から報告があったほどだ。


「忌々しい」


 思わずそう呟いてしまうほど、あの子供が憎くて仕方が無い。

 藤壺尚侍ふじつぼのないしのかみといい、あの子供といい……目障りな存在が多すぎる。


 気まぐれな女御は自分の発言など直ぐに忘れてしまう。

 女三の宮に吐いた暴言も、次の日にはすっかりと忘れていた。


『あの下賤な女の娘にしては見られるか顔ね』

『下賤な生まれの者は、やはり下賤なのねぇ。本当にどうしようもないわ』

『お前の母親は泥棒猫よ。主人の物を盗むのが上手なのよ』

『なに?その目は。この私の前に顔を見せないでちょうだい。目障りよ』

『なんでお前みたいな子供がここに居るのよ。さっさと出て行きなさい』


 女御の機嫌をとるために女房たちが、女三の宮をわざと殿舎の外に出したことにも気づいていない。

 宣耀殿の主は、宣耀殿女御せんようでんのにょうごである。

 女房たちは飽く迄も主人の意に沿った行動を取っているにすぎない。

 それが女御と女三の宮との確執に拍車をかけ、女御の評判が更に悪くなっていることにも気づいていない。

 女房たちもまた、己の仕事に一生懸命なのだ。


「ああ……本当に忌々しい存在だわ」


 今頃、藤壺で、帝と尚侍が仲良く過ごしているかと思うと腸が煮えくり返る。

 藤壺ではあの子供も、尚侍と楽しく遊んでいるのだろう。

 帝はあの子供と藤壺で何を話しているのだろうか。


「あああ……っ!!腹立たしい」


 宣耀殿女御せんようでんのにょうごは知らない。

 宮中の噂を。

 女三の宮に同情が集まっていることを。


 女三の宮の泣いている姿を見た者は多い。

 供の者を一人も付けずに、出歩いている姿を目撃した者もいる。

 目立たないはずがない。

 中には、自分の娘ほどの姫宮に同情し、どうにかしてあげたいと考えている女官もいる。


 公卿の間でも、女三の宮に同情的だった。


「聞いたか?女御さまは、宮さまを局から追い出しているそうだ」

「なんと、無慈悲な……女御さまともあろう方が……」

「いや、あの女御さまならあり得る話だ」

「まだ年端もいかぬ姫宮さまをあのような場所に追いやって」

「そうだな。もう少し人を思いやれぬものか」

「女御さまは、ご自分が御子を産んでいないからなぁ」

「姫宮さまを妬んでのことではないか?」

「そうよな、宮さまが生まれる前もひと悶着あったからな……」

「よくぞ、無事にお生まれになったものだ」

「本当にな……」


 女三の宮が誕生するまでの経緯を知らぬ者は、この宮中にはいない。

 当時のことを知らぬ若い女房たちは、女御を悪女と信じて疑わない。


「しかし……このままでは姫宮さまがあまりにもお気の毒ではないか」

「そうだな。なんとかしてやりたいものだ」

「だがなぁ……」


 公卿たちも手をこまねいている。

 下手に口出しすれば、左大臣家の不興を買うことは目に見えているからだ。


 どうしたものか……と、公卿たちは頭を抱えた。


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