第55話後見人候補 壱

 山吹大納言やまぶきのだいなごんから、「桐壺御息所さまの後見人に立候補したい」という申し出があったとき、頭弁は驚いて筆を落とした。


「あの……申し訳ありませんが、もう一度おっしゃっていただけますか?」

「何度でも言おう。私は桐壺御息所さまの後見人に立候補したい、と」


 山吹大納言やまぶきのだいなごんは落ち着いた口調で、ハッキリと繰り返した。

 冗談ではないようだ。

 頭弁としては聞き間違いであってほしかったが。どうやら本気らしい。

 帝に直接直訴するのではなく蔵人所を通じて伝えてきた辺り、礼儀をわきまえているのだろうが……。


「桐壺御息所さまは現段階で後見人を持っていない心細い状態だ。私が後見人に立候補すれば、まず間違いなく認められるだろう。彼女の身内の不幸は同情を禁じ得ないことであり、また、我が左大臣家は御息所さまとの深い縁もある。放っておけなくてな」


 物凄い皮肉だ。

 それとも嫌みかな?

 大納言の地位なら後見人になれるが……。

 左大臣家との縁って……。

 自分の妹が御息所に何をしたのか忘れたのか?

 あれは酷かった。


「もちろん、すぐにとはいわない」


 山吹大納言やまぶきのだいなごんは、頭弁の心の声を敏感に察したように、付け加えた。


「御息所さまと我が家には少々行き違いがあったのでな」


 恐ろしい行き違いもあったものだ。

 下手すれば死んでいる。

 それだけの行為をしたのは目の前にいる山吹大納言やまぶきのだいなごんの実の妹。

 今なお、桐壺御息所を逆恨みしているに違いない。

 どんな罰ゲームだ。


主上おかみの許可が下りた暁には、御息所さまとじっくりとお話しさせていただこう。そうすれば誤解も解けるというもの」


 山吹大納言やまぶきのだいなごんは自信たっぷりに言い切った。

 頭弁は「はぁ……」と曖昧な返事をするしかなかった。

「じっくりとお話し」とは何を話す気だ!?

 話す前に言うことがあるだろう?

 謝罪しろよ!

 脅して言うことを聞かせる、の間違いじゃないのか?

「誤解も解ける」ってなんだよ!

 誤解じゃないだろ!!

 御息所は圧倒的に被害者だ!



「では、よろしく頼む」


 畳みかけるように山吹大納言やまぶきのだいなごんは告げると、さっさと退出してしまった。

 頭弁としては「よろしく」なんて言われたくなかった。「よろしく」したくない。

主上おかみの許可が下りる」のは、まずあり得ない。


 頭弁の脳裏に、数日前のことが思い出されてくる。


 挙動不審だった元伊勢守。

 突如、御息所の後見人を降りると宣言した元伊勢守。


 山吹大納言やまぶきのだいなごんの魂胆が透けて見える。


「ああ……もう……」


 頭弁は頭を抱えるしかなかった。


「大変なことになりましたね」


 頭弁を気の毒に思ったのか、役人の一人が話しかけてきた。


「すぐに主上おかみに奏上しなくては」

「……そうだな……」


 頭弁は力なく応じた。

 もうどうにでもなれ……という気分だった。


「……面倒なことにならなければいいが……」


 そう祈るしかない。


 頭弁はこの時、知らなかった。

 山吹大納言やまぶきのだいなごんが本気であることを。

 そして、それがどんな事態を引き起こすことになるのかを。




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