第47話麗景殿女御の気遣い

 管弦の宴から半年。

 飛香舎(藤壺)に、妃たちは挙ってご機嫌伺いに参上していた。 

 その日、飛香舎に訪ねてきたのは麗景殿女御れいけいでんのにょうごだった。


「ご機嫌よう、さま」

麗景殿女御れいけいでんのにょうごさま。よくいらしてくださいました」

「この度は、素敵な贈り物をありがとうございます。大切にいたしますわ」


 女御は扇を口許に当て、にっこりと微笑んだ。


麗景殿女御れいけいでんのにょうごさま、どうぞこちらにお座りになって」


 蓮子れんしが勧めると、女御はしずしずと腰を下ろした。その仕草の一つ一つが優美で気品に溢れている。流石は宮家出身。生まれながらの高貴な人はやはり違うわと、蓮子れんしは女御の一挙一動に見とれてしまう。


 蓮子れんしは、女御の好きな菓子とお茶でもてなした。


「最近は中々ご挨拶に伺えなくて、ごめんなさい」

「いいえ。女御さまもお忙しいでしょうに。私が女御さまの局に伺えばいいのですが……きっとご迷惑になりますわね」


 妃同士の行き来は自由である。

 ただ、麗景殿は宣耀殿の南側。

 蓮子れんしが麗景殿に遊びに行けば、宣耀殿女御せんようでんのにょうごは黙っていないだろ。乗り込んでくるに決まっている。というか、一度、乗り込んで来て大騒ぎになった。


「迷惑だなんて……。どうかそんな寂しいことを仰らないで」

「ありがとうございます、麗景殿女御れいけいでんのにょうごさま」


 気遣い上手な女御の優しさに、蓮子れんしはジーンと感動した。


「ところで、尚侍さま。宣耀殿女御せんようでんのにょうごさまがお倒れになられたのをご存じですか?」

「はい。最近、体調が芳しくないという噂は耳にしております」

「胃の腑の調子が悪いらしくて……。昨日、お見舞いに伺ったら、兄君の山吹大納言やまぶきのだいなごんさまがいらしてましたの」


 山吹大納言やまぶきのだいなごんとは宣耀殿女御せんようでんのにょうごの兄である。


山吹大納言やまぶきのだいなごんさまが?」


 蓮子れんしは、はてと首を傾げた。


「はい。妹君の為に薬をお届けに来たと仰っておりました」

「それは、また……典薬寮からの薬とは別物なのですよね?」

「はい。別物です。なんでも、唐渡りの珍しい薬だとか……」

「大納言さまは妹思いの方なのですね」

「本当に。でも、その薬が……」

「どうかなさいました?」

「いえ。何でもありませんわ」


 女御は扇を閉じ、にっこりと微笑んだ。

 話せる内容はここまで、という合図である。

 この先を知るのは危険。

 女御が話を逸らした理由は、恐らく、そういうことだ。


「早く、良くなるといいですね」

「ええ。本当に」


 二人は、話題を変えて最近話題になっていることに花を咲かせた。

 流行も大切な情報源のひとつ。

 女御は、宮中で話題になっていることを蓮子れんしに教えてくれる。

 驚くほどに情報通で、蓮子れんしはいつも感心していた。


 女御が主催しているサロンは風流人好みだと聞いた。

 難しい詩を詠んだり、文学を論じたりする。宴も小規模ながら、品があるという。

 高名な学者や文人などがサロンに出入りして、女御のサロンは文化人の交流の場となっていた。


(内輪だけでなく外の情報もそこから得ているのね)


 流石だわと、蓮子れんしは女御の情報網の広さに感心した。

 女御の局は、飛香舎からは遠い。

 いずれ機会があれば、と思うのだが、宣耀殿女御せんようでんのにょうごが邪魔しそうだなあと蓮子れんしは思った。


「では、また」

「はい。お気をつけてお帰りくださいませ」


 蓮子れんしは、女御を見送った。


 優しいだけでは此処後宮では生きていけない。

 帝の「添い臥しの妃」として入内した麗景殿女御れいけいでんのにょうご

 梨本院御息所が内裏で“承香殿女御”と呼ばれていた頃、麗景殿女御れいけいでんのにょうごは“お飾りの女御”と呼ばれていた。

 二人だけの妃。

 寵愛は専ら承香殿女御に集中し、麗景殿女御れいけいでんのにょうごは「居るだけの存在」。

 それが、麗景殿女御れいけいでんのにょうごの当時の評価だった。


「お飾りの女御」と陰で呼ばれていた麗景殿女御れいけいでんのにょうごは、そこで廃れることなく独自の人脈を作りあげ、今では確固たる地位にいる。


 人生など分からないものだ。

 あれほど華やかで時めいていた承香殿女御は、一族が失脚し罪人となった。

 女御自身も帝に愛されながらも「咎人の妃」「罪人の妃」と陰口を叩かれ、最後まで後宮に返り咲くことはできなかった。今の麗景殿女御れいけいでんのにょうごは、帝からも一目置かれる存在となり、「お飾りの女御」とは誰も言わなくなった。



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