第40話管弦の宴~準備~ 参

 麗景殿女御れいけいでんのにょうごは、他の妃たちのように浮かれることはなかった。


「女御さま、本当に筝でよろしいのですか?」

「ええ」

「ですが、女御さまが得意とするのは……」

「いいのよ」

「はい」


 宴では、筝の琴を弾くことにする。

 帝もそれをお望みだろう。

 けれど、麗景殿女御れいけいでんのにょうごが最も得意とする楽器は“琴”だ。


(管弦の宴……。女御や更衣たちは浮足立ってはいるけれど……。どれだけ素晴らしい演奏をしようとも、主上おかみの心にいるのは昔も今も、あの方だけ)


 忘れたことなど一度としてない。

 詮無きこと。


(それにしても藤壺尚侍ふじつぼのないしのかみさまが琵琶の名手で本当によかった。琴でなくて……)


 琴を得意とした女御がいた。

 主上おかみは笛を吹き、女御は琴を弾いていた。

 麗景殿女御れいけいでんのにょうごは稀に二人と合奏をすることがあった。その時は必ず“筝”を弾いた。

 本当は“琴”を弾きたかった。

 得意な楽器だったから。

 若い二人は知らない。

 姉と慕った女御の得意楽器は“琴”だということを。


「そういえば女御さま、弘徽殿の女房らの噂をご存知でしょうか?」

「噂?」

「はい、なんでも宴の席で合奏を女御さまの代わりに演奏するとか……」

「女房たちが?」

「はい」

「そう……。弘徽殿も相変わらず……」


 麗景殿女御れいけいでんのにょうごは弘徽殿の女房らの思惑を察していた。

 宴で帝に見初められることを望んでいるのだろう。

 ここは主人である弘徽殿女御こきでんのにょうごと帝の仲を取り持つのが女房の務め。

 けれど、弘徽殿に関しては、女房としての心遣いは二の次になっていた。


弘徽殿女御こきでんのにょうごさまは幼くして入内なさっておりますので……」

「そうね……」


 そういうことだ。

 弘徽殿女御こきでんのにょうごが入内したのは、十二歳。

 裳着を終えたばかりの少女の入内は、それは華やかであった。

 弘徽殿の女房らは入内してもおかしくない家柄の姫ばかり。

 年端もいかぬ少女に、帝は惹かれるどころか、まったく興味を示さなかった。


(幼い弘徽殿女御こきでんのにょうごさまが主上おかみの寵愛を得るのは難しい。ならば、女御さまが成長するまでの間、主上おかみを繋ぎ留めておけれるだけの女人を揃えた)


 そうして集められた女房たち。

 もっとも右大臣の目論見は外れた。


(右大臣さまはそれでいいでしょう。けれど、女房ら違う)


 弘徽殿女御こきでんのにょうごの代わりとして、帝の寵を得ることを期待されていた。

 例えそれが女御が成長するまでの繋ぎだったとしても、彼女たちそれに掛けたのだろう。

 戯れにせよ、短期間にせよ、帝の見初められ御子を儲ければ立場も変わってくる。末席でも妃として遇される。

 右大臣家にとってもメリットはある。


主上おかみのことです。女房らの思惑はご存じでしょう)


 帝は承知の上。

 右大臣の思惑も承知の上。

 そして、麗景殿女御れいけいでんのにょうごの思いも承知の上だろう。


「女房らの噂は気にすることはありません」

「はい、女御さま」


 女房らの思惑など気にすることはない。

 今まで一度も、帝の心は動かさなかったのだから。

 きっと、これから先も……。


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