第29話本邸の女房 壱
二条邸は朝から騒がしかった。
「
「しっかりなさってくださいまし」
女房たちが口々に
「ええ、大丈夫よ。心配しないで」
年若い女房は、感情が不安定になっている。泣きながら「
臨月の
(……うるさい。泣くだけでなら出て行ってほしいわ)
ちょっと、いやかなりイラッとした。
だが、ここで「うるさいから出ていけ」と怒鳴るわけにはいかない。
そんなことをすれば、女房たちは更に大泣きするはずだ。
(誰なの!こんな仕事のできない女たちを雇ったのは!)
雇い主の悪口を言うようで申し訳ないが、本当に使えない。
特に子を産むための準備に忙しい女房たちに代わり、彼女たちは右大臣の本邸からきた助っ人たち。
「お産の時は何かと人手が要りますので、今から慣れておくといいでしょう」という本邸の奥方さまの気遣いだった。
本邸の奥方さま。
彼女は、右大臣の本来の正妻。
義父・右大臣の最初の妻で正妻。
良妻賢母の見本のような女人だ。
夫の他の妻や愛人たちへの配慮も欠かさない。
生さぬ仲の継子にも優しく接してくれる……らしい。
会ったことのない
善意の行動。
良かれと思ってのこと。
けれど……
本邸から何人もの女房を寄越してくれたのはいいが、彼女たちは全く使い物にならなかった。
使い物にならないだけでなく邪魔でしかなかった。
(いっそのこと屋敷の最奥の部屋にでも押し込んでおいた方がマシよ!)
本当に、本邸の奥方さまには申し訳ないが、さっさと帰ってくれないだろうか。
「気分はどうだ?」
やってきたのは時次だ。
来て早々、部屋の状況を理解し、本邸からの女房たちを
「最悪よ」
それ以外の言葉はない。
「だろうな」
時次は苦笑した。
あの女房たちではな、と時次も思う。
どうやら時次は何かを知っているようだと
「時次お義兄さま、何か知っているの?」
「まあな」
時次は頷いた。
「あの女房たちは本邸からきたんだろう?」
「ええ」
「やはりな。彼女たちに女房の真似事などできるはずがない。元々、上流貴族の出身だ。どこかの屋敷に勤めるような身分ではないし、そういう教育は受けていない」
「どういうこと?」
「彼女たちは全員、名家の姫君だ。いや、元姫君というべきか……」
没落貴族の姫が生活のために働くのはよくあることだ。
生まれが上流貴族でも親が早く死に後見人もいない状態では、生活に困窮することがままある。
そういう場合、伝手を頼って働くか、血筋と家柄に惹かれた受領の妻に納まるか、そのどちらかのパターンが多い。
「彼女たちは、いずれも白梅派閥の関係者だ。親が失脚したり亡くなったりしている。家はとうに没落しているんだ」
「そう……」
「
「ええ、もちろん。「姫君たちの集い」と揶揄されているわ。女房が異様に気位が高い、っていう」
「そう。あれは事実だ。彼女たちの元の出自は高い。それも由緒ある名家の姫君たちだ。幼い頃から姫君として相応しい躾けをされてきている。その癖が抜けないんだ。大貴族の姫だった頃の名残だな」
「成程……」
「父上は積極的に元白梅派に属していた貴族の姫を雇い入れた。援助する意味もあるんだろうが、自身の、引いては右大臣家の威光を世に知らしめるためでもある」
時次の言葉に
「だから、あの女房たちは使い物にならないのね。女房という仕事がどういうものなのか全く理解していなかったわ。女房ではなく深窓の姫君といわれた方が納得がいくくらい」
「そういうことだ。彼女たちは結局、“姫君”としてしか生きられないんだ」
時次は溜息をついた。
己の立場を弁えない連中は多い。
過去にどれだけの栄華を誇った家柄であろうとも、今は違う。
その家が持つ力や財力は、時と共に衰えるものだ。
彼女たちの境遇を気の毒だと思う者は一定数いるだろう。
本来なら、女房ではなく、貴族の奥方に納まっていたはずだ。入内していた可能性だってある。
それが一転して仕える側になった。
やるせない気持ちも理解できる。
実家の再興が成せるとなればまた気持ちは違ったかもしれないが……。
「お義父様も酷なことをするわね」
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