第18話女たちの謀 壱

 正式な妃ではないものの、尚侍の懐妊は後宮を揺るがした。

 そして、時次の帰還とそれに伴う左近衛中将の任命は公卿たちを震撼させるのに十分だった。

 通常なら、官位は以前より下位になるはず。なのに、帝はそうしなかった。

 


 有力貴族の女御やその家族は尚侍の懐妊を苦々しく思っていた。

 新参者の女官が帝の御子を授かったのだ。

 プライドの高い女御などは、悔しさもひとしおだろう。

 表向き、「帝の御子を授かるなど、まことめでたいこと」と声高々に喜んでいたが、内心は嫉妬に燃えていた。中には「立場を分らせなければ……」と物騒な考えを巡らす妃までいた。


 女御や更衣に仕える女房。

 彼女たちは、仕える妃の実家に雇われている。

 同じ女房でも、仕える主人の実家によって待遇や給金も違う。

 ましてや、後宮という特殊な場所では別の差がどうしても生まれてくる。

 帝の寵愛を競い合う女の戦い。

 どの妃に仕えているかで、差が大きく左右されるのだ。

 また、妃の傍近くに仕える女房であれば、その地位は更に高くなる。


 つまり、どの妃に仕えるかで、自分の今後が決まると言っても過言ではない。

 結婚にも関わって来るし、既に夫や息子がいる者にとってか彼らの出世にも大きく影響する。


 誰だって自分の仕えている妃が帝の寵愛を得て皇子を産んで欲しい。

 もっと言うのなら、后の位に立って欲しい。国母になって欲しいのだ。

 そうなれば、自分の家族の出世は保証されたも同然。


 尚侍の懐妊は、彼女たちにとって大きな脅威だった。



「――とは申せ、生まれてくる御子が皇子と決まったわけではありませんし」

「何を暢気なことを!皇子が生まれてからでは遅いのよ」

「それはそうかもしれませんが……」

「お陰で女御さまの機嫌もお悪いわ」

「お子さまがお生まれになるまで、ずっとあの調子でしょうね。空気が重いわ」


 女房たちは困ったように首を垂れた。


「でも、例の女御さまの所に比べればマシよ」

「ああ、あそこはねぇ」

「例の女御さま、尚侍さまが懐妊したと聞いてから、癇癪かんしゃくを起して大変らしいわよ」

「なんでも、『尚侍の位を剥奪しろ!』って、お怒りだとか」

「言いそう。あそこの女房たちは大変よね」

「八つ当たりをされているらしいわ」

「それはいつものことでしょう?」

「確かに」

「尚侍さまが出仕なさった時も、ひどい癇癪かんしゃくを起して大変だったと聞くわ」

「そうそう。なんでも『尚侍は挨拶に来ないのか!』って怒鳴り散らしたとか」

「まあ、怖い」


 女房たちはクスクスと笑い合う。


「あそこの女房たちもお気の毒よね」

「そうねぇ。あの癇癪かんしゃく持ちの女御さまの所では、気の休まる暇がないでしょう」

「あの噂……本当かしら」

「え?」

「何の話?」

「……例の女御さまが尚侍さまに呪詛をかけているんじゃないかって」

「え、まさか」

「だって、ねぇ?」

「色々と前科のおありの方ですし……」

「しっ!滅多なことは言うものじゃないわ。誰かに聞かれでもしたら大変よ」

「ええ」

「そうね……」


 女房たちは目配せをした。

 呪詛は不味い。後宮という特殊な場所柄、不穏な噂はすぐに広まってしまう。

 しかも、呪詛を行ったのが女御となれば尚更だ。

 下手をすると命の危険にも繋がりかねない。


「でも……やりそうな気がするわ」

「そうね」

「本当にそうなのだとしたら恐ろしいわね」

「ええ。他の妃さまにとばっちりが行ったら大変よ」


 女房たちはぶるりと震えた。

 それだけ、彼の女御は恐れられているのだ。

 後宮に、宣耀殿女御せんようでんのにょうごの恐ろしさを知らない者などいない。


 宣耀殿女御せんようでんのにょうごは、左大臣の姫君だ。


 美貌の誉れ高い。けれど気性の激しい女御だ。

 彼女を恐れて、後宮を去った妃は一人や二人ではない。



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