第16話麗景殿女御の忠告 壱

 麗景殿女御れいけいでんのにょうご


 宮家の姫君である女御は、帝の「し」に選ばれて入内した妃であった。

 華やかな美しさはないものの、知的な美をそなえている。

 聡明な人柄で、女御は宮中一の才媛とまで称され、その才媛ぶりは、後宮で知らぬ者がないほどの評判であった。

 女御が開くサロンは、風流人や趣味人たちが集まり、文学や詩文、管絃の技に優れた才人が集い、そこではさまざまな文事や遊戯が行われて、独自の文学サークルのようなものが出来上がっていた。

 そのサロンへ出入りする人々はみな教養が高く、文化的であり、洗練された趣味人ばかり。


 他の妃たちと違い、帝の寵愛を求めて争い合うようなことはせず、自身の局で、趣味に興じて静かに暮らしていた。

 後宮で勢力争いにも加わらない麗景殿女御れいけいでんのにょうごは、新参者の藤壺尚侍蓮子とも、親しく付き合い、良い関係を築いていた。



「ようこそ、いらっしゃいませ」


 麗景殿女御れいけいでんのにょうごは、時次の訪問を快く出迎えた。


「おじゃまいたします、麗景殿女御れいけいでんのにょうごさま」


 時次は、丁寧に一礼する。


「どうぞ、お楽になさって」


 麗景殿女御れいけいでんのにょうごは、時次に寛ぐように勧めた。

 その後は、当たり障りのない会話を楽しんだ。

 現在の後宮の内情に通じていない時次にとって、女御との対話は、とても有意義なものだった。


「以前と比べますと、内裏も落ち着いておりますわ」

「左様でいらっしゃいますか」

「あの頃は酷いものでしたわ。主上の寵愛を競い合う妃同士の争いで、妬み嫉みが渦巻いて、それは醜いものでした」

「お察し致します」


 当時のことは時次も知っている。

 だが、実際に目にし、関わり、経験したわけではない。

 噂は耳にしていても、本当の意味で知っているわけではないのである。


「あのようなことが二度と起こらなければ良いのですけれど」

「私も、そう願っております」


 伝え聞くだけでも、後宮の争いがどれほど醜いものかは想像に難くない。

 幾人が陥れられただろう。

 誰の助けも得られず、虐めぬかれて後宮を去った妃もいる。

 怪しげな薬を飲まされた妃もいただろう。


 当時は、麗景殿女御れいけいでんのにょうごでさえ、身辺の危機を感じたという。


「藤壺尚侍さまは、ご健勝でいらっしゃりますでしょうか?」

「はい、おかげさまで」

「主上の御子が誕生するのは慶事ですが、御子が誕生するまでは気を抜いてはなりません。どうぞお気をつけ下さいませ」


 忠告される。

 麗景殿女御れいけいでんのにょうごは、比較的に落ち着いている、と言ったが、決して油断はできないと警告しているのである。

 帝の寵愛を争う妃たちが、このまま大人しくしているはずがない、と。

 彼女たちは実に陰湿極まりない。

 妃の実家とて同じこと。

 凄惨たる争いが、水面下で繰り広げられている。

 後宮の勢力図は、刻々と変化している。

 その変化に取り残されれば、身を滅ぼすことになるかもしれないのだ。


「お心遣い、感謝いたします」


 時次は素直に礼を述べた。

 麗景殿女御れいけいでんのにょうごは、後宮の事情に通じている。

 もしかすると、何か知っているかもしれない。


 誰よりも早く入内した麗景殿女御れいけいでんのにょうご

 彼女と帝の夫婦仲は良好だ。

 ただしそれは男女の仲としてではなく、家族としてのものに近い。

 妻というよりも、姉のような存在として、麗景殿女御れいけいでんのにょうごは帝からの信頼が厚い。

 妃たちが熾烈しれつな戦いを繰り広げていようと、後宮の勢力図が塗り替えられようと、彼女は帝を陰ながら支え続け、帝の信頼を勝ち取り続けた。


 そんな麗景殿女御れいけいでんのにょうごに、なにかを仕出かす妃は流石にいなかった。


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