異世界スピノ・小噺集

SIS

ある魚たちの信仰・1

・本作は、本編の1部終了後~2部序盤を想定して書いていますが、綿密な本編タイムスケジュールとのすり合わせはやっていません。大体こんな感じの事があったという、ある種のパラレルワールドとしてお楽しみください。







 よう、皆。


 俺はグラットン。グラットン・スピノだ。


 いやなに、本来俺達には名前なんていう概念はないんだが、街の連中が俺達の事をそう呼んでるらしいからな。それに倣って、自分達をこう呼ぶようになったんだ。


 他の連中との差別化もかねてな。


 元々俺達は、食欲にヒレと牙が生えたような存在だった。


 理性もなく、ただ血の匂いと水の振動を追いかけて、口に入りそうな得物に食らいつくだけの存在だった。生き物っていうより、そういう物体だなこりゃ。


 だが今は違う。


 偉大なる神の血肉を得て、新しい存在に俺達は生まれ変わったんだ。


 そうなった今、神の名を穢すような不作法な真似はできねえ。




 おっ。ちょうど神がいらっしゃったところだ。




 湖の沖合から、音もなくすぅっと現れる巨大な陰。


 めちゃでっかい背ビレに、捕らえた獲物を離さない牙。器用な前足に、陸を駆け回る発達した後ろ足。そして太い尾。


 水中を俺達魚以上に巧みに泳ぐ上に、陸上だって駆け回る超存在。


 彼が俺達の神だ。地上の民からは、スピノ様、って呼ばれてるらしい。


 岸部近くでたむろっていた俺達は、慌てて神への道を開く。いや何、神は俺達の事なんか気にもしてないし、意味もなく他者を傷つけるようなお方でもないが、これは俺たちなりの敬意ってやつだ。他ならぬ俺達が、神の道を塞ぎたくないのさ。


 道を開けた俺達に一切の関心もないように、神はそのまま通り過ぎて陸に上がっていく。


 やばいだろ? あの巨体で俺達より早く泳ぐのに、地上に平気であがっていくんだぜ。俺達の体は水中に適応してるんだが、立場がないってもんだ。そんなお方を神として崇める事に、聊かの不満もない。仰ぎがいがあるってもんだ。


 神はいつもこの時間帯にここにいらっしゃる。地上に生えてる木の果実を食べにいらっしゃっているようだ。普通の生き物は食べられないらしいそれを、神は美味そうに召し上がっておられる。やはり特別な存在って事だ。


 と、神が手を滑らせて、まだ食べかけの果物が地面に転がった。それがどんぐりころころと、湖に落ちてくる。あちゃー、と見送って、新しい果実を手に取る神。


 俺達はそれどころじゃない。


 まさに言葉通りに神の恵みだ。先を争って果物にかじりつく。


 さっき普通の生き物は食べられねえ、といったが、俺達はもはや普通の生き物じゃない。神の祝福を受けた特別な存在だ。故に、この果実だって食べられる。


 しかも今回は、熟れた果実が湖に落ちてきたとかじゃなくて、神自らの手によるものだ。俺達にとっての価値が違う。


 勿論、地上で食事中の神の邪魔をしてはいけない。水面には波音一つたてず、静かに、しかし争うように果実を口にする。


 ウンメー!


 いや正直神の血肉を口にする以前の事は覚えてないんだけどさ、かつての俺達は美味しいとかうまいとかの概念もなく、血と肉に貪りつくだけの存在だったんだよ。


 それが今や、美味い不味いの概念がある。これがどれだけ幸せな事か、他のグラットンにはわかんねーだろうなあ。そもそも意思疎通できないんだけど。


 果肉を食べつくし、種の殻を割って中身もみんなで分け合って食べる。量は少ないが、俺と同じようにグラットン・スピノに進化した連中はそう多くはない。食べかけの果実でも腹を満たすには十分だ。


 それに、地上の木は矢鱈たくさん果実を実らせるが、あまりにも多すぎて神でも食べきれてないらしい。そのおかげで時々、熟れきった果実が狙ったように湖に落ちてくる。おかげで、ここ最近飢えた覚えがない。


 記憶がないといっても、腹をすかしたひもじさは覚えている。それと縁遠いってのは幸せな事だ。ことあるごとに噛みしめる。


 それはそれとして、飢えにまかせて、湖に近づいた奴に襲い掛かって水中に引きずり込み、集団で貪りつくす不作法さよ。あのような無様を神の前で晒さなくて済んでいるのが、一番の恩恵かもしれないな。


 一通り食事を終えたら、日光浴だ。水面に背びれを出して、太陽光を受ける。すると血流がよくなって、消化吸収も活性化する。最初は神の見様見真似だったんだが、これをやると体の調子が全然違うんだわ。グラットン・スピノになってから背ビレが神のそれみたいに大きく発達したからこそなんだが、本当にありがたい。


 まさに神のおかげで人生が変わったという奴だ。


 見れば、神は陸の上で食事を終えて、うとうととしている。神の安眠の邪魔をしないように、俺達はそっと岸部から距離を取った。




 さて。


 そんな風に神のおかげで人生楽しんでる俺達だが、一つ悩みがある。


 それは、神の住まう聖域に、今だ参拝を行っていない事だ。


 神は割と頻繁に陸上を訪れるが、あくまで拠点は湖の沖合だ。いつも沖合から現れ、沖合に帰っていくところを見ても、神の住処が湖の沖にあるのは間違いない。


 それが小島なのか、あるいは湖に浮いたまま過ごしているのかすら俺達には分からない。が、安全な場所ではあるのだろう。


 おっと、安全地帯に引っ越したい、という訳ではないぜ。あくまで敬虔なる神の下僕として、一度挨拶に伺いたいという話だ。俺達みたいなのが寝床でうろうろしていたら、神も気が休まらないだろう?


 だが、事はそう簡単にはいかねえ。


 湖の沖合には、とんでもねえ化け物がいる。


 あいつらに名前はねえ。街の連中も、化け物としか呼ばない。


 なんでかって?


 ……アイツラに遭遇して生きて帰った奴らがいないから、名前のつけようがないのさ。


 そもそも俺達グラットンが、岸部近くに棲んでるのも、こいつらと関わらないためっていう意味合いの方が大きい。


 近づけば命はない。かくいう俺達も、遠巻きにしかその姿を見た事が無いんだ。


 水中を進む、とんでもない巨体の怪物。身体は石のように固い甲殻に覆われており、巨大な鋏のような前足と、長い触覚、節に分かれた腹を持っている。普段は砂の中に棲んでいるが、時々泳ぎまわっては、哀れな遭遇者を鋏で捕らえ、細かくちぎって食べてしまう。そこに例外はねえ。うっかり沖合に近づきすぎたグラットンが、奴らに掴まってエサになってるのなんて珍しくもなんともない。


 抵抗しようにも俺達グラットンが限界まで大きくなっても、あいつらはその倍近いサイズが平均だっていうんだからお話にならねえ。そもそも体が頑丈な殻に覆われてるから俺達がどれだけ襲い掛かってもびくともしない。


 群れで襲い掛かって手足を千切ってしまえばいいって? 馬鹿いうなって、そんな上手くいくものかよ。大体、俺達が特別なのであって、普通のグラットンは連携なんか取れやしない。そして俺達が連携をとったとしても、数が足りねえ。


 さらにいえば、連中、決して数は少なくない。騒ぎがあると集まってくる傾向もある。いつだったか、なんかよそからきた魔獣が意気揚々と湖を縄張りにしようとして、ザリガニどもに集られて翌日は骨になってた、なんて記憶もある。まともな自我なんか存在しない頃の俺達がはっきり記憶してるぐらいだ、それはそれは身の毛のよだつ光景だったよ。


 幸い、連中は岸部近くには近づいてこない。岩や石が多くて見通しが悪く動きづらいのもあるんだろうが、なんか他にも理由があるようだ。ただの魚の俺達には想像もつかないがね。


 そんな化け物どもだが、神は沖合と岸部を往復している以上、何度か遭遇しているはずだ。にもかかわらず、ご健在って事は、つまりそういう事だ。


 湖の化け物も、神には敵わねえ。いや全く、おっそろしいお方だ。我が神ほどじゃないがあの化け物どもだって相当イカれたサイズをしてるんだぜ? それを撃破して平然としているってんだからもう俺達には想像もつかないよ。それどころか、時々化け物どものハサミをおやつみたいに齧ってる事もある。


 湖を支配する化け物も、神にとっちゃちょっと手ごたえのある間食って訳だ。ははは。


 そしてそんな神の祝福を俺達は受けている。今は無理でも、いつかかならず湖の化け物どもにギャフンと言わせて、神の御許に近づきたいって訳だ。


 その為にもいまは、とにかく食べて、寝て、体をデカくするのが最優先ってね。


 ああ。目的があるって事は、いいもんだねぇ。


 っと。神がお目覚めになったようだ。


 住処に引き返す神に道を譲り、俺達は去っていく後ろ姿を見送った。いつかあの後をついて泳ぎたいものだね。

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