自由を尊ぶ縄文人から見た 小説(家)の評価 V.1.1
@MasatoHiraguri
第1話 芥川龍之介「MENSURA ZOILI」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/97_15251.html
4,000字程度の短編。
或る日、ロッキングチェアーに揺られて見た夢、という話です。
この小説で芥川は、小説や絵画の価値とは「価値測定器」といった絶対的な権威によって測定されるべきものではなく、「Vox Populi, vox Dei民の声は神の声なり」、すなわち、大衆(それぞれ)が決めるべきものである、という自身の考えを述べています。
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芥川とその友人でやはり小説家である久米正雄についての評価を、芥川が価値測定器の崇拝者である角顋(かくあご)という男に尋ねる場面です。
<一部抜粋>
・・・「ここに、先月日本で発表された小説の価値が、表になって出ていますぜ。測定技師の記要(きよう)まで、附いて。」
「久米(くめ)と云う男のは、あるでしょうか。」
僕は、友だちの事が気になるから、訊(き)いて見た。
* 【久米正雄】
作家。長野県生れ。東大卒。菊池寛・芥川竜之介らと第3次・第4次「新思潮」を興す。のち通俗物に転じ、また三汀と号して句作。戯曲「牛乳屋の兄弟」、小説「破船」など。(1891~1952)*
「久米ですか。『銀貨』と云う小説でしょう。ありますよ。」
「どうです。価値は。」
「駄目ですな。何しろこの創作の動機が、人生のくだらぬ発見だそうですからな。そしておまけに、早く大人(おとな)がって通(つう)がりそうなトーンが、作全体を低級な卑(いや)しいものにしていると書いてあります。」
僕は、不快になった。
「お気の毒ですな。」角顋は冷笑した。「あなたの『煙管(きせる)1916年・大正5年10月発表」』もありますぜ。」
「何と書いてあります。」「やっぱり似たようなものですな。常識以外に何もないそうですよ。」「へええ。」
「またこうも書いてあります。――この作者早くも濫作(らんさく)をなすか。……」
「おやおや。」 僕は、不快なのを通り越して、少し莫迦(ばか)莫迦しくなった。
「いや、あなた方ばかりでなく、どの作家や画家でも、測定器にかかっちゃ、往生(おうじょう)です。とてもまやかしは利(き)きませんからな。いくら自分で、自分の作品を賞(ほ)め上げたって、現に価値が測定器に現われるのだから、駄目です。
無論、仲間同志のほめ合にしても、やっぱり評価表の事実を、変える訳には行きません。
まあ精々、骨を折って、実際価値があるようなものを書くのですな。」
「しかし、その測定器の評価が、確かだと云う事は、どうしてきめるのです。」
「それは、傑作をのせて見れば、わかります。モオパッサンの『女の一生』でも載せて見れば、すぐ針が最高価値を指(さ)しますからな。」
「それだけですか。」「それだけです。」 僕は黙ってしまった。少々、角顋(かくあご)の頭が、没論理(ぼつろんり)に出来上っているような気がしたからである。
・・・
<抜粋終わり>
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