第19話 ようこそ、『θ(シータ)ラボ』へ


 大都市リンデンの中心部には、数多くの国家機関が存在する。

 国王の王宮をはじめ、各行政機関、研究機関、博物館、図書館、劇場、銀行やギルドもここにある。王立錬金術研究所もそんな街の中心部にあった。


 緊張なのか何なのか、いつもは饒舌じょうぜつなアランがこちらへ向かう馬車の中でも、ほぼ無言だった。

 ラモーンはここのところ私に対してはそうなのだが、目を合わせず、何も喋らない。重い沈黙の中でクラウディアは押しつぶされそうになっていた。

 

(ううっ、なんなのよ〜。沈黙が重いわ〜)


 目的の王立錬金術研究所は、ベージュの石で建てられた4階建ての建物で、堂々とした威容いようがクラウディアたちを圧倒する。

 アラン、ラモーン、クラウディアの3人はその雰囲気に気圧けおされながら、その前に立っていた。


「今日からこちらで共同研究者としてお世話になります、ロシフォール錬金術研究所の者です」

 アランが守衛に挨拶して確認を取る。

「うかがっております。こちらにお名前のご記入をお願いいたします」

 名前を記入して1階の広いエントランスを入ると、長い廊下の奥から一人の男が歩いて来た。


「久しぶりだなアラン」

「ヘンリー……」

 

 ダークブラウンの癖のある髪、顔にソバカスのある青年が、アランに話しかけて来た。

(どうみても “なかよし”って感じじゃないわね、この2人……)


 クラウディアは何となく、アランの無言だった理由がわかった気がした。

 

 男はクラウディアを見ると愛想笑いを浮かべて、

「そろそろ来られると思っておりました。自己紹介はあちらでいたしますので、どうぞこちらへ」

 と、奥の部屋に案内して行く。


θシータラボ』という文字が刻まれたドア表示が見えた。

 男がドアをノックして

「ロシフォール研究所の方々をお連れしました」

 と言ってドアを開けた。


「ようこそ、『θシータラボ』へ。どうぞお入りください」

 そこにはメガネをかけた背の高い金茶の髪の男と、明るいブロンドヘアーに青い瞳の美しい女性が、白衣を着て立っていた。


「よく来たね、クラウディア」

 意外なことに兄のセドリックは歓迎してくれているようだ。

 

「コートをそちらに掛けたら、紹介します。ヘンリー、手伝ってやってくれ」

「はい、室長」

 ヘンリーと呼ばれた青年は私たちのコートを受け取り、代わりに白衣を渡す。

 白衣を来たクラウディアたちに、セドリックが椅子をすすめた。


「それでは改めまして。私、この『θシータラボ』の室長、セドリック・クラウカスと申します。ロシフォール殿には以前お目にかかっておりますね。こちらの女性は、サンドラ・スタンホープ嬢、そしてその隣がヘンリー・ホランド君です。これからしばらくのあいだ、よろしくお願いいたします」

 

 セドリックが王立研究所のメンバーを紹介すると、替わってアランが立ち上がった。

 

「ご紹介ありがとうございます。私のことは皆様ご存知かと思いますが、ロシフォール錬金術研究所のアラン・ロシフォールと申します。こちらの女性は、セドリック殿の妹君いもうとぎみクラウディア・クラウカス嬢、隣が我が研究所の副所長ラモーン・ルッソです」


「君がラモーン副所長か……」

 室長のセドリックがラモーンをじいっと見つめた。


(まさかお兄様、私のことで何かラモーンに何か言うんじゃないわよね?)

 クラウディアは兄の鋭い視線に冷や汗が流れた。


「いや〜、君の昨年の学会での研究発表、実に素晴らしかった! また詳しく聞かせて欲しいなあ……」

 

(兄が嬉しそう……なんだ、拍子抜けした……)

 クラウディアは緊張の糸がふっと緩んだ気がした。


「クラウディアさん、とお呼びしてもいいかしら?」

 急に話しかけられて、また緊張の糸がピンと張る。

 

「スタンホープ様……どうぞ、クラウディアとお呼びください」

「そう? それでは私のことは、サンドラと呼んでくださいな」

 

「い〜え、そんなめっそうもない! せめて『サンドラさま』と呼ばせてください」


「いいじゃないかクラウディア。彼女がサンドラと呼んでくれって言うんだ。サンドラ、僕もアランって呼んでもらっているし、いいよね?」

 アランが話に分け入って来た。

 

「クラウディア、『サンドラ』で」

 サンドラ様がニッコリする……

「は、はい……サンドラ……」

 

「じゃあ、僕のこともヘンリーで!」

 今度は横からヘンリー・ホランドも割り込んで来る。

「……わかりました……ヘンリー……」


「では皆さん、私のことは『室長』でお願いします」

 兄のセドリックがんなに言って、各々おのおの紹介は落ち着いた。


「それでは、皆さんにこの『θシータラボ』での共同研究についてお話ししたいと思います!」

 




「皆さん、最近リンデンで流行り出した伝染病についてはご存知ですか?」

 そこにいた皆が『知っている』と言うふうに頭かぶりを振る。


「ご存知のようですね。我々のラボの最大の目標はその伝染病の正体をあばき、対抗措置を考えることです!」


 セドリック室長がそう言い切ると、それに異を唱えた者がいる。

 ヘンリー・ホランドだ。

「そういうことは、医師や薬師の仕事なのではないのですか?」


「この伝染病はだ、原因がわかっていない。原因がわからないものを医師が治せるとでも?」

 室長に言われて、ヘンリーはグッと言葉をみ込んだ。


「まずは現状を調査するところから、ということですか?」

 いままで静かだったラモーンが口を開いた。

「そうだ。何か意見はあるかな、ラモーン君」


 ラモーンはおもむろにクラウディアと、サンドラの方を見た。

「とても危険な調査になると予想されるので、女性たちには現地調査以外のことをしていただくべきだと思います」

 

(ラモーン、危険って……どういう意味?)

 ラモーンの言葉に、クラウディアとサンドラは顔を見合わせた。


「いいえ、私もやらせてください。せっかく面白いラボに来たのに、裏方で実験道具を洗っているだけなんて、お断りですわ」

 サンドラが周りを見渡して泰然と言い放った。

 

(サンドラさん……すごい……言い切ったわ)


「……ということだ、ラモーン君。彼女は言い出したら聞かないんでね。全員参加ということで」


 一瞬ラモーンが心配そうな目でクラウディアを見たが、

「そうですか……」

 と引き下がった。


「君はこの病気の正体を、どんなものだと予測している?」

 室長に問われて、ラモーンは重い口を開いた。


「僕は、蚤よりもっともっと小さい生き物が、例えばカビのような……この病気の原因だと考えています……」

「そうか、私も君と同意見だ。皆はこの意見をどう解釈するかな?」


(お兄様とラモーンが同じ考え……なら、正解に違いないわ)

 

 クラウディアは他の誰よりもこの二人のことをよく知っていた。

(そう言えば、この2人似てるわね……)


「ならば、『感染経路』の割り出し、が先決ですか……」

 アランが先を読んで発言する。

「君も同意か、話が早いな。ヘンリー、サンドラ、クラウディア、それで話を進めていいかな?」

「はい」

 3人が返事をすると、室長が指示を出す。

 

「皆には、手分けして現場の医師に話を聞きに行ってもらいたい。お互いを理解するためにロシフォール組と王立組はお互いに1人ずつ、2人1組でバディを組んで欲しい。ラモーン君にはまだ聞きたいことがあるので、私と組んでもらおう。それでいいかな?」


「わっかりましたー! それじゃクラウディアちゃんは俺と行きましょー!」

「えっ、あの……」

「男同士なんて考えられないでしょ! ましてや、こいつと一緒なんて……」

 よほどアランが気に食わないのか、ヘンリー・ホランドはまたたく間に白衣を脱いで、上着を着込んだ。

 クラウディアも急いで白衣から袖を抜き、上着を羽織った。


「クラウディア!」

 誰かに呼ばれて振り向くと、ラモーンが心配そうな顔で話しかけて来た。

「はい、なんでしょう?」

 クラウディアがラモーンを見上げると、神妙な顔をしたラモーンが言った。


「いいかい、医者に話を聞くだけだ。患者にも、患者が触った、使ったと思われる物には何もさわるな。口と鼻はマスクでおおって、手袋をするんだ」

 ラモーンはヘンリーに振り向くと、

「君もだ、いいな? 何も触らないでくれ」

 と念押しをした。


 それを聞いていた室長が言う。

「いい判断だ。皆今のを聞いたか? マスクと手袋をして、患者には触れない。医者に話を聞くだけ、わかったかな? それと場所を決めようじゃないか。今のところ患者の発生が多い地区は、セイムズ川の南、北はソーホー地区、あとは東の下町だ。危険な下町は我々が担当する。あとは君たちで決めてくれ」


「俺とクラウディアちゃんはソーホーへ行こうぜ。知り合いの医者がいるんだ」

 ヘンリー・ホランドがそう言うと、

「では我々は、セイムズ川の南ですね」

 とサンドラ・スタンホープ嬢がうなずいた。

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