第3話 結婚相手は御年八十歳(初婚)
――それは、三カ月前に遡る。
宣戦布告からわずか数カ月。
アルカの祖国ミスレルは、隣国アーデルハイドに無条件降伏をしたのだ。
剣を交えるよりも早い、敗北宣言だった。
よく分からないままに戦争が始まり、あっという間に負けてしまったのは、アルカにとって、どうでも良いことだったが、問題はその後だった。
和平条約を結ぶにあたって、アーデルハイド側が示した条件は、どういうわけかエルドレッド家が代々治めていた領地サウランの割譲だったのだ。
(あの時は父様も私も焦ったわね。陛下の手紙一枚で「君のところの領地、今日からお隣のモノになるから、宜しくね」て。いや、ありえないでしょ。普通じゃないわよね?)
下手したら、領民共々全員殺されるという恐怖のもとで、アーデルハイドにお伺いを立てたら、そのままで良いという鷹揚な指示が下って、父は今まで通り領主業に勤しんでいた。
アーデルハイドの領地になってしまっても、父の生活に特段の変化はなかったように思える。
……だけど、アルカが気づいていなかっただけで、本当は父だって疲労困憊だったに違いない。
「大体さ、義父様は病死だっていうけど、それだって怪しいだろ? アーデルハイドも今回は父の葬儀だって言ったら、すぐに国境を通してくれたけど、もしかしたら、気前の良いふりをして、僕達全員殺すつもりなのかもしれないよ。僕はこんなところで、死にたくはないからね」
煙管の灰を皿に落とすと、さあ帰ろうと言わんばかりに、ドリスは腰を浮かせた。
父が殺されたとでも言いたげだ。
(心労に決まっているわ)
間違いない。
(私たちもこんな状態だし。ここ数年の間で、おじい様も、おばあ様も、継母様も。毎年誰か亡くなっているんだから)
家族の看病はすべてアルカの仕事だった。
祖父母は感染症、継母は心臓の病で、合計十年数年長患いをして、アルカは子供の頃から、三人の介護ばかりしていた。
三人とも亡くなってしまい、結婚適齢期も過ぎてしまったアルカは、まともな人生を歩むことは諦めていたけど、これからは、将来の自立に向けて時間を使っていこうと考えていたのだ。
――今回の出来事は、まさにその矢先だった。
「もう、何を言っても無駄なのね。ドリス」
「無駄って何? 僕は当然のことしか言ってないよ。義姉さんが墓守にでもなるつもりで、ここにいるのなら止めないけどね。……まったく、伝染病の家族を自分で看たばっかりに、周囲から避けられまくった挙句、学校にも通えず、満足に外で働くこともできなくなって、引きこもりの年増でしょう。僕が引き取る以外に、一体義姉さんに何が出来るって言うの?」
よくもまあ、すらすらと、アルカの半生を貶める言葉が出てくるものだ。
(……そうよね)
アルカとて、分かっていた。
どんなに家のために尽くしてきたところで、それは外側からはまったく見えないものだ。
アルカが領主になれるはずもなければ、世間的には、ただの引きこもり。
屋敷から出ない分、外面だけ良い彼らに悪口ばかり吹聴されてしまい、益々外を歩けなくなってしまった「痛いだけの姉」なのだ。
(私に何が出来る……か)
だからといって、一生ドリスの奴隷になるつもりはなかった。
そのために、義弟の意思を再度確認したのだ。
アルカだって、足掻いていた。
ドリスやヒルデと会ったら、ろくなことを言わないことは想像がついていたので、父が亡くなって直ぐに、先んじて近所に住んでいる不良司祭の叔父に連絡を取ったのだ。
――そして。
苦悩の末、アルカは叔父の屈辱的な提案を呑むことしたのだ。
「私、貴方には従わないわよ。ドリス。ここに残るって決めたの」
アルカは腹を決めて言い放つ。
父を追って死ぬことも考えたが、死ぬくらいなら……と、覚悟したのだ。
「私、アーデルハイドの人と結婚することにしたの」
『……へっ?』
――何、それ?
場の空気が一変した。
今まで一切反抗して来なかった弱い姉が、急に吠えたからだろう。
間髪入れずに、ノックの音がして扉がぎいっと開いた。
人払いしていた応接間に、突如、現れた全身黒ずくめの人。
丁度、今日この時を選んで、叔父に迎えに行ってもらったアルカの婿だ。
その人は空咳をしながら、長ったらしい漆黒のローブを引きずって、アルカの前にやって来た。
重苦しいフードを目深にかぶっていて、素顔が一切見えない。
「貴方がその……私の?」
念のために問いかけてみたら、黒ずくめの人はアルカの前で深々と一礼した。
そのまま顔を上げなかったら、どうしようという異様な長さで……。
『わあー……』
三人の形容しがたい喚声が重なり合った。
自分で決断したとはいえ、いざ本人を目の前にすると、アルカも特大の衝撃を受けてしまう。
(現実って怖いわ)
ふわふわの白髭と、アルカが見下ろせるくらいの身長は、それこそ大好きだった童話の中の「レト様」みたいで、一瞬親近感を覚えたが……。
曲がった腰を庇うようにして、杖を支えにしている姿。
会話もままならない、激しめの空咳。何故か、小刻みに震えている身体。
実物を目にするまで現実逃避していたが、そういえば、祖父母が他界した年齢より、新郎の方が年上だったのだ。
――話によると、彼は御年八十歳の初婚男性らしい。
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