35. 諦め
「その時の君の彼女らに対するひどい態度が私の耳に入ることを、何故想定できなかったのだ。まさかロージエが、私のそばにいる女性だとは夢にも思わなかったからか? 君も案外、愚かな女だな」
「……一体何のお話ですの?」
してやったりと言わんばかりの表情で私を見据えるラウル様に、私は素直な疑問を投げかけた。ひどい態度など、一切とった覚えはない。ただほんの少しの時間、初対面の挨拶を交わしただけだ。あとは義妹が一人でペラペラとよく喋っていたと記憶している。
「その時にロージエのことを傷付けただろう。お前のような格下の女に声をかけられただけでも不愉快だとか。きちんと挨拶をする者に対してあまりに辛辣だ。傲慢にも程がある」
「っ!! な……、そんなことは一言も申しておりませんわ。私は……、」
「そしてこの私を愚弄するような言葉を口にしただろう。自分は本当ならば王家に嫁ぐことのできるレベルの女であるにも関わらず、文官ごときと結婚する羽目になってしまい心外だの。私のことを自分には不釣り合いな男だの。せめて一生贅沢な暮らしをさせてもらわねば割に合わぬ、だのとな」
「何を……! 信じられません、ラウル様。あなたはそのような虚言を簡単に信じてしまわれたのですか?」
「虚言、だと? つまりロージエが、この私に嘘をついていると? 自分は一言もそんなことは言っていないと、そう言い張るつもりなのだな、君は」
頭がクラクラしてきた。こんなことがきっかけだったの……? 嘘でしょう?
耐えきれず、私は大きくため息をついた。
「……当たり前です。言い張るも何も、それが真実ですから。あなたはロージエさんに簡単に騙されてしまっただけだったのですね……。そのために私は、こんなにも長いこと……」
「私がロージエに騙された、だと? 全く……。君の腹黒さには呆れるばかりだ。彼女はそんな女性じゃない。いつもそばにいてあの子を見てきた私にはそれが分かる。そうやって自分の非を他人に押し付ける。それが君の本性なのだな。心底見損なったよ」
……もうダメだ。この人には私が何を言っても響かない。
この人はロージエさんのことを信じきっているし、そのロージエさんの言葉により、私を極悪非道な女だと決めつけてしまっている。これ以上言葉を尽くしても全く無意味だろう。
所詮、恋した相手には敵わないのだから。
結婚以来これまでずっと悩み抜いてきた自分が嘘のように、私のラウル様に対する感情は完全に冷めきってしまった。私は見限ったのだ、この人を。もう関係を修復したいとさえ思わなかった。
ただ、父のことを思うと胸が痛んだ。ヘイワード公爵家との結婚さえダメになってしまったら、どれほど失望されるだろうか。
「……ラウル様」
私は幸せな結婚生活を諦め、この短時間で気持ちを切り替えた。もういい。所詮は政略結婚だ。こんな夫婦は世の貴族たちの中には大勢いる。私も我慢しよう。ただ、彼にもきちんと我慢して結婚生活は続けてもらいたい。彼のご両親だって、オールディス侯爵家とのこの縁の継続を望んでいることに変わりはないはずなのだから。
好きな女性ができたから離婚しますなんて、そんな簡単な話ではないことは、さすがにこの人も分かっているはずだ。
「……ロージエさんとのことは、このままというわけにはまいりませんか? 私は何も咎めません。どうぞ、外で会うなり関係を続けるなり、お好きになさったらいいと思います。ですが互いの家のためにも、私たちの結婚生活は続けるべきです。それがヘイワード公爵家の子息と、オールディス侯爵家の娘としての義務だと思いますが」
極力冷静に伝えたつもりだった。彼が考えを改めるように。
けれど私の言葉を聞いたラウル様は、その漆黒の瞳にますます激しい憎悪の感情を浮かべて鼻を鳴らした。
「……ふん。やはりヘイワード公爵家の財産は君にとってそれほどまでに魅力的か。だろうな。愛の欠片もない結婚生活になろうとも、金のために続けたいなどと、よくもこの場ですぐに結論を出せたものだ。……ロージエと君は真逆だ。彼女は、ロージエは、私が公爵家の令息でなくとも、他の何者であっても愛は変わらないと言う。私が愚鈍でも、醜男でも、たとえただの平民であっても愛は変わらないと……。君には一生理解できないだろうな、彼女のような人の気持ちは」
「……」
そりゃそれくらい言うでしょう。自分に靡きそうな公爵令息を籠絡するためならば。
ああ、ダメだわこの人。もう何を言っても無駄。
私は静かに立ち上がった。
軽蔑、落胆、失望。ついさっきまでこの夫に対して持っていたわずかな希望や親しみは完全に失われ、それらの感情が私の心を塗り潰していた。
「……これ以上お話を続けても無意味なようですので、私は部屋に下がらせていただきますわね。今後のことはもう少し時間をかけて、落ち着いて話し合いましょう」
「無駄だ。君のペースには巻き込まれない。私には確固たる意志があるのだから」
「……。失礼いたします」
重い足を無理矢理動かしながら扉の前まで歩き、最後にもう一度だけ彼の方を振り返った。
「ラウル様。……信じていただけなくて、とても残念です。私はあなたと、良き夫婦になりたかった」
彼は何も言わなかった。けれど、もとより返事など期待してはいない。
私はそのまま彼の部屋を出て、静かに扉を閉めたのだった。
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