34. ティファナの怒り

 その夜。ラウル様は約束通りヘイワード公爵邸に戻り、私が待つ居間へとやって来た。


「っ! お、……お帰りなさいませ、ラウル様」

「……話は私の部屋でしよう」


 短くそれだけ言うと、彼はすぐに居間を出て行ってしまった。


「……っ、」


 いよいよだ。あの式の日の冷たい夜から数ヶ月。ようやく夫婦の会話ができる。

 私は固唾を呑み、ゆっくりと立ち上がって彼の後を追った。緊張で指先が冷え切っていた。




「……失礼いたします」

「……」


 結婚以来、初めて入るラウル様の私室。そこは一切の飾り気がなかった。必要最低限の家具だけが置かれた無味乾燥なその部屋は、まるで彼の私への冷え切った感情の表れのようで、私は思わず身震いした。


 私に背を向け上着を脱ぎ、黙ってソファーに腰かけるラウル様。君も座れとは言われなかったけれど、私はローテーブルを挟んだ彼の向かいに勝手に腰を下ろした。

 ラウル様は黙ったまま両手を組み、前かがみの姿勢で座っている。目線を下に落とし、私の顔を見ようともしない。シンとした空間を、私は勇気を出して破った。


「……ようやくお時間を作っていただけてよかったです。……ラウル様、今夜こそきちんと話し合いましょう。なぜ、どうして私たちは、こんなことになってしまったのか」

「……」

「式の夜、あなたは私に仰いました。私の本性を知らなかったと。なぜあなたが私を見限ったのか、自分の胸に手を当ててよく考えろと。この私を……、狡猾で、薄汚い人間だと」


 ああ、思い出すと声が震えてしまう。あの夜の傷を掘り起こし、中を開いて確認する行為は、私にとってあまりにも辛いものだった。

 でも、ここを乗り越えなくては。

 膝の上に置いた両手を、私はグッと握りしめた。


「あなたは、自分の信じると決めた人を信じるのみだと仰いました。信じるに値する人だけを信じる、と。……きちんと言葉でお教えください、ラウル様。それが一体、どういう意味なのか。私には本当に、一切の心当たりがないのですから。対話を避け、ただ無視され続けたのでは困ります。結婚式の直前まで、あんなに優しく距離を縮めあったきたのに。この変化は何なのでしょうか」


 私が多少責めるような口調になってしまうのは、仕方のないことだと思う。だってこの数ヶ月間の彼の態度は、あまりにも子どもじみていて酷かったのだから。せめて今夜こそ、きちんと話をしてほしい。


 ラウル様はずっと黙ったままで床を見つめている。まだまだ言いたいことはあったけれど、私は一度口を閉じ、彼の言葉を辛抱強く待った。


 やがてついに、ラウル様はゆっくりと顔を上げた。そして相変わらず冷え切ったままのその漆黒の瞳で私を見据え、迷いのない口調でこう言った。


「互いの両親が他界するまでの辛抱と思い、この結婚生活を続けていくとあの夜言ったが、その言葉は撤回させてもらう。……離縁しよう。できるだけ早急に。段取りはこれから考える。君もそのつもりでいてくれ」

「…………っ!」


 全身から血の気が引き、クラリとめまいがした。視界が真っ黒に染まっていくような感覚。両手の指先がブルブルと震え出し、その激しいショックと絶望の後には、大きな怒りが一気に湧き上がってきた。


 この人、一体何なの……!?

 こんなにも幼稚で、浅はかな人だとは思わなかったわ。


 人が必死で訴えていることを完全に無視して自分の要求だけを呟く愚かな彼に、これまで持っていた遠慮や機嫌を伺うような気持ち、そして気遣いといった種類のものが一斉にどこかへ吹き飛んでしまった。


「……私の話を聞いてくださっていましたか? ですから、私はその理由をお話しくださいと申し上げたのです。結婚以来一切話し合うこともせずにご自分のやりたいように振る舞い、あまりにもこちらを軽視しすぎではございませんか」


 これまでとは違う私の口調に何かを感じたのか、ラウル様は一瞬目を見開いて私の顔を見た。けれどすぐにいつもの冷淡な表情に戻ったかと思うと、たまらなく嫌そうに口を開く。


「……どうせ君は嘘をついて誤魔化すつもりだろう。私がロージエから聞いた君の裏の顔を暴露したところで、自分は一切そのようなことはしていないと言い張るはずだ。だが、私は騙されない。……ロージエを、愛しているからだ」


(……やっぱりね)


 指先がまたすうっと冷たくなる。気付いていても、こうして直接言葉で聞かされるとやはり大きな打撃だった。


「……それで? あなたはその愛するロージエさんから、私の何を聞かされてきたのですか? 言っておきますが、私がロージエさんとお会いしたのは、私たちの結婚式の少し前に、義妹の知り合いの茶会の席に出た、その時ただ一度きりです」

「……やはりな。ロージエの言った通りだ。そこで彼女と言葉を交わしただろう」

「……ええ。義妹に紹介されて、少しだけご挨拶を」


 私がそう返事をすると、ラウル様はフン、と鼻で笑い、侮蔑のこもった目つきで私をジロリと睨んだ。






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