12. 思いの丈を

 婚約から四ヶ月ほどが経ったその日、私は勇気を出して自分からお手紙を出し、ラウル様を観劇に誘ってみた。いつまでも待っていたところで、向こうから私をどこかに誘ってくれることなど絶対にないのだから。ただ、最低限の義理を果たすといった感じで時折我が家へお茶をしに来るだけ。


「お迎えに来てくださってありがとうございます、ラウル様」

「……いえ。こちらこそお誘いありがとう。……行きましょうか」


 めいっぱいめかしこんできても、ラウル様から私への褒め言葉はやはりない。それでも私は、普段よりさらに完璧に身支度を整えて来てくれたラウル様に、優しく言葉をかけた。


「今日のラウル様は、いつにも増して素敵ですわ」

「ありがとう」

「……」

「……」


 ……気にしない気にしない。私たちは、これから距離を縮めていくんだから。




 お芝居は王道の悲恋ものだったけれど、意外にもラウル様はそれなりに楽しんでくださったようだ。

 お芝居を見た後馬車まで歩きながら、私たちは少し会話を交わした。


「いかがでしたか? ラウル様。今日のお芝居」

「ええ。台詞が随所で美しくてよかった。想いあう二人が互いにその胸の内を隠したまま最後の別れを交わす場面も、とても切なく、あの歌声は素晴らしかったと思います」


 いつもより随分饒舌なラウル様に嬉しくなった私は、頷きながら言葉を返す。


「私も、あのシーンは胸がいっぱいになりましたわ。長年の想いが成就せず、永遠に離れ離れになるなんて……。その悲しみが刺さる歌声でしたわね」


 私の言葉に束の間静かになったラウル様は、前を向いたまま、ふいに私に尋ねた。

 それはラウル様から私への、初めての質問だった。


「あなたは、いかがなのですか。王太子殿下のご婚約者となられるために、幼少の頃から身を粉にして努力なさってきたはずだ。無粋に聞こえるかもしれませんが、その長年の努力は水泡に帰し、私という望まぬ相手の元へ嫁ぐことになってしまった。正直、落胆が大きかったのではないですか」

「……」


(ラウル様……)


 その言葉を聞いて、咄嗟に思った。もしかしたら、ラウル様の態度がこんなにも素っ気ないのは、自分のところへ嫁いでくる女が、それを望んでいないということが気にかかっているのかもしれないと。ヘイワード公爵家嫡男である自分の元に嫁ぐ栄誉を、渋々といった体で受けたかもしれないこちら側の内心を、訝っていらっしゃるのだろうか。


(……ううん。だけどこんなこと、貴族家同士の結婚ではよくあること。誰もが条件ありきで相手を見繕い、叶わなければ次の候補者宅へ打診をする。皆その繰り返しだわ)


 ラウル様の本心は分からないけれど、私は慎重に言葉を選びながら答えた。


「……同じ年頃の他の高位貴族のご令嬢方と同様に、私も、両親に言われるがまま王太子殿下の婚約者という立場を目指していたのは事実です。それが叶えばオールディス侯爵家にとってこの上ない栄誉であることも分かっていたし、両親の期待に応えたくて、がむしゃらに頑張ってまいりました。ですが、私が個人的に王太子殿下に想いを寄せていたわけではございませんし、何一つ悔いは残っておりませんわ」

「……」

「それに、ラウル様。誤解なきように申し上げておきますが、私は決して、あなた様との結婚を嫌だとは思っておりません。むしろ、感謝しているんです。こんな至らぬ私を拾い上げてくださったのが、両親が敬愛するヘイワード公爵家であることを。あなた様と良き夫婦になって、今度こそ、父や天国の母を安心させたいですわ」


 ほんの少しの嘘を織り交ぜながら、私は自分の思いの丈を伝えた。本当は、ラウル様が結婚相手だと聞かされた時は、嫌だなぁとは思ってしまったけれど……。

 ここでそのことまで馬鹿正直に暴露するのは、決して得策ではない。そんなことを聞かされて、たとえ同じ気持ちであったとしても、愉快になる人間はいない。


「ですから、ラウル様。私たち、これまでずっとあまり親しくしてはきませんでしたが、私はこれからあなたのことを、もっとたくさん知りたいのです。少しずつでも心を通わせあって、あなたと仲の良い夫婦になりたい。……そう思っています」


 ラウル様はずっと黙ったまま、前を向いてゆっくりと歩きながら、私の話を聞いてくれていた。そして私が話し終わると、ふとこちらを見て、そしてほんのわずか、微笑んだ。


「……ありがとう、ティファナ嬢」


 名前を呼ばれたのも、初めてだった。






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