第10話


宝箱からはじまり、家の門、薬の棚、銀行の金庫、禁術書庫、宝物倉庫、監獄の檻など、殆どの錠前と鍵には錠前魔法が刻まれている。

通常、魔法陣は共通魔法言語で構成されている。魔導師は皆共通魔法言語の習得は当たり前で、魔法陣に書かれた言葉を解析したり、新たな魔法陣を作り出すのだが、錠前魔法はその前提から異なる。

錠前魔法の魔法陣は共通魔法言語を使用せず、錠前魔導師ごとに異なる独自の記号を魔法言語として魔法陣を構成するのだ。

錠前魔導師は自分だけの魔法言語を作り、その独創性と魔法陣の複雑さによって誰にも解除できない錠前魔法の作成を目指す。逆に、様々な魔法陣の知識を入れることで法則性を予測し、オリジナル魔法言語での錠前魔法を解読して鍵の無い錠前を解除するのも錠前魔導師の仕事。解除だけを専門としている錠前魔導師もいる。

どの国でも独自に錠前魔法は研究されていて、平民が家の鍵を無くした時に助ける市井の錠前魔導師から、貴族家お抱えの専属錠前魔導師に、王の寝室のドアへ錠前魔法をかける王宮錠前魔導師まで、その働き先は様々。


マリエラは母の宝箱にかかっていた錠前魔法を解除した金色の魔法陣を見た日から、密かに錠前魔導師に憧れていた。貴族令嬢として錠前魔導師になる夢が叶わないことを理解し、錠前魔法の研究を趣味としていた。


マリエラが王太子の婚約者だったことでこの国は安定して魔石を手に入れることが出来ているというのに、マリエラは家族を壊され、毒を盛られ、領地へ追いやられている。

マリエラは何も悪いことをしていないのに、などと考えても無駄。自分より強い権力からの理不尽は災害のようなものだと、沢山の歴史書が語っている。母が亡くなった7歳の時はわからなかったが、準王族の義母に重い愛で執着されてしまった父は、義母から逃げ切れなくても仕方なかったと今では思う。


でも、ここから逃げる道があるのならば、それを選んでもいいのではないか……。


暖炉の前に立つマリエラの指から、母の髪色に似た紫色の魔力が出てきて魔法陣を描いていく。これは、長年の独学により作成したマリエラオリジナルの錠前魔法の解除魔法陣。こうやって魔力で魔法陣を描くと、7歳で完璧な魔法陣を短時間で描いていたレオポルドの常識外な能力の高さが分かる。


母の髪を思わせる綺麗な淡い紫色の魔法陣を、マリエラは暖炉の上へ向かって放った。


「お父様、公爵令嬢が成人するまでにかかる予算はこれだけのダイアモンドがあれば十分足りるって、伯父様に確認してもらったの。これで、私はイエルになっても良いよね?」


暖炉の炉の上にある隠し棚へ入れていたのは10個ほどのこぶし大のダイアモンド。この隠し棚は高温になるため入れれるものは限られるが、炉に火を入れる時期は、たとえ泥棒が錠前魔法を解除して戸棚を開けたとしても、冷めるまでは取り出せないのが防犯上とても良い。暖炉の温度は最高でも300度になるように火魔法の魔法陣が刻まれていて、ダイアモンドの融点は約3000度。溶けることはない。


「バルビ公爵がこんなにも高額なお金を払うなんて、何か裏があるのではないか……。おいそれと受け取ることはできないよ」


「ちがう!このダイアモンドは伯父様から貰ったんじゃない。私とジャナで儲けたお金で購入したものだよ。疚しいところなんてない!……とは少しだけ言えないかも。……このダイヤモンドはね、さっき言ってた国内発掘の新しい魔石を発見した研究者が、実はジャナの知り合いで、研究結果公表前に鉱山を手に入れといて一儲けしないかって声をかけてきて、それで儲けたの。ジャナもその研究者も鉱山を買うほどの元手がなかったから、お母様の遺産を使って私が鉱山を買った」


その研究者の雇用主に気づかれたら勿論訴えられる。内部情報を外に漏らすことも、内部情報を使って外部に対して有利な取引をするのも犯罪。ただ、その雇用主はラコーニ公爵家なのだ。その研究所はフィオレが王妃になるために、マリエラと父が散々辛酸を舐めさせられている義母の実家ラコーニ公爵家が建てた施設。


「魔石の鉱山は、早々にフィオレが購入している。その前の持ち主はもう100年以上その鉱山を所有していた子爵家で、その契約におかしなとこはなかったと記憶しているよ。先に子爵家と取引をしていたらラコーニ公爵家の調査力ならわかるはず……」


「魔石になる鉱石の方じゃない。鉱石に放出の魔法陣を刻む蛍石の鉱山を買ったの。その蛍石の鉱山はフィオレじゃなくてレオポルド殿下が購入したわ」


その新しい魔石は、豊富な魔力を内包していたのに魔力放出できないことで魔石として認識されていない鉱石だった。その鉱石に放出の魔法陣を刻むことで魔石になることが分かった研究者は、魔法陣を刻むことができる石が特定の蛍石だけで、その蛍石を発掘できる鉱山も国内では1箇所しかないことにも気付いた。きっと皆、魔石になる鉱石の方に気を取られるはずだし、しばらくは魔法陣を刻める石が特定の石だけだと気付いていないフリをして、報告を遅らせることもできると、研究者は一儲けできる可能性に気づいた。ジャナの知り合いだけある。


鉱山を買えるほどの資産を持つ知り合いがいて、なおかつ拝金主義者として犯罪を厭わずお金のためなら口も固いだろうジャナを選び、お金を稼がないかと声をかけてきた。そして、ジャナは本来なら従兄弟のバルビ公爵へ相談していたところを、大金を欲していたマリエラへ先に声をかけてくれたのだ。


父には”私とジャナで儲けたお金”と言ったが、実はマリエラはほとんど何もしていない。母から譲り受けた遺産から出資しただけ。その研究者と連絡を取り、1年経たずに価値が上がる鉱山だと隠して持ち主から買い取り、またその鉱山をマリエラの関与が気づかれないように高値で売る取引をしてくれたのも、ジャナと伯父の部下の人たち。限界まで値を上げたその鉱山は、ラコーニ公爵家ではなくレオポルドが購入し、マリエラのお金は、出資額の5倍の価値のダイアモンドとなって帰ってきた。


このダイアモンドは、ラコーニ公爵家とレオポルドが本来得ていただろう利益だ。父とマリエラが彼らから受けた様々なことへの慰謝料と思えば罪悪感はない。


「確かに、蛍石の方はタイミング悪く宝飾用の需要で先に価値が上がってしまっていて、安く手に入れることができなかったと聞いたな。そうか、バルビ公爵が社交界であの蛍石が流行るように手を回してインサイダー取引を誤魔化していたのか。……バルビ公爵にそこまでされたら、パパはもう何も言えないよ」


父は力なく首を前に垂れ、うなだれている。


「私はピンク頭に赤い瞳のドルチェ男爵家の末娘イエル・ドルチェになる。本物のイエル・ドルチェは名前を捨ててバルビ公爵家の密偵になるんだって。嫌がるどころかむしろ乗り気だから安心してほしいって伯父様が言ってた。……2ヶ月後にルオポロ王立学園に入学して、勉強して、ルオポロ王国の魔法省に入れるように頑張る。夢は王城勤務で研究職の王宮錠前魔導師だけど、市井の錠前魔導師でも良いかなぁ。……ルオポロ王立学園の学費と卒業までの生活費としてお母様の遺産を持ち出すつもりだけど、それは許してほしい」


「グスッ」


父のズボンの太もも部分が濡れシミが広がっていく。大粒の涙を拭うことなく流しているのだ。


「マリエラは正式に婚約解消するまで領地にいることにしてもらおうって思っていたけど、レオポルド殿下からそう望まれたなら渡りに船だね。お父様にはエンリコが領地に来ないようにすることを徹底してほしい。エンリコやフィオレ、殿下からの手紙の返事は領地から送ったように誤魔化す。この領地の使用人たちは元はバルビ公爵家の使用人だから大丈夫。……新しい魔石が認可されて、マリエラの婚約が解消されたら、さすがにヴィルガ王都に戻ることになるでしょ?領地から王都に戻る途中、マリエラが乗った馬車は事故にあって川に落ちるの。遺体は出ないと思うけど死んだことにしてね」


マリエラは父の隣に座りなおして、ハンカチを父の目元に宛てがう。涙を流す父を見るのは母の一周忌以来だ。


「これがパパへの罰?マリエラはパパを捨てるの?」


「そうだね。これは保留にしてたお父様への罰なのかもしれない。……私がいなくなっても、フィオレとエンリコがいる。私の分まで二人をちゃんと愛してね」


いやいやと言いながら首を横に振り、驚くほど情けない姿を晒す父に、思わず笑ってしまう。


「私は錠前魔導師を目指してるんだもの。お父様しか封を開けれない頑丈な手紙用の錠前魔法をかけれるよ。手紙を書くね。私もお父様からの返事を待ってる。……私だってお父様と離れるのは寂しい。どうにか時々会える良い策がないか伯父様に相談してみる」


「パパが考える!パパはマリエラに情けない姿しか見せれてないけど、こっそりマリエラと会えるように手配するくらいできる!」


父はやっと顔を上げてマリエラの顔を見つめた。普段は周囲へ威厳があるように見せている男が、自分にだけ情けないところを見せてくれたら、かわいいと、愛おしいと思ってしまうのかもしれない。

そういえばと、母の病床で過ごしていた父と母の姿を思い浮かべると、浮かんでくるのは、小柄で可愛らしい母に頭を撫でてもらっている父の姿ばかりだ。いつも父が母に甘えていた。


「お父様だって逃げてもいいんだよ。……イエルのところに逃げてくるなら、平民程度の生活になるから、そこはちゃんと予習して覚悟しておいてね」


そう言ってマリエラは父の頭を撫でた。ふわふわとゆるく波打つマリエラの髪とは違い直毛のその髪は、意外にも柔らかい。6歳のエンリコと変わらない父に、自然と口角が上がる。


「エンリコがカファロ公爵になったら、なら、パパも逃げて良いのかな……」


父がちゃんと愛を持ってエンリコを教育してくれるように祈ろう。マリエラが可愛がっているエンリコが不幸になるようなことはしないはず。


こうして、ヴィルガ王国の公爵令嬢マリエラ・カファロは、ルオポロ王国の男爵令嬢イエル・ドルチェとなった。

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