第7話

そんな母の一周忌の翌月、義母はカファロ公爵家の跡取りとなる男児エンリコを産み、そのすぐ後にマリエラは王太子レオポルドと婚約した。


婚約してすぐの頃、マリエラは浮気は最低で大嫌いだとレオポルドへ漏らした覚えがある。

義母のように拒まれても押し付ける重い愛はもちろんよくないけど、そんな人が相手でも浮気は嫌いだと言った時、レオポルドは「俺もそう思う」と同意してくれたというのに。


好奇心旺盛で活発なレオポルドと、自分の好きなこと以外は興味が薄いマリエラ。マリエラは早々にレオポルドから距離を取られてしまい、嫌われているとまでは言わないが、決して好かれていないとわかる余所余所しい態度になってしまった。


王妃教育のために登城した時は、第二王子アルフレードを始め側近候補達と楽しそうに過ごしているレオポルドを横目に一人で読書をしていた。マリエラがそこへ混ざったことはない。たとえその中にフィオレがいて、レオポルドとフィオレが仲良くしていたとしても、読書を選んだのはマリエラだ。

その後レオポルドが仲の良いフィオレの方をマリエラより優先するようになっても、レオポルドだけが悪いとはもちろん思っていない。婚約者の自分を優先してほしいと主張することを放棄し、なあなあと許してしまっていたマリエラにも非がある。


父の不貞の証で、マリエラよりレオポルドと仲が良いフィオレだが、マリエラがフィオレを厭うことはない。父のこともレオポルドのこともフィオレ自身は何も悪くないし、何より、初めて会った日にこちらを見ていた不安そうに揺れる青い瞳が忘れられなかった。

共通の弟になるエンリコが産まれてからは、マリエラはフィオレにも声をかけるようになり、エンリコとフィオレの二人を可愛がるようになっていった。母が亡くなった寂しさを弟妹を可愛がることでごまかしていたとも言える。フィオレもエンリコもマリエラを慕ってくれるようになったが、特に父をそのまま赤ちゃんにしたような見た目のエンリコは、義母よりもマリエラに懐いてしまうほどだった。


フィオレが王妃教育を受けているマリエラを意識して、必要以上に自己研鑽に励んでいることには気付いていた。最初はレオポルドのことを好きなのだろうかと怪しんでいたのだが、レオポルドだけでなくアルフレードとも仲良くし、義母へ頼み王妃教育と同等の授業を受け、マリエラよりも優秀な姿を周囲へ誇示する姿に、フィオレは王妃を目指しているのだと気付く。

フィオレは自らの出自に劣等感を抱いていた。王妃になれば、もう誰も何も言うことはなくなると考えたのだ。


悔しいから認めたくはないが、マリエラはあの綺麗な魔法陣と輝くオレンジの瞳のレオポルドに淡い恋心を抱いていた。

でも、その小さな恋心よりも、黒髪がおそろいで健気な妹のフィオレの方が大切。厳しい教育を受けているマリエラには、フィオレの努力がどんなにすごいことか分かる。王妃はフィオレがなるべきだ。マリエラは10歳にしてフィオレにこっそりと協力することにし、フィオレの方が優秀に見えるように、引き立て役をすることに決めた。


母の侍女からマリエラの侍女になったジャナには「フィオレお嬢様を理由にサボって錠前魔法の本を読みたいだけではないですか?」という鋭い意見や、「本当はやれば出来るって言いながら理由つけて頑張らない、カッコ悪い大人になっちゃいますよ」というような辛辣な説教をされていたが、どうしてもそうしたほうがいい予感がするのだとジャナへ言うと、なぜか協力してくれるようになった。マリエラはジャナの許しも得たことで、自分の直感を信じてフィオレよりも劣る成績を貫いた。


そこから3年たった13歳の春、パッとしないが政略により仕方なく婚約者に収まっているだけの公爵令嬢として周知されるようになったマリエラは謎の体調不良に襲われる。


常に息が浅くなり、少し深く空気を取り込むと咳が止まらない。気管支がキュッと細まっているような感覚がして息苦しい。当初は喘息だと診断され、様々な喘息の治療法や薬を試したのだがどれも効かない。息苦しいために食欲はなくなり、固形物は受け付けなくなる。体を動かすと咳き込んでしまうため寝たいのだが、横になる体勢だとさらに気道が狭くなるらしく、座りながら睡眠を取ることになり、眠りは常に浅い。どんどんと体力が失われていって、やせ細り、気づけばベッドから出られず、枕元に座り本を読むしかできなくなっていた。


母が亡くなったのは心臓の病気だったが、その病気とは症状から違う。母親が亡くなったことや急な環境の変更による気鬱か、王都の淀んだ空気が原因だろうと、言い換えれば、医者からは匙を投げられてしまった。これは、貴族の場合”新しい毒”の可能性が高いと言われてるに等しい。マリエラは王太子の婚約者という立場ゆえに毒を盛られたのだろう。


毒というのは過去に使われていたものと比較するしか毒を特定する方法がないのだ。毒の場合は解毒剤を使えない限り対処療法しかできず治すことは難しい。


知識と研究予算さえあれば魔法を使って新しい毒を作ることはできるし、症状から分析し解毒剤を作成するまでにかかる時間よりも、犯人を特定して毒を手に入れて解毒剤を作る方がはやいことが常識になっている程度には、イタチごっこで新しい毒ができている。


おそらく毒への調査をしているのだろう。マリエラに仕えていた使用人は配置換えなどで顔ぶれを一新される。元は母の侍女だったジャナだけは残して欲しいと父と義母に頼み、ジャナだけは引き続きマリエラの担当として残してもらえた。


「マリーちゃん、今日は一緒にお本読める?」


母のベッドの横で本を読んでいたかつてのマリエラのように、5歳のエンリコがマリエラの枕元にいてくれることがとても嬉しい。


「マリエラ、何か食べたいものはあるかい?」


毎日かかさず父が顔を見に来てくれていることも密かな喜びだ。


「お姉様、今日は顔色がいいみたいで良かったです」


マリエラの方から話しかけてばかりだったフィオレが、毎日マリエラの部屋へ見舞いに来れるのも嬉しい。


「マリエラさん、このタオルケットはふわふわでとても肌触りがいいの。使ってちょうだい」


エンリコの様子を見にくる方が本命の目的とは言え、数日と空けず見舞いにくる義母の目も心からマリエラの身を案じてくれているように見える。母の1周忌から人が変わったように高慢さがなくなり謙虚になった義母を見ていたマリエラは、自分へ毒を盛っているのは義母ではないと思っていた。

……それでも母の実家と父は、義母がマリエラへ毒を盛っていると判断したのだと、ジャナは言っていた。きっとそれなりの根拠はあるのだろう。人は印象だけで判断はできないようだ。


マリエラの命の危険と、フィオレより優れない王妃教育の成績から父達が導き出した答えは、マリエラを王都から遠く離れた領地へ避難させ、母の実家が手配してくれた使用人で固めること。王太子の婚約者が教育を放棄し領地で過ごすなどありえない。マリエラはヴィルガ王室と父に王妃失格だと判断されたのだ。


父はマリエラと離れたくは無いが、王都にいることでマリエラが弱っていることの方がずっと辛いのだと、ちゃんと話をしてくれた。何よりもマリエラが母のように死んでしまうのではと不安でしかたないようだ。ボソリと王妃や高位貴族夫人が幸せとは限らないと呟いていたことが印象深い。マリエラの意見も聞かずに決断したことも謝ってくれたので、納得できた。


それでも、母が亡くなった時に似た、胸にポカンと穴が開いてしまったような喪失感に襲われ、今更傷ついている自分がいることに驚く。

レオポルドとはマリエラが体調不良になってもお見舞いに来ないような関係。きっとレオポルドはマリエラとの将来がなくなったと聞いても、マリエラと同じ喪失感など感じていない。マリエラはまさか残っているとは思ってなかったレオポルドへの恋心を握りつぶしてしまうような気持ちで、レオポルドとの将来はなくなったのだと自分に言い聞かせた。


義母からオススメされて読むようになったロマンス小説には「初恋は叶わない」とあった。初恋とは成就しないくせに必ず通らないといけないといけない厄介なもの。それを終わらせたのだと、気持ちを切り替えようと思う。


「領地の綺麗な空気がお姉様に合っているように祈ってます。寂しくなります。……お手紙を書くので、ちゃんとお返事をくださいね」


領地行きの馬車に乗る前、寂しくなると悲しそな顔をするフィオレのその青い瞳の奥に喜びが潜んでいることにマリエラは気付いた。マリエラが受けた王妃教育と同等の授業を受けているはずのフィオレが隠しきれていないその喜び。


マリエラの領地行きが決まったということは、マリエラはレオポルドとの婚約が解消されるという事に等しく、つまりはフィオレの念願が叶ったのだから仕方ない。きっとフィオレは喜んでしまう気持ちにマリエラへの罪悪感も持っているはず。


もしもレオポルドがマリエラと仲良くしていたら、もしもマリエラがあえてフィオレの引き立て役になっていなければ、もしもエンリコが病に伏せるマリエラの枕元に常にいてくれなければ、そんなもしもの時、フィオレはどうしていただろうという考えが頭をよぎるが、無理やり楽しい錠前魔法のことを思い出し深く考えないように努める。

フィオレは努力家で優しい可愛い妹。そうでないといけない。

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