第4話


イエルはレオポルドと喫茶店で隣同士に座り、一つのアップルパイを二人で食べ合ったあと、今はゆっくりとお茶を飲んでいる。レオポルドは個室の隅に控えて立つ従者カルリノの冷たい目線も気にせず、イエルの左手をもみもみと揉んでいる。


「イエルにいいものをあげよう」


気づくとイエルの左手首には小粒のガーネットが連なったブレスレットが付いていた。赤色と通常より淡いオレンジ色、2色のガーネットが交互に輝いている。


「うわぁ、ありがとうございますぅ。これ、赤はあたしで、オレンジはレオ様の目の色だぁ」


「ルオポロ王国の恋人たちは二人の瞳の色が入ったブレスレットを付けるんだろ?昔、教えてもらったんだ。俺の分もあるから付けて付けて」


そう言ってレオポルドはイエルへ左腕を差し出した。右手にはイエルが貰ったのとお揃いのブレスレットを持っている。


ブレスレットをレオポルドの腕につけながら、イエルはレオポルドが言った”昔”を思い出していた。「ルオポロ王国の恋人たちは二人の瞳の色が入ったブレスレットを付ける」とレオポルドに教えたのは、レオポルドの婚約者マリエラ・カファロだ。


なぜそれをイエルが知っているかというと、何を隠そう、イエル・ドルチェの正体がそのマリエラ・カファロだから。


正直、レオポルドがブレスレットのことを覚えていたことにイエル、いや、マリエラは内心とても驚いているが、王妃教育で鍛えた表情管理のおかげで顔には出ていないはず。後腐れない遊び相手として可愛がっているあざと可愛いだけのイエル・ドルチェは、実は、垢抜けない分厚いメガネでつまらないからと遠ざけた婚約者マリエラ・カファロなのだと、情けないほどにやけた顔でこちらを見つめている愚かなレオポルドは、夢にも思っていない。


まだレオポルドと婚約しておらず、父に婚外子フィオレがいると知らず、父と母の3人家族だった、マリエラが6歳の頃、マリエラの母が不治の病に倒れた。ベッドから起き上がることができなくなってしまった大好きな母。そんな母に何かできることがないかと侍女へ相談したところ、鍵を失くし開かずとなってる母の宝箱の存在を教えてもらった。


その宝箱を開けようと、幼いマリエラは尽力した。母がまだルオポロ王国の公爵令嬢だった頃に使っていたその宝箱は、手のひらサイズの小さいものとはいえ、掛けられている錠前魔法は公爵家の力を感じるほどに強力だ。マリエラは当時カファロ公爵家にあった全ての錠前魔法の本を読み込み、その本にあった全ての解除魔法を試したが開けることはできなかった。


諦められなかったマリエラが父に強請り連れてきてもらったのはヴィルガ王城図書館。カファロ公爵家にはなかった錠前魔法の本を、侍女に頼んで王城の中庭の四阿へ運び出す。中庭を通りがかる人々の視線を無視し、マリエラは家から持ってきた母の宝箱へ本に載っている錠前魔法の解除魔法を片っぱしからかけ続けた。急用の仕事で公爵家へ帰らないとと言った父に泣きつき、夕食の時間までに帰ることを約束し、父が帰った後も四阿で魔法をかけ続けた。


「その錠前の印からすると、これじゃない?」


西の空がオレンジ色に染まっていた中で突然声をかけられたマリエラは、ビクっと震えた後にゆっくりと声のした方へ振り向いた。興味津々という様子を隠せていない男の子が、マリエラの横に座り、夕日と同じオレンジ色の瞳を輝かせながら一冊の本を開いて見せてくれている。

いつからいたのだろう。マリエラは必死になるあまり、この男の子が一緒に錠前魔法の本を読み調べていたことに気づいていなかった。


知らない男の子にどう接していいか分からず、口を開けたまま黙ってしまっているマリエラに、その子は勝手に母の宝箱を手に取った。


男の子の人指し指の先から、その髪色と同じ黄金の魔力が現れ、先ほど見せてくれた本の通りに正確な魔法陣を描いていく。金色の魔力はヴィルガ王族の証。つまり彼はヴィルガ王国の王子様。その輝く金色の魔法陣は綺麗な正円の完成形になった後、ゆっくりと母の宝箱へ溶け込んでゆく。宝箱から魔力が溢れてキラキラと輝き出すと、カチャリ、カチャリと、一つづつ錠前が解除されている音が聞こえてきた。生まれつき目が弱く視力が低いマリエラは、その幻想的な光景を一つも見逃さないようにと集中して見守る。


「開いた!」


マリエラと変わらない小さな手が繊細な銀細工が施された蓋を開けている。二人で中を覗くと、サファイアとアクアマリンが交互に連なった、父がいつも左腕につけているものとお揃いのブレスレットが入っていた。サファイアの青は父の、アクアマリンの水色は母の瞳の色。この宝箱の中には、父が婚約者時代に母へ送ったブレスレットが入っているのだと、マリエラは母の侍女から教えてもらっていた。


「この水色の宝石、君の瞳みたいだね」


「本当?嬉しい!この青はパパで、水色はママの瞳の色なの。ルオポロ王国の恋人たちは、二人の瞳の色が入ったブレスレットを付けるんだって侍女が言ってた。だから、ママのためにどうしてもこの宝箱を開けたかったのに、お家にある本だと開けれなくて困ってたんだ。……王子様、どうもありがとう!」


マリエラが笑顔でお礼を言うと、王子は少しタレ目なオレンジ色の瞳を嬉しそうに細めてくれた。


黄金に輝く錠前魔法の解除を見たマリエラは、錠前魔法の虜になってしまった。

宝箱を開けてブレスレットを取り出せたことへのご褒美は、ヴィルガ王国より魔法が発達しているルオポロ王国の錠前魔法の本を強請った。母が寝ているベッドの枕元でそれらの本を読むようになったマリエラは、病気の母のために明るすぎない照明になっている母の部屋で錠前魔法の本を読み続けていたせいで視力を落としてしまう。母に見立ててもらった分厚いレンズのメガネをかけるようになってすぐの7歳の時、母は静かに息を引き取った……。


その後すぐ父は再婚し、義母と異母妹という新しい家族ができたその翌年、マリエラが8歳の時、義母が異母弟エンリコを産んだことでカファロ公爵家の跡取りが決まり、同時にマリエラの婚約も決まる。


マリエラの婚約者は、黄金の魔法陣で母の宝箱を開けてくれたオレンジ色の瞳の王子様、王太子レオポルドだった。


錠前魔法の虜になるきっかけとなったレオポルドに淡い恋心のようなときめきを抱いていたマリエラは、レオポルドと婚約できたことが嬉しかった。二人の将来のために厳しい王妃教育を頑張ろうと思っていた。でも、それはマリエラの一方通行な思いだった。


メガネのせいで垢抜けないし一緒にいてもつまらないと、レオポルドはマリエラを遠ざける。出会った日に見せてくれたオレンジ色の瞳が輝く笑顔を、婚約者のマリエラへ見せたことは一度もない。


あざと可愛い演技をしているものの、マリエラがただメガネを取り髪と瞳の色を変えただけのイエル・ドルチェに対しては、初対面から笑いかけてきたレオポルドが憎たらしい。あの美しい魔法陣を見せてくれた時と同じ笑顔を”イエル”へ見せてくれるたびに、”マリエラ”を否定されているように感じてしまう。忘れ去ったはずの小さな淡い恋心がまだ残っていているのではと思わせるのが何よりも腹立たしい。


……痛っ。


お揃いのブレスレットをレオポルドの左手に付けながら、レオポルドとの出会いとその後を思い出していたマリエラは、コンタクトレンズによる目の痛みで我に返った。


近年ルオポロ王国で開発され、母の実家の伝手で治験を兼ねて使用しているコンタクトレンズ。直接目にレンズを入れるのだが、とても目が乾き時折り痛みが走るのだ。今しているのは極小の水魔法の魔法陣が刻まれた改良版だが、水にトロミのような粘度が必要な気がする。


早く学園の寮へ帰りコンタクトレンズを外したい。でも、今日は更に計画を進めて、言質を取ってこいとジャナから言われている。


「こうしてお揃いのブレスレットをしてると、レオ様とあたしが恋人同士みたいですねぇ」


婚約者がいるくせに、という本音部分は押し殺し、今の曖昧な関係について突っ込む発言をしてみる。これまでイエルの扱いについて言葉にすることはなかったレオポルドがルオポロ王国の恋人の証のブレスレットを渡してきた今は、間違い無く好機。


「イエルは俺の恋人じゃないの?え?もしかして俺のことは遊びだったの?」


レオポルドはわざとらしく眉を下げ、またマリエラの左手をとり、むにむにと揉みだした。レオポルドの手のひらが熱い。


留学期間が終わった来月以降のことは何も言葉にしないくせに何を言ってるんだか、と思いつつも、これまで周囲へは友人と言い、二人きりだとしても明確に恋人だと言葉にすることはなかったレオポルドが、初めてイエルを恋人と認めたのだ。マリエラは嬉しくて悲鳴をあげそうになるのを必死に我慢し、右手で胸を抑える。


これだけでも十分なのだが、もっといけるかもと欲が出たマリエラは勝負に出た。

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