【麻琴、瑠璃色、アメリア(2)】

 悲しみにくれる麻琴の手を引きながら、瑠璃色は釈然としない気持ちでいっぱいだった。なぜガスマスクの戦闘員が殺害にまで及んだのか、理解ができなかったからだ。


(来園客を生かして捕まえるのが〝組織〟の目的のはずなのに、どうして……)


 今回はいつもと違い、まったく協力が得られていないため、情報があまりにも少なすぎた。場合によっては、最悪のケースも考えなければならないだろう。


 だが、そのまえに──


 瑠璃色は何気なく振り返って、麻琴とアメリアを見る。

 このふたりをどうにかしなければ、あの人・・・に合流してアレ・・を手渡すことが出来ない。すべてを終わらせることが出来ないのだ。


「たしか、この辺のはず……」


 先導する瑠璃色が、二手の分かれ道の前で足を止める。

 東京ケツバット村の地下にある通路は迷路のように入り組んでおり、どこまでも続くのではないかとさえ思えるほど広大であった。

 昨年の夏、盗み見た設計図にはこのような地下迷宮は存在せず、地上の遊園地も、定期的に年間数名ほどケツバット村へ連れ去れれば良いくらいの計画だった。

 だが、実際に着工されるとアトラクションのいくつかには奇妙な仕掛けが加えられ、地下には謎の迷宮も建造されていた。統括責任者の敦士も知らなかったようで、疑問をぶつけても「建設費用は〝組織〟が出すんだし、気にするな」と、楽観的で話にならなかった。


「こっちとそっちに出入り口があって、豚野郎の家はそっちかな」


 そう指し示した瑠璃色は、いっときの仲間たちの顔に視線を戻す。泣き腫らした顔の麻琴と、緑玉色エメラルドの瞳を持つ白人少女が自分を真っ直ぐ見つめていた。

 ここでふたりと最初から別れるつもりだった瑠璃色は、年下の少女たちの純粋無垢な眼差しにそれを切り出せなくなってしまう。


「あー、あれだよ……その……(クソッ、おまえたち……そんな目で見るなよ!)」


 たまらずに視線をそらして金髪頭を利き手で掻きむしる。それは、ストレスを感じるとついしてしまう、彼女の悪い癖だった。


「…………行こうか(行けばいいんだろ、クソッ!)」


 瑠璃色がすべてを諦めてケツバットン・マンションへ一緒に向かおうとしたそのと時、大勢の人の気配をアメリアが感じとる。それは、とても不吉な予感と邪気に満ち溢れていた。


『ねえ、見て! あっちから、邪悪な気に包まれた人たちがやって来るわ!』


 迫り来る危機を必死になって伝えようと、大声で麻琴と瑠璃色の注意を背後へとうながす。


「どうしたのアメリア?」


 何やら騒ぐアメリアに麻琴が先ず振り返り、瑠璃色も一拍ほど遅れて振り返る。


「何か言ってるけど……麻琴って英語がわかる人?」


 瑠璃色の問いかけに、にんまりと笑顔だけで答える麻琴。


馬鹿ばかヅラしやがって……ちゃんと言葉で言えよな)


 心の中で適度に罵ってから、瑠璃色はあらためて後方を見る。蛍光灯のあかりが届かずに薄闇となっている箇所のさらに遠くで、蠢く人影が複数見えた。

 本能で危機を察知した瑠璃色は、握っていた麻琴の手を強く引っ張り、逃走の意思を伝える。


「おい、ヤバいぞ! 早く外に出よう!」

「えっ、なんで?」

「馬鹿か、おまえは!? 誰かが追って来てるんだよ!」


 そう瑠璃色に言われて、麻琴はようやく遠くを確認する。確かに、大勢の人影がこちらに迫っていた。それはガスマスクの戦闘員とは違う、別の誰かだった。

 正体を探ろうと目を凝らす麻琴に、瑠璃色は「早く逃げろ!」と言って、さらに腕まで引っ張る。アメリアも別の腕を引っ張るので、転びそうになりながらも、麻琴はふたりに連れられて先へと走って進んだ。

 コンクリートの通路が、上り坂に変わってゆく。

 その先に垣間見えたものは、蛍光灯の光りが届かない別の世界。蒸し暑い外気も感じられることから、地上まではそう遠くないことがよくわかった。


「出口はすぐそこなんだから、もっと急げって! 追いつかれたら、それこそおしまいだぞ!」

「う、うん!」


 瑠璃色は発破をかけながら、さらに走る速度を上げる。麻琴とアメリアもそれに続くが、人影も確実に迫ってきていた。

 通路内に反響する足音とは別に、男性や女性の笑い声や怒鳴り声が聞こえてくる。さすがに離れた距離だと言葉の内容まではわからないが、好奇心よりも恐怖心のほうが上回り、刻む足音が少女たちの耳もとで大きく木霊する。

 必死になって駆ける3人は、無事に屋外へと出れた。

 まず目に飛び込んできたのは、夏の夕暮れに染まったコーヒーカップのアトラクションだった。辺りを見渡せば、少し遠くに白い鉄柵が見える。


「北側ゲートがあそこだから、ケツバットン・マンションはあっち!」


 瑠璃色がコーヒーカップと自販機のあいだの道を指差す。

 北側ゲートと聞いて、麻琴は凛を思い出した。胸が苦しくなるのを感じつつ、瑠璃色に話しかける。


「あのね、ルリちゃん……凛が……凛に会えたし、ケツバットン・マンションにはもう用がないんだ……ごめんなさい」


 突然の告白に、瑠璃色は一瞬固まる。


「はぁ?! おまえ、今さら何言ってんだよ!?」


 物凄い形相で麻琴を怒鳴りつけたが、その表情もまた固まる。

 10メートルも満たない後方の穴の中──暗がりと外光に照らされる境い目まで、赤黒い目玉をした来園客たちが迫って来ていたからだ。


「ひゃあ!?」


 思わず甲高い声を上げながら、瑠璃色が後ろへと仰け反る。その様子に麻琴が反応するよりも早く、アメリアがふたりの手を掴んで先へと走りだした。

 偶然なのか必然なのか、3人はケツバットン・マンションへと続く道を走って逃げていた。


「ねえ、どうしてこっちへ行くの? 出口はこっちなの?」

「本当に馬鹿だろ、おまえ! すぐ後ろまで感染者・・・が追いついてきてるじゃんかよ!」

「感染者って?」

「あーっ、もう! あとで教えるよ!」


 苛立つ瑠璃色が、今度は前方の人影に気づく。

 日没間近の燃えるような空の下。まるで焼け焦げた黒いかたまりみたいな人影は、ざっと見た限りで20人以上はいるだろう。まさかのタイミングで、挟み撃ちにあってしまった。


「クソッたれ! ダメだ、止まれ!」

「ええっ?! うわっ!」


 そう言って瑠璃色が急に立ち止まったので、体勢を崩して転びそうになった麻琴の腰を、アメリアがしっかりと押さえて受け止める。


「ありがとう、アメリア」

『はぁ、はぁ……マコト……はぁ、はぁ……大丈夫……?』

「あっちには行けない。とりあえず、向こうへ逃げよう!」

「ちょ……ルリちゃん、待ってよぉ!」


 瑠璃色の後に続いて、麻琴とアメリアはふたたび全力で走る。だが、すぐ後ろで激しい息づかいを聞いている麻琴が、今度は声を上げた。


「ねえ、ルリちゃん! アメリアが苦しそうだから、ちょっといったんストップ!」


 そんな叫び声に瑠璃色が振り返れば、麻琴がアメリアをおんぶしているところだった。


「大丈夫かよ? それで本当に走るつもり?」

「全然平気。アメリア、超軽いもん」


 アメリアを背負った麻琴が軽快に走りだしたので、その後ろを守るようにして瑠璃色も走りだす。振り返れば、赤黒い目玉をした来園客たちが奇声を発しながら徐々に迫ってくる姿が見えた。

 最悪だ。

 このまま逃げきれる自信がない。

 ざっと見た限り、40人以上が追ってきている。なんの武器もない上に、数でも圧倒的に不利だ。

 地下迷宮を抜け出せたものの、絶望の中をグルグルと走り回り続けているだけ──瑠璃色は、そんな気分になっていた。


(この先には営業管理センターがあるけど、立てこもるにしては頼りないし……クソッ、どうすればいいんだよ!)


 何か良い手はないものか。

 考えを巡らせていると、先を行く麻琴が前方の新たなる人影に気づく。


「あれっ? 向こうからも誰か来るよ!」


 アメリアの薄い背中越しに前を見れば、確かに体格の違う3人が歩いてやって来る。

 相手が3人だけなら、もしもの時には自分がおとりに──そう心に決めた瑠璃色が夕闇の中でよく目を凝らすと、こちらに向かっていた人物は、金子敦士を先頭に、麦わら帽子を被った女とショートサロペットを着た少女だとわかる。


(うわぁ……なんか微妙だけど、これで絶対に助かる!)


 苦虫を噛み潰したような表情に変わった瑠璃色は、大声で「このまま進んで!」と指示を出す。麻琴は返事こそしなかったが、そのまま真っ直ぐ、3人に向かって走り続けた。



 徐々に、確実に、互いの距離が近づいてゆく。

 逃れられない運命が、ついに交差する──



「ねえ、敦士」


 不機嫌そうに麦わら帽子を被る女が言えば、すかさず「はい」と返事をした敦士が笑顔で振り返る。


「おまえ……『北側ゲートは問題ないから、そこから逃げましょう』って言ったわよね?」

「はい。全然大丈夫です」

「じゃあさ、アレは何よ?」


 女は顎だけを動かして〝前を見ろ〟と冷たくうながす。


「ははははは……いっぱいやって来ますね」


 前を見てからふたたび笑顔で振り返った敦士の前髪を、女が鷲掴みにして下へと引っ張る。そのまま女は続けざまに、敦士の顔面へ膝蹴りを見舞った。


「ブフォッ!?」


 予想外の仕打ちに、敦士は無様な格好で倒れた。それをマネキンのような無感情な目つきで見届けた女は、淡々とした口調で話しかける。


「敦士ぃ、わたしはおまえを何年食わせてやってんだよ?」

「ブシュルルルル……じ、15年以上になります!」


 ゆっくりと半身を起こした敦士が鼻血を片手で押さえながら、怯える眼差しでそう答える。


「じゃあさぁ、わかるわよね?」

「はい……申し訳ありません。責任はオレが取ります」

「だったら、早く片付けろよ!」


 瞬時に右の目玉だけが赤黒く染まった女は、追い打ちをかけるように、敦士の肩をエナメル革のパンプスの踵で蹴りつける。


「はい、すみません! 今すぐにっ!」


 慌てて立ち上がった敦士は、謝罪の言葉の余韻が消えるよりも早く、感染者たちの群れへと走り始めた。

 そんな大人たちの奇妙な主従関係を横目で見ながら、手錠をつけられて拘束されている彩夏は、どのタイミングで逃げだそうかと静かに算段をしていた。


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