ある日の出来事

 両親と弟が中央へ行ってからもうすぐ5年の月日が経つ。ミリャナは毎日孤児院へ仕事に行き帰ってくるのを繰り返す生活を送っていた。


「ミリャナ、貴女そろそろ結婚とか考えないの?」


 ミリャナの働く孤児院のシスターの一人ヘレンが洗濯物を干しながらミリャナに話しかける。


「結婚ねぇ、どうかしら?わたし要領が悪いからダメよ、それに……」


「また、弟?ミールだっけ?5年間音信不通なんでしょ?あんまり酷い事言いたくないけどさ。もう、帰ってくる期待も薄いんじゃないの?」


「そ、そんなことは……」


 ヘレンの言葉に強く言い返せないのは、ヘレンに悪気が無く、ミリャナの心配をして言ってくれているのがわかっているからだ


 それに、ミリャナも薄々ではあるが、帰って来ないかもしれないと感じている。両親が死んだ時は、手紙が来た。

 だが、ミールの死亡通知は届いていない。それだけが今のミリャナの生きる希望であった。


「まぁ、アンタの人生だから好きに生きれば良いけどさ、せっかく美人に生まれたんだから森の小屋で一人でいるよりか、いい人見つけて早く幸せになんなさいよね!お金持ちを見つけてこの孤児院にお金を寄付させるのがいいわ!」


「まぁ、ヘレンったら!わたしの幸せは何所に行ったのかしら?」


 べっと舌を出した後にへへへっと笑うヘレンがミリャナは大好きだった。

 気を遣わない物言いがミリャナには心地よい物であった。

 仕事が終わると、いつものパン屋さんで夜のパンとミルクを買う。


「お仕事ご苦労様、これ、あまりだから持って行きな!」


「ありがとう!バーニャおばさん!」


 ミリャナはお礼を言うと紙袋を抱えて門へと向かう。


「こんばんわ、グレイおじさん」


「あぁ、ミリャナか今日もご苦労さん!何も問題は無かったか?」


「おじさんに怒られるからって誰も話しかけてくれないのよ!お嫁に行けなくなったらどうしてくれるのかしら?」


「おう!それは結構なことだな!嫁になんてまだ早い!気をつけて帰るんだぞ!」


「おじさんは乙女に対して酷いことを言うのね!フフフ、それじゃおじさんまた明日!」


 門を出ると空が茜色に染まっている。町の塀沿いを暫く歩くと曲がり道があり、そこを曲がってまっすぐに進むとミリャナの家だ。


「ただいま」


 家には誰もいないが、5年前から必ず言うようにしている。5年前は両親と弟が、3年前からは弟が帰ってきていて、おかえりを言ってくれるかもしれないと思っての事だった。

 朝に作っていたスープを竈で温めなおしている間に、寝間着に着替え下着を洗ってから独りで夕食を始める。


「この固いパンで人を殴ったら、金槌よりも効果があるんじゃ無いかしら?」


 そう真面目に言うヘレンが、たまらなく可笑しくなってしまい。二人で笑った事を、スープで固いパンをふやかしながら思い出す。

 思い出し笑いをしながら夕食を終えると、裏の森へと水浴びをしにいく。洗濯物をここでしようと何度か考えたが、何だかしてはいけない気がして、水浴びと水汲みだけにしている。


 水浴びが終わったら、ついでに水汲みをしてから家に戻る。5年前は何度か水の重さに桶をひっくり返したり、コケたりしたが、今はもう大丈夫だ。

 家に戻ったら冷季に向けての編み物をする。靴下に洋服、手袋、これがないと手足が真っ赤になって動かなくなるので温かい炎季の内に作っておかなければ、冷季になってから困ってしまうのだ。


 町に行けば売ってはいるが、高くて手が出せない。孤児院のお給金は微々たる物で贅沢は出来ないのである。教会という名目で運営はされてはいるが、寄付は殆ど無く、領地からも限られたお金しか回ってこない。

 なので子供の食べる物も少なく、シスターも食料も何もかもが足りない状況だった。


 お金のない教会に働きに来てくれる人はいない。最近はミリャナも他のシスターも休み無く働いている。ミリャナはシスターではないので辞めてしまえば良いのだが、子供達の事を考えるとそうはいかなかった。


 ある程度作業を進めると、作業を辞めてベッドに潜る。シーツに包めた藁がチクチクすることがあるが今日は大丈夫のようだった。


 早く朝になるように目を閉じる。ミリャナは夜が嫌いになっていた。


 このまま目が覚めなければ、天国で家族と幸せになれるかな?そんなことを考える日は、自分に嫌気がさし泣いてしまう事もあった。


 次の日の朝、目を覚ますとミルクとパンで朝食を取り、汲んでいた水で顔を洗い歯磨きをするのだが、木の棒で磨くので時々歯茎から血が出る。


 町に向かって歩いてると徐々に目が覚めていく。朝のシンとした空気と森の匂いがミリャナは好きだ。


 門番のグレイに挨拶をしてから教会の孤児院に向かうと、マザーやシスターへ挨拶をして朝の掃除を行う。それが終わったら今度は、子供たちの昼食の準備だ。

 固いパンを切った物を数個とミルクをコップ一杯用意する。子供達は遊び回る元気も気力も無いようで、ベッドに寝たきり。食事の時以外は殆ど動かない。教会の中はシスターの木靴の音だけがコツコツと響く、静かな空間であった。


 昼過ぎには、神様の話の読み聞かせがある。子供達はこれが好きなようで、ミリャナが本を持って部屋に入ると、周りに子供がいつも集まった。良いことをすると神様の元へ行ける。神様を信じていれば救われる。と言った話だ。


「ね~、ね~、ミリャナ?僕たちは神様のところへいけるの?」


「そうね、ネルティ達は良い子だから大丈夫よ」


「本当?良かった~!」


 ミリャナはこの話が嫌いだ。毎回、大丈夫よ、という自分も嫌いだ。

 何が大丈夫なの?誰かに聞きたかったが誰も答えてはくれない。


「ミリャナ、大丈夫かい?」


「ん?どうしたの急に?」


「いや、何か暗い顔してるからさ~生理?」


「ちょっと!ヘレン!」


「あら、良いじゃない女同士なんだし、恥ずかしい事も無いでしょ?」


「それは、そうだけど、子供達が聞いてたらどうするのよ?」


「大丈夫よ、お昼寝で寝てるし」


「そう……あ、そういえば、ミコルの姿が見えなかったけど、どうしたのかしら?

 お話しが好きで、いつもニコニコして聞いてくれてたのに今日は姿が見えなかったわ。

 まさか!病気とかじゃないわよね?」


 病気になったら孤児院では病院に行くことさえ出来ないので大ごとだ。ミリャナはミコルのことが心配になった。


「ミコルは昨日、死んだ」


「え?」


 ミリャナは、喉が引きつる。


「昨日の夕方、孤児院の外に1人で出ちゃって、あたしらが探しに出たんけどさ、見つけた時にはもう……殺されててさ」


「こ、殺されてたって?」


「犯されてドブに捨てられたんだと思う。服着てなかったし、アレが裂けてたよ。野良犬に半分食われてたし、ミリャナが来る前に、埋めちまおうって皆で決めて、埋めたんだよ。見たら吐いちゃうか、気を失うかしちゃうだろ?」


「そ、そうね」


 ミリャナが働き始めてから、5年の間に6件同じ様な事があった。

 1番酷かったのは、教会の門の策に子供の頭だけ刺さっており。バラバラにされた手足が投げ入れられていた時だろう。肢体が無い子供の死体の局部には、ゴミと書かれた木札が刺さっていた。

 それを、朝1番に発見したミリャナは発狂しながら子供の身体を集め、埋葬が終わると嘔吐し白目を剥いて卒倒した。

 それから、シスターの間ではミリャナには、死体が出ても、事後報告する事にしたのだ。


「あんまり、気落ちしないことだね。

 ミリャナのせいじゃ無いんだからさ。

 あたしら孤児なんてそんなもんなんだから。

 引取先でやられて死ぬか、町でやられて死ぬかだ、私だっていつ死ぬかわかんな……」


「そんなこと言わないで!」


 ミリャナはつい怒鳴ってしまった。


 ヘレナは孤児院上がりのシスターだ。空気を読まないでパッと喋るので、引き取り手も雇い手も無かった。

 今回の話も聞いたのがヘレナで無ければ、引き取られたか、事故と話していただろう。


「ごめん、悪かった。また失敗したんだね。あたし、その、励ましたかったんだ。ミリャナの事さ。あ、あたし達友達だろ?だからさ、落ちこんで欲しくなくてさ」


 申し訳なさそうに焦っているヘレンの顔が面白いのと、優しさが嬉しくなり。ミリャナは吹き出してしまった。


「あれ?成功かい?へへへ。ミリャナは笑顔が1番にあうからその方がいいよ!」



「ありがと、ヘレナ」


 ニコルの事は悲しいけど、他の子供達が同じにならないようにしなくちゃ!悲しむのはその後。そう思わないと動けなる事を、ミリャナは自分で理解していた。

 午後の掃除を終えた後にミリャナは子供部屋を回っていつも以上に注意喚起をする。


 最後の部屋で夜は外に出ないように。と声かけをしていると、ラジャがミリャナに声をかけてきた。


「昨日、ミコルと会えた?」


 鼻水を垂らしながらニコニコと話しかけてくるラジャ。ミリャナは死んだニコルの名前が子供から出て来て、ドキリとする。


「会えた?会えたって?ラジャ、何か知ってるの?」


「昨日ね。ミコルね。ミリャナに会うって言って、お外に出て行ったの!」


 頭を殴られた様な衝撃がミリャナに走った。笑顔が引き攣ってしまう。


「そ、そう、教えてありがとうね、ラジャ。ラジャはお外に出たら駄目だからね」


 そういってラジャの頭を撫でる手が、話しかける声が震えてしまう。ミリャナは子供達に気付かれないように、孤児院の出口へと向かう。頭クラクラして足がガクガク震えた。


「ミリャナ!大丈夫か!?凄い顔色してるぞ?」


「ヘレン、貴女、知ってたわね」


「な、何を?」


「ミコルが何で外に出たかっ!」


 つい大きな声を出してしまった事にミリャナは少し我に反る。


「ご、ごめんなさいヘレン。私今日は帰るわね」


「おい、送っていくよ」


「大丈夫。大丈夫だから」


 心配そうに見つめるヘレンを背に、ミリャナは孤児院を後にした。


 その後、どうやって家に帰ったかは、覚えていない……。

 気がついた時には暗い中リビングの椅子に座り佇んでいた。


 暗い部屋奥に、更に暗い何かが見える。その暗闇が広がりミリャナを覆う。ミリャナは何だか心地が良い気持ちがした。


『もう、良いかしら?』


 ミリャナがそんなことを思ったときだった。


「ねぇねぇちゃん?」


「ミコル!?」


 ミコルが呼ぶ声が聞こえた気がして、ミリャナは弾ける様に椅子から立ち上がる。しかしリビングにはミリャナ独りだ。

 そして我に返りミリャナは膝から崩れ落ちる。


「あぁぁぁ!!!ごめんなさい!!!ごめんなさい!!!ミコル!!!ごめんなさいミコル!!!ミコル!!!ゴメンねえぇ!!!」


 ミリャナはミコルの名前を呼びながら、子供の様に泣き叫んだ。

 どれ位泣き叫んだだろうか、喉の渇きと痛みでミリャナは目を覚ました。

 口の中に血の匂いが広がる。叫びすぎで喉から出血している様だ。顔が火照り目が腫れぼったい。


 ミリャナはフラフラと歩きながら裏の森の泉へと向かい泉へと潜る……。

 ちゃんと服を脱いでいる自分に。冷たい水が気持ちいいと感じている自分に。謝って楽になろうとしている自分に。嫌悪感を感じ、可笑しくなる。


 息が苦しくなり湖面に浮上し水面に身を任せ、空を見上げると綺麗な星と月が見えた。

 ミリャナが孤児院に行き始めたのは、寂しさを紛らわせる為だった。

 最初は孤児院の子供達の世話をする事で、必要とされる事で、心のバランスを保っていた。


 だが孤児院に通う内に、子供達の笑顔が愛おしいと思うようになった。

 家族が戦争から生きて帰ってくる事を信じるのと同じ位、大切な心の支えになった。

 でもそのせいでミコルは、犯され、ドブに捨てられ。犬に食べられてしまった。


 私の偽善のせいで、怖かっただろう

 私の寂しさがあの子を、苦しめた

 私がいたからニコルは、殺された

 私がいなければ、今も生きていた

 私がいなければ、私が、私は……。


「ばーか……死んじゃえ」


 かすれた声が虚しく森へと消えていく。

 明日も、孤児院に行こう。


 私は、私のために、私なんだから、私で良いの、ワタシガ行こう、あの子達に優しくしなきゃ、ワタシノタメニね。


 そうでしょう?


 お腹が空いた。ご飯を食べよう。ミリャナはそう思うと、岸に向かう。

何だか、気分がいいわ、明日何か良いことが起こりそう。そう思うとミリャナは笑みが止まらないかった。


 ミリャナが岸辺に着くと、何処からともなく声が聞こえてくる。


「姉さん!助けて!早く!」


「ミール?」


「姉さん!ちょっと!早く服を来て!!!裸のままじゃ駄目だからね!!!早く!!!」


「ミール!?ミール!?何所なの!?ねぇ!?ミールでしょ!?待ってミール!」


 静な森にミールの声を聴いたミリャナの悲鳴の様な声だけが響く。ミリャナは夢中で服を着ると声のした方へ裸足で走った。


「あら?私は何をしているのかしら?馬鹿じゃないかしら、ミールがいるわけ無いじゃ無い」


 ミリャナはふと我に返り。爆笑したくなった。


 頭悪すぎでしょ本当に……。


 溜息をついて家に戻ろうとすると、何処からともなく風が吹いてくる。


「ミール?」


 その風は懐かしいミールの匂いがした。


 お日様の様な子供らしいミールの匂いがミリャナは好きで、良く頭を撫でていた。

 心が今も覚えている。ミールの全て全部をミリャナは今も忘れず覚えている。


 風が吹く方へふらふらと歩いて行くと、そこには男の子が倒れていた。

 年の頃は10歳くらいだろうか?怪我をしている様で出血が酷い。服が血で染まっている。服装は何処かの貴族だろうか?良い物を着ている。


 この服を売れば、お金になるかしら?子供達に、お肉でも買っていけば私はいい人かしら?優しいかしら?そう考えていると。

 ミリャナは急激に気持ち悪くなり嘔吐してしまった。


 何を考えているのよ!私は!ミリャナは意識をハッキリさせる為に、両足の太股に爪を立てた。

 爪が肉にぎぎぎとめり込む激痛で意識がハッキリする。


「ミール!この子を助ければ良いのね!?」


 ミリャナがそういうとミリャナの周りに風がふわりと渦巻き木の葉が舞う。するとミリャナは血塗れの男の子を抱えながら全力で森の中を駆け抜けた。


 ミリャナは家に駆け込むと、ベッドに男の子を寝かせ傷を確認する。出血痕は凄いが傷はそこまで深く無い。血は既に止まっている。それでもからだが冷たい。

 ミリャナは急いで血塗れのワンピースを脱ぎすて、男の子抱きしめる。


「駄目!死んじゃ駄目よ!頑張りなさい!生きるの!」


 ミリャナは一晩中その男の子に声をかけ続けたのだった。


 その日からミリャナの生活は大きく変わっていった。


 家には笑い声が増え。ミリャナの知らない物がたくさん溢れ。孤独は感じなくなっていった。


 家に帰ると明かりがついている幸せ。

 ただいまと言うと、お帰りがある幸せ。

 誰かと話しながらご飯を食べる幸せ。

 当たり前の事がミリャナにはたまらなく幸せに思えた。


 そしてこれはミールからの贈り物だとミリャナは思った。

 ミールが死んだとは思いたくないが。あの時ミールの声が確かにしたのだ、懐かしい匂いと共に。


 それから数ヶ月が立った。


「ミリャナ、アンタ最近太ったんじゃないの?」


「え!そうかしら!?」


「なんか、最近ずっと良い匂いがするし……」


「そ、そうかしら?」


「アンタァ~、もしかして~男が出来たなぁ~?」


「えぇ!元ちゃんはそんなんじゃないわよ~!」


「元ちゃん!?まさか、本当に男かい!?」


「ん~、男っていうか弟っていうか?神さま?」


「なんだいそれ?神さまは言い過ぎだろ、弟ねぇ」


「うん、家に居候してるのよ10歳くらいの男の子」


「居候って大丈夫なのかい?ってもまぁ10歳の子供じゃ心配ないんだろうけど……まぁ、アンタが元気になったならそれでいいや、これでミコルも天国にいけるさね」


「そうね、ミコルが居なくなったのは悲しいけどミコルの分まで他の子供達をを愛するわ!」


「かぁ~、小っ恥ずかしいこと言うね~ハハハ、嫌いじゃあ無いけどね」


 ヘレンと二人で午後の洗濯物を終え、家に帰るために門番のグレイへ挨拶をする。


「おう、ミリャナ!何か最近はえらい元気良いじゃないか」


「そうかしら?あまり変わらないとおもうけど?」


「何か、ふくよかになったというか美人になったよ!」


「まぁ!ふくよかは余計よおじさん!そんなことをいうからお嫁さんが来ないのよ!」


「ガハハハ、こりゃ参ったな、言う様になったじゃないか!気をつけて帰れよ!」


「はい!また、明日!」


「おう、また明日!……まったく坊主の影響かね……感謝しなくちゃな」


 ミリャナは門を出ると隠していた自転車に股がり、そしてペダルを踏み込む前に少しお腹をつまんでみる。


「困ったわ。わたし太ったのかしら?

 元ちゃんの作るご飯が美味しいのがいけないんだわきっと……今日のご飯は何かしら?」


 家の屋根裏に何か作っている事も、家の裏に変な木が増えている事も、耳が長い人が引っ越しをしてきた事も、お化け?っぽいものと時々喋っている事も、神さまのふりをして孤児院を助けてくれてる事も、体が光ってる事も、他にもいっぱい驚く事ばかりだけど。

 

 最近は楽しいことがいっぱいだ。


 隠してるようだから知らないふりをしておいてるけど、いつかちゃんと話してくれるかな?


 自転車のペダルを踏み込み風を受ける頰が自然と綻ぶ、家に帰ろう。自然とそう思える事がミリャナは幸せだった。


 が……帰宅後、新たな家族が出来ることをミリャナはまだ知らない。

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