「デートの準備」
僕は朝ごはんを食べていた。
普段なら、ヘッドホンを付けてスマホで動画を見ながらの朝ごはん。
しかし、今日僕の手元にスマートフォンはない。
必然的に、僕はぼんやりと物思いにふけるしかなかった。
明美との夏祭りの約束が、もう明後日に迫っていた。
次の次の日に僕は、明美と田舎の小さな夏祭りに行くためだけに、新幹線で母さんと二人で一泊の旅に出るのだ。
そんなのまるでデートじゃないか。
って、考えるだけで僕の身体は緊張して、不安や焦燥感で怖くて堪らなくなる。
そうだ。病院で話す時とは違うのだ。
あの時は、ふと立ち寄ったからとか入院中だからとか、お互い以外の目的があったけれど、
明後日は100%明美と会うためだけに新幹線に乗るのだから。
あの約束を、後から何度も後悔した。
どうしてあんな約束をしてしまったのか?
って、思い出すたびに恥ずかしくて、胸の奥が熱くなる。
僕は七河明美が好きなんじゃない。僕が好きなのは帆風千夏だ。彼女が死んだ今もそれは変わっていないはずなのに……
昨晩の明美との電話、ふと吐息の混じる明美の甘ったるい声が鼓膜に張りついて離れなかった。
どうしても、心臓の鼓動が高まるのが止められない。
どうして……僕は、明美が好きになっているのか……?
……分からない。自分でも困惑していた。
もし僕が明美に惚れているのだとしたら、僕は最低な男だ。
千夏が死んですぐに明美に乗り換えるだなんて……優柔不断すぎる。チョロすぎる。
女の子と話すのが久しぶりすぎて、変に緊張してしまってるだけなんじゃないかとも思う。
半年前までの中学高校、女の子やそして男とも、事務的な会話や軽い世間話はするものの。
明美や千夏と話すような深い内容の会話はほとんど無かった。
朝ごはんを食べて、時間を持て余した僕は、白いコピー用紙に窓の外の風景を描くことにした。
どうしてそんな事をするのかというと、なんとなく、ただ描きたいと思っただけだ。
小さい頃、千夏や明美と三人で遊んでいた時。
僕たちはよくお絵かき対決をした。
人の顔とかカブトムシとか、雲とか田んぼの風景とか、思い思いに絵を描いて、近くにいる大人に誰が一番上手か決めて貰うのだ。
三人みんなそこそこ絵が上手かった。
風景画は僕の得意領域だった。ダムの湖とか流れる小川とか、生い茂る木々、建物の立体感を描くのも得意だった。
千夏は生き物を書くのが得意だった。猫とか犬だけじゃなくて、カエルとか魚とか、ユニコーンとか想像上の動物を描くのも好きで、千夏自身でもオリジナルの動物を考えていた記憶がある。
明美は人間を描くのが上手かった。どちらかというとデフォルメよりの、少女マンガみたいな可愛い絵柄だ。
ときどき短い漫画を描いて、得意げに読ませてくれた記憶がある。いわゆる少女漫画的なやつだったけれど、僕には面白さがよく分からなかったな。
あれから六年。千夏は死んで、僕と明美は夏祭りに行く。
女の子との約束には、それなりの準備が必要であった。
身だしなみと、服装。
あいにく僕は
明美とデートに行くなら、きちんとした格好で行かないといけない。
具体的には、美容院で髪を切るとか、服屋で自分に似合う浴衣を買うとか。
無理。
僕は頭の中で即座に拒絶した。
でも……
無理と決めつけてしまうのは簡単だ。でも本当に不可能なのか? やってみなくちゃ分からないじゃないか。
幸い朝ごはんを食べた僕の身体、頑張る元気で溢れていた。
今日は、少しだけ頑張ってみたい。
美容院に行くのは無理だとしても、少しだけ家の外に出たり、散歩したりだけでも良い。
よし、まずは部屋を出よう。
僕は机の上の食器を片付けて、お盆に乗せて持ち上げると、描き途中の風景スケッチを放置して、自室の扉を開けた。
リビングには料理の匂いが残っていた。
せっかくだし、久しぶりに、食器を洗おうかな。
僕は洗剤スポンジで自分の食べた食器をゴシゴシと洗った。
やってみれば大した事がない簡単な家事。だけど僕の心は充足感でいっぱいになっていた。
スマホを手放しただけなのに、僕はここまで元気になれた。
凄いぞ自分と思うと共に、夏祭りが明後日に控えていることを思い出す。
外に出てみよう。
普段なら滅多に思わない意志が芽生えた。
自殺しにいく時とは違い、希望を持った外出である。
僕は部屋に戻ると、外出用の恥ずかしく無い服装に着替えた。
すっかり埃を被った学校用カバンから鍵と財布を取り出して、そして連絡用でYouTubeの観れないスマホを握りしめた。
そして僕は、玄関の外へと足を踏み出した。
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