「スマートフォンと僕(2)」


あきらくんが元気そうで良かったよ。あきらくんと話すとうちも楽しい! あ、せっかくやし電話しようや! うちあきらくんの声聴きたいし。いまかけても平気?』


 え?

 突然の電話の誘いに、僕の心臓はまたギュルンと跳ね上がった。

 でも断る理由なんかなくて、まるで吸い込まれるみたいに、僕は『いいよ』と彼女に返した。


 プルルルルル、プルルルルル……


 すぐに七河明美ななかわあけみから電話がかかってきた。

 僕は首元に汗をじんわりと滲ませながら、通話ボタンの方へと指でスワイプして電話に出た。


『もしもし……あきらくん?』


「もしもし、明美あけみ


『こんばんわ。ふふ。あきらくんの声くすぐったいなぁ』


 電話越しの普段より少し弾んだような声で、七河明美ななかわあけみは吐息まじりの声を寄越した。

(それはこっちのセリフだよ)なんて思ったけど言えるはずもなく。僕は絶句して何も言葉を返せなくなってしまう。

 明美あけみの電話の向こうでは、グルグルグルと蛙の声がしたり、チチチチチチ……とひぐらしの鳴く声と共に、コツコツとコンクリートを叩く足音がした。


「まだ外にいるの?」


『うん、日課の散歩中。

 でももう日も落ちたけぇ、今は家に向かっとるよ』


「そうなんだ、こっちは完全に真っ暗だよ。西日本と東日本の時差ってやつかな?」


『そっか。東京のほうが日が落ちるのが、確か30分くらい早いけぇね。

 ……ねぇ、あきらくん』


「ん?」


『また辛くなったり、死にたくなったりしとらんか?

 うちならいつでも相談に乗るけぇ、電話でもLI◯Eでも遠慮せず話聞かせてよ。……一人で抱え込んじゃいけんよ。うちはいつでもあきらくんの味方じゃけぇ』


 …………

 不安そうな震え声で、明美あけみはせわしなくまくし立てた。

 緊張してたり怖がっているときは、明美はいつも早口になるくせがあったのを覚えている。


「……ありがとう明美あけみ明美あけみのお陰で僕はいま、すごく救われてるんだと思う。

 ……実は相談したいことがあるんだ」


『うん』


「僕はさ。いつも身体がダルくて、布団から立ち上がれなくって、毎日毎日朝から晩までスマートフォンを見ちゃうんだ。

 いつも夕方になってから後悔しちゃうんだ。今日も何の意味もない一日を過ごしちゃったってっ。そして明日こそはなにかやろうって、いつもいつも思うんだけどだけどさ……

 朝起きたら、スマホを見るのが辞められないんだ。

 僕は、スマホ依存症なのかもしれないっ……」


『うん……』


「もう僕は、どうしていいのか分かんないっ! ……こんなことすら出来ないんだよ僕は…… 頑張ろうと思っても頑張れないんだ…… 頭と心は頑張ろうって必死なのに、頑張ろうとするほど身体はどんどん重たくなって、立ち上がることすら……すごくすごく難しいんだ……」


 気持ちを吐き出して、むきだしの感情をぶちまけて、僕はボロボロと涙を流していた。

 お母さんには中々言えなかった僕の本音。

 お母さんにはあまり弱音は吐きたくなかったけれど、でも明美になら、なぜか心の底を吐露できたのだ。

 明美あけみが同級生だからだろうか?

 よく分からない。

 でも、自分でもうまく説明できなかった自分の心の中の苦しみが、明美あけみに聞いていて貰うことで、どんどんと言葉に変わって理解できていった。


 そうだ。僕は辛かったんだ。

 僕は苦しかったんだ。

 分かったようで。分かっていなかった自分の本心。

 ずっと頑張れない自分が大嫌いだった。自分はダメなやつだと自分で自分を否定していた。

 でも、感情をぶちまけてはじめて、自分はなんて可哀想なやつなんだと、思えることができた気がした。

 初めて、自分に共感できた。

 「怠けてんじゃねぇ」だなんて否定することなく。「そうだよな。辛かったよな僕、苦しかったよな僕」って、

 自分自身に寄り添って、最近お母さんが僕にしてくれるみたいに、僕が僕自身を全肯定することができて。

 うつ病の苦しみの重みが、ずいぶんと軽くなった気がした。

 布団のなかで、身体がふわりと浮かんだ気がしたのだ。


『……う"ん、うんっ……辛かったねぇ、彰っ……』


 ふと我に帰ると、電話の向こうの七河明美ななかわあけみも、ずびずびと鼻を啜りながら泣いているのが聞こえた。


『……話、うちに聞かせてくれてありがとう…… ずっと苦しんでたんやね……

 うちにはあきらくんのその苦しみは、どうやって取り除いてあげたらいいのか分からんけど……

 スマートフォンを観なくてすむ方法なら、良い方法を知っとるよ』


「え……?」


 明美あけみの予想外の言葉に、僕はつい素っ頓狂な声を上げた。


『……あきらくんのスマホってiPho◯eよね。だったら「時◯ち」っていうアプリがオススメだよ。

 「スマホが決めた時間の間ロックされて使えなくなる」アプリなんやけど。

 制限するアプリを選べるし、緊急事態の時は100円払えば解除できるけぇ、連絡とかに困ることないし気軽に使えるんよ。うちも勉強する時は毎日使っとるし』


「へぇ」


 スマホをロックするアプリ。なるほど、そういうのもあるのか。


「ありがとう明美あけみ、試してみるよ」


『うん。また明日、使ってみた感想聞かせてや。……明日も電話してもええ?』


「うん、今日はありがとう。助かったよ」


『うん。うちもあきらくんの声が聞けて良かったよ。……それで残念だけど、いま家に着いたけぇ家族と晩ごはん食べにいかんといけん。もう電話切らんと……』


「うん。こちらこそ相談に乗ってくれてありがとう。

 僕もお腹が空いたから、母さんと晩ごはんを食べるよ。……おやすみ、明美あけみ


『おやすみ。また明日ね。あきらくん』


 …………


 しばらく、無言の間があってから。

 ツーツーツーと音がした。


 スマホのロックアプリか。

 せっかく今やる気になってるんだ。試してみよう。

 僕はアプリストアを開いて、明美から薦められたアプリをダウンロードしてみた。


(制限するアプリは、youtu◯uと検索エンジン系と漫画アプリと……)


(スケジュール設定やクイック設定とか、いろいろあるんだな)


(もういい。とにかく明日を変えるために、MAX24時間ロックしてやる!)


 僕はもうやけくそになりながら、24時間をセットして、アプリロックのボタンを押した。


 これで僕は24時間。スマホのコンテンツは見ることができない。


「ふぅ……」


 やってみれば、なんだ簡単なことじゃないか。

 たかが一日スマホを見られないだけだ。やっとほかのことができるじゃないか。明日はきっと、なにか大きくが変わるはずだ。

 僕は開放感で胸がいっぱいになっていた。

 しかし次の瞬間、僕はあっと思い出した。


「”みずモブ”アニメ最新話……観てからロックするんだった……」


 電話がかかってくる直前に見ようとしていたアニメ。

 僕はそのことを思い出してしまい。ひどく後悔した。

 ロックされて暗くなった動画配信サービスのアイコンを、しばらく恨めしく眺め続けるのだった。



 今頃明美あけみは、家族と晩ごはんを食べているのだろうか。

 あの広々とした神社の家で、大人数で食卓を囲んで。

 僕も、行かなきゃ……


 僕は布団から出て自分の部屋を出た。

 スマホを持っていない僕の姿を見た時、母さんは驚いていた。

 そして僕と母さんは、二人で小さな食卓を囲んだ。


 母さんとスマホなしで向き合ってご飯を食べるのなんて、一体いつぶりだろうか?


 母さんは嬉しそうに、僕のことをよく頑張ったねと褒めてくれて、

 そして堪えきれずに涙を流していた。

 別に、僕は大したことはしていない。

 ただ、明美あけみのお陰だった。

 明美あけみのお陰で僕は、今日という日に少しだけ色を付けられたのだ。

 明美あけみのお陰で、明日からはもっといい日になるって。

 不思議と、そんな希望を胸に抱いている自分に驚いていた。

 未来がこんなに明るいだなんて思えたのは、いったい何年ぶりだろう。


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