ちっちゃな先輩と僕の夏
小糸 こはく
第1話 先輩は134.5cm
高校生になって初めての夏休み。
今年は猛暑になるらしく、8月にもなってないのに朝からうだるような暑さだ。
そんな酷暑の中。午前9時30分にはまだ数分あるけど、待ち合わせをしている駅の改札付近には先輩の姿があった。
僕を見つけたのか、彼女は小さく手をふってくれる。僕は自然と駆け足になり、20mほどの距離をすぐに縮めた。
「おはようございます、先輩」
「おはよう、ミドリくん」
3日ぶりにかわす、先輩との挨拶。
高校生とは思えない幼い声色。だけど、すんだように響く高い声はとてもきれいで、僕は自然と笑みを浮かべてしまう。
(かわいい声)
待ち望んでいたものを与えられて、たった3日なのに
「時間まだですよね。僕、先輩より早くこようって急いだんですけど」
彼女は楽しそうに笑って、
「ごめんね。あたし、待ち合わせの10分前にはきちゃうの。ほら、遅れたら悪いでしょ」
後輩との待ち合わせなんだから、そんなこと考えなくてもいいのに。だけど彼女がそういう性格なのは、知り合って4か月ほどだけどわかっている。
この人は、他人に迷惑をかけるのを嫌がる人だ。他人の評価を気にするわけじゃなくて、迷惑をかける自分が嫌いらしい。
だけど親しい人には気安く対応しているから、僕も早く「ごーめん、まった?」と笑いながら言ってもらえる関係になりたい。
学生は夏休みといっても、今日は月曜日。世間的には平日だ。通勤ラッシュはすでに終わっていて、駅前に人影は少なく、先輩を見つけるのは簡単だった。
ちょっとだけ、「どこにいるかわからなったらどうしよう」と思ったから、早めに家を出たんだけど。
僕の身長は、高1男子として平均だろう。高くも低くもない。だけど目の前にいる先輩の頭頂部を見下ろしている。
先輩はとても
「いい天気でよかったねー」
「でも、暑くなるらしいですよ」
「夏なんだから、暑いくらいがちょうどいいでしょ?」
先輩は夏の日差しに負けない、涼しげなお上品顔で微笑んだ。この人は真夏の生まれだから、夏が好きなんだろうか?
彼女は僕より1学年上の、高校2年生。7月最終日の今日は6月生まれの僕と同じ年齢だけど、8月11日が誕生日らしいから、あと2週間もしないうちにまた年上になる。
なのに、
(やっぱり、小学生にしか見えない)
どこからどう見ても、完全に幼女。
それも、相当な美幼女さんだ。
僕の小5の妹より年下に見える。学校では制服姿だから高校生とわかるけど、私服だとなおさら幼く見えるな。
それになんだか、服装がこどもっぽい。というかこの水色のワンピース、キッズ服だよな。妹が去年、似たようなデザインの服を着ていた。
もしかして、キッズ服しか選べないのだろうか? サイズがないのかも。
以前、部室で先輩の身長の話が出たとき、
「四捨五入したら140cmあるんだもんっ!」
と自慢げだっから「135cmはあるんだな」と思ったけど、そのあと、
「ふふんっ。2年生になって、134.5cmまで伸びたんだからね!」
と自慢げに続いたから、1mmの狂いもなくその身長なんだと思う。
(134.5cmは、四捨五入しても140cmじゃありませんよ。135cmです)
というのは、思うだけで押しとどめておいたけど。
「じゃあ、行こっか」
僕を先導するように歩き出す先輩。その短い歩幅に、僕は歩く速度を調節する。
私服での後ろ姿。学校での先輩は左右ふたつの三つ編みだ。でも今日は背中に届く長さの髪を、まっすぐに下ろしている。
(髪おろしてるけど、大人っぽく感じないな)
こどもっぽいワンピースから
だって完全に、こどもの髪質だから。
一年前の妹の後ろ姿が、ちょうどこんな感じだったからだろうか。私服の後ろ姿だと、とてもじゃないけど高校生には見えない。
と、立ち止まった先輩が振り向いて僕を見上げ、
「ちゃんとついてきてね」
上級生らしい口調でつげた。目的地はわかっていますし、はぐれませんよ。
お姉さんぶった口調に、
「はい、先輩」
僕は思わずニヤけてしまう。
「なに笑ってるの。失礼だね」
先輩が、かわいすぎるんですよ。
幼い外見のわりに、ちゃんと年上のお姉さんな振る舞い。そのアンバランスさがこの人の魅力で、僕はもう、この人に夢中なのを隠すことが難しい。
歩みを再開する先輩。小さく振られる、細い腕。
だけどその腕は僕には大きな存在感で、
(つなぎたいな)
と、そう思わせられる。
(僕に、この人と手をつなげる日はくるのかな……)
どうすればいいんだろう? どうすれば先輩に、振り向いてもらえるんだろう。最近の僕は、この人のことばかり考えている。
「ついてきてる? よそ見しちゃダメだよ」
再度、振り向いて確認。よそ見なんてしてません。あなたに見とれているだけです。後ろ姿ですから、見てることを悟られなように目をそらす必要もありませんし。
それにしても、
「先輩、今日はずいぶんお姉さんぶりますね」
「うっ……あたし、お姉さんだから」
そんなかわいいこども服でですか? それに先輩、ひとりっ子じゃないですか。前にそう言ってたじゃないですか。
「また笑った。失礼な後輩だ」
ふてくされ顔。それもかわいい。
「じゃあ今日は、お姉ちゃんって呼びましょうか?」
僕の提案に先輩は、
「ふむ、それはいいね! いってみたまえ」
にんまりと嬉しそうな顔。
「じゃあ……お姉ちゃん」
いってはみたけど、しっくりこない。僕は別に、この人の弟になりたいわけじゃないからかな。
だから、
「今日もかわいいね」
そう続けてみた。本音を。
先輩がかわいいなんてのはいつも思ってるけど、直接告げたのは初めてだ。
本音と言ってもこれは冗談のうちだから、そこまで恥ずかしくない。
だけど先輩は、
「は、恥ずかしいこと……いわない……で」
言葉通り恥ずかしそうな顔をして、僕の脚を軽く蹴った。
いや、そんな反応される僕のほうが恥ずかしいんですが。照れてもらえるのは、意識してもらえたってことだから、とても嬉しいけど。
「お姉ちゃんっていってみろっていったの、先輩じゃないですか」
「……違うよ。そのあと」
そのあとって、かわいい?
「それは、先輩がかわいすぎるのがいけないんです。僕のせいじゃないですよ」
冗談めかしての「かわいい」とはいえ、それは僕の本音だ。彼女はもう一度僕の脚を蹴って、
「かわいいって……なに。これでもちゃんと後輩との買い出しだから、お姉さんらしい服を選んだんだからね」
それでですか? さすがにそれは思いませんでした。それにかわいいのは、服装のことじゃありませんし。
「じゃあ、いい直します」
「いい直す?」
僕を顔を上げ、小首を傾げる先輩。その動作がこどもっぽいんですよ。心臓が痛くなるほどに、かわいいんです。
「よろしい。いってみたまえ」
僕は心臓の痛みを紛らわすように小さく深呼吸して、
「お姉ちゃん。いつもはかわいいのに、今日はとってもきれいだね。僕のために、おしゃれしてきてくれたの? 嬉しい、ありがとう」
脚へと繰りかえされる先輩の非力な蹴りに、夏の日差しよりも強い幸せを感じた。
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