陰謀のルッキンググラス

真田宗治

第1話 逆襲の陰謀論者




 テーブルに残されていたコロッケは、これまで俺が食べたどんなコロッケよりも美味しかった。サクリとした歯触りに、薄くニンニクの香りが心地よい。適度に黒胡椒が効いていて、文句の付けようがなかった。

 絶品の晩餐を口にする俺の胸を満たしていたのは、深い悲しみだった。そのコロッケはつまり、俺と彼女との、別れの合図だったからだ。

 美しい人が姿を消した。

 彼女は突然、俺の部屋からいなくなってもう帰ってはこなかった。アメリカ合衆国の大統領候補が狙撃された日のことだった。

 俺は彼女が何者なのか知らない。どんな人生を歩んできたのかも、彼女の背中にあった古傷がどんな傷なのかも。知っているのは、彼女が品性に溢れ、たまらなく美しい人だということ──。それだけだった。


 ★


 俺と彼女とが出会ったのは、六月半ば頃だったと思う。その頃俺は、無職で家に閉じこもる生活を送っていた。元々はとある雑誌の事件記者をしていたのだが、タチの悪い宗教団体絡みの事件の背景を嗅ぎ回っていたら、突然、解雇されてしまったのだ。まあ、上司や先輩記者達からは『あの団体には関わるな』、と助言を受けてはいた。だからある程度覚悟はしていた。だったらまた別の出版社に属して真相を追えば良いだけなのだ。

 だが、現実はそう甘くはなかった。俺はすぐに就職活動を始めたのだが、どの出版社も俺の名前を聞いた瞬間に電話を切った。面接にすら漕ぎ着けなかった。フリーライターとしてやっていく手もあるのだが、それをやるにしても元手がいる。俺は幾つもの銀行にに足を運んだのだが、金を貸してくれるところは一つもなかった。まるで、あらゆる方面に、俺のブラックリストが出回っているかのようだと感じた。

 俺は肉体労働者へと転身した。

 情報を扱う以外これといって手に職もなかった俺は、日雇い派遣の仕事にありつくのが精一杯だった。ただ、体格の劣る素人にとって肉体労働というのは中々辛い。俺は工事現場で足場を組む作業を続ける内に、次第に擦り切れてくたびれ果てていった。キツイだけならまだ良いのだが、工事現場には気の荒い連中も多い。グズだの役立たずだのと罵られるのは日常茶飯事であり、所謂パワーハラスメントだとか、モラルハラスメントだとかいった類の被害を被ることも少なくはなかった。

 俺は日々の生活に追われ、真実を追い求める気概すらも失いかけていた。


『仕事を辞めなさい』


 そう言ってくれたのは母だった。

 理由は、俺の霊格が落ちてしまうから、なのだそうだ。

 母によると、全て魂ある者は、自分より霊格が高い存在に自分を捧げるか、仕えることによって霊格を高めることができるのだという。逆に、自分よりも霊格が劣る相手に仕えると、霊格が下がってしまうらしい。明らかに霊格が低いパワハラ上司とか、金のことしか頭にない愚か者に奉仕することは霊的にはかなりの悪手であり、それでいて霊格が低い者程出世しやすいこの世の仕組みは、悪魔が作り上げたとしか思えないのだとか。

 昔から、俺の母は不思議なことを言う人だった。事実、母には不思議な能力ちからが備わっていた。母が幽霊や未確認飛行物体UFOを見た、という話をするのはザラであり、たまに未来に起こる出来事を言い当てることもあった。それは例えば大地震の予知であったり、水害や事故に関する予知であったりもした。本当に、当たる時は時間までキッチリ言い当ててしまうのだ。

 但し、たまに予言を外してしまうこともあった。


『世界線というのはね、本当にあるのよ』


 母がそう言ったのは、俺がまだ中学生の時のことだった。その時、俺たち母子は肩を並べて〝タイムマシン〟という空想科学SF映画を見ていたのだが、映画を見ながら俺が何気なく〝世界線〟という言葉を使ったのが、母は引っかかったらしい。

 母は幻視によって未来を予知するそうだ。幻視ビジョンは突然、一方的に送られて来る。まるで白昼夢を見るように未来の出来事を垣間見るらしい。ただ、ここでいう未来とは、いくつも分岐する世界線の一つにおける未来なのであって、必ずしも、我々がその世界線を通るとは限らない。我々が進む世界線とは別の未来を見ていることもあるのだ。だから予言が外れることもある。だが外れたとしても、別の世界線では母の予言は当たっている。ということになるらしい。

 まあ、俺には超能力だの霊能力だのは備わっていないから、確かめようがない話ではある。そんな母でも、何もかもを予見できる訳ではなかったようだ。

 俺は仕事を辞めてからは実家に戻り、母と二人暮らしをしていたのだが、ある時、母の脳に腫瘍が見つかって、それから間もなく母は他界してしまった。


『悲しまないでね。真実を伝えるのが使命だと思うなら、思い切りやっていいからね』


 母の最期の言葉だった。

 度重なる不幸に打ちのめされて、俺はそれからも自宅に引き篭もる生活を続けた。やる事といえば、過去に関わった宗教団体と、その団体が起こした事件についてインターネットで調べることぐらいだった。

 ある時、とあるソーシャルメディアサイトがまともな人物に買収された。それに伴って、そのサイトでは急激に情報の確度と自由度が高まった。他のサイトであれば削除されたりBanされるような際どい情報であっても削除されず、モラルに反する事をしなければ、滅多にペナルティを受けなくなった。おかげで、これまでは得られなかった証言や情報を得られるようになり、俺は過去に追っていた事件の真相へと近づいていった。

 それだけじゃない。

 俺の母と同様の死に方をした人が、爆発的に増えていることに気がついたのだ。俺は情報を追い、何人かのインフルエンサーに辿り着いた。彼らは所謂、オカルト系とか陰謀論者とか揶揄される類の人々だった。でも、彼らが発する情報は筋が通っており、どう考えても正しかった。

 俺は悩んだ挙句、勇気を出してインフルエンサーの一人にダイレクトメールを送ってみた。彼は気の良い人であり、翌日に会って話をしてくれることになった。

 とあるファミリーレストランで落ち合うと、彼はまだ表に出していない情報について語ってくれた。


「脳腫瘍の発生は間違いなく薬害です。メタモル社のトキソエンデというワクチンが原因です。あれはワクチンとはいいますが、実情は違います。兵器です。メタモル社ワクチンをゴリ押したのは自明党と公民党。どちらも、支持母体はST連合という宗教団体です──」


 その言葉が引き金だった。

 ST連合とは、俺が長年追い続けた宗教団体団体の名称だったのである。

 俺はますますSNSにのめり込んだ。調べて、調べて、調べまくった。知らず、真実を追い求める情熱を取り戻していた。

 ST連合の前身は〝夜坂やさか清風会せいふうかい〟という、主に学者達が属するカルト教団だった。夜坂清風会の発足には、ある超大国の諜報機関が関わっており、ST連合になってからも幾つもの大国や外国企業が資金を提供していた。ST連合には違法薬物や不正選挙、マネーロンダリングから人身売買まで、あらゆる黒い噂が付き纏っていた。調べれば調べる程、ST連合は巨大で強大な組織だった。

 発見は止まることを知らない。

 ST連合の金の流れを追う内に、世界の構造が見えて来たのである。ST連合よりも上位には外国の軍産複合体や政治団体、有名な秘教結社等々が位置しており、その最上位に位置する意思決定機関はストリクスとか呼ばれ、悪魔教を崇拝しているだとか、胡散臭い情報にもぶち当たるようになった。

 知り得た情報については全部ネットにぶちまけてやった。政府の悪口だろうがST連合の悪口だろうがメタモル社の悪口だろうがお構いなした。もう、俺にはなに一つ失う物なんてありはしない。くそったれ。

 気がつけば、俺は陰謀論者と呼ばれるようになっていた。SNSでのフォロワーも増え、八万人を超えていた。インフルエンサーの仲間入りをして自信を取り戻しつつあった。雀の涙程ではあるが、収入も得られるようになった。アンチと呼ばれる連中も増えて、度々、不毛な論争を強要されるようになったのはご愛嬌である。

 アンチどもの脅迫や罵詈雑言は、日に日に加速していった。殺人予告としか取れない内容のメールを送りつけられたこともある。正直、身の危険を感じるようになっていた。

 でも、俺は世の中の真実を追うことをやめられなかった。ある意味、ネットに依存していたのかもしれない。


『初めまして。どうしてもお話ししたいことがあります』


 そのダイレクトメールが来たのは先月の、雨の日のことだった。

 俺は少々悩みはしたが、メールの差出人に会う約束をした。以前、俺もそうやって目醒めを後押しされたのだ。恩返しという訳ではないが、出来ることはやっておきたかったのだ。

 待ち合わせ場所は、近所のブックカフェを指定した。道中、雨足が強くなり、雷まで光出す始末である。ずぶ濡れ同然の格好で店内に入ることが少し躊躇われた。


「あの、こちらです」


 彼女は真っ直ぐに俺を見据え、迷わず此方へと手を振った。まるで、既に俺の顔を知っているかのように。だが、そんな違和感は瞬時に吹っ飛んだ。

 あまりにも美しかったのだ。

 長い黒髪から覗く瞳はやけに優しげで、少々気が弱そうな印象を受ける。何処となく陰があるのだが、それを補って余りあるスッキリとした品性が漂ってもいた。まるで、よく冷えたソーダ水のような人だと感じた。

 俺は彼女の向かいに座り、まずは自己紹介をした。長いこと美人と話していなかったせいか、少しぎこちない言い方をしてしまう。

 彼女も名乗り、名刺を差し出したのだが……やけに奇妙な名刺だった。


 来栖くるす真子まこ


 名刺にあったのは、名前だけだった。職業は愚か、住所も電話番号も、メールアドレスさえも記されていない。


「どういうことでしょう? 電話番号どころか職業も書いてありませんが」


 恐る恐る尋ねると、彼女も恐る恐るといった調子で口を開く。


「わ、私は電話を受けません。私が電話を、します」


 揶揄われているのか?──。

 俺の困惑を察するように、彼女は軽く眼を伏せる。が、やがて思い切ったように顔を上げ、真剣な眼差しを向ける。


「突然で驚かせてしまうとは思ったのですが、どうしても、会ってお話ししたい事があったのです」

「はあ。なんでしょう。俺に答えられる話ならいいんですが」

「その……貴方に危険が迫っています。私に、貴方を守らせては頂けませんか?」

「守るって……貴女が、俺を?」

「は、はい」


 蚊が鳴くような声で答え、彼女は再び眼を伏せる。やはり、揶揄われているとしか思えなかった。




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