第6話 乙女の姿、しばし彷徨う

 時刻は、夜中の23時前。



 今日も今日とて残業し、ヘロヘロになって帰ってきた私は、部屋着に着替えて再び仕事の資料を黙々と読み込んでいた。



 ノンカフェインの暖かいお茶を淹れて、晩御飯は会社でコンビニおにぎりしか食べられなかったから、せめてもの栄養と思って同じくコンビニで買って帰ってきたサラダをつつきながら、ペラペラと資料をめくっていた、そんな時だった。



 突然、夜中に玄関のチャイムが鳴ったのは。



 ピンポーン。



 …………。

 え? なに?

 やだ、なんだろ……、こんな時間に……。



 変質者とか隣の部屋の人が文句付けにきたりとかだったらどうしよう……。

 そんなネガティブな想像をしながら及び腰で玄関に近づき、ドアスコープをのぞくと。

 


 ――そこにいたのはなんと、柊生さんでした――。



 …………………………。

 ……………………えっ!?



 えっ!?

 どうする!?

 開ける!?

 私今、めっちゃ部屋着ですけども!?

 ノーブラ・ロンT・ショートパンツですけど!

 化粧も落としちゃってノーメイクですけど!!



 えぇ〜〜!

 いやいや、せめて一報入れてから来てよおお。

 どうしていつも突撃してくるかなこの人は!



 一瞬、寝たふりでもしてやり過ごそうかと迷ったが、前回のことを思い出し、いやこの人いつまで待つかわからんしな〜、と思って玄関のドアの前でうぬうぬと悩んでいると。



「……あのな、そこにいることは気配でなんとなく伝わるんだけど」



 と、柊生さんがドアの向こうから声をかけてきた。


 ああ、バレてましたか……。


 なんだか居留守を使ったような罪悪感に駆られながら(実際に使おうかどうしようか悩みもしたけど)、観念してかちゃりと玄関のドアを開け――。

 わずか10センチほどしか開けずにおいたドアの隙間から、向こう側にいる柊生さんに恨みがましく言葉をかけた。



「……あの、私。すっぴんなんです」

「……悪い」



 どうやら、私の様子でようやく自分の訪問が非常識だったと察した柊生さんが、申し訳なさそうに謝ってくる。



「部屋着なんですけど」

「……本当に悪い。でも……、少しだけ入れてくれないか」



 そう、柊生さんに懇願されて。

 しぶしぶだけれども承諾した私は、柊生さんが入れるように玄関のドアを大きく開いて招き入れる。



「ありがとな」



 そう言いながら柊生さんが靴を脱いで室内に上がってくる。

 そんな様子も、「はいはい、ドラマのワンシーンみたいにかっこいですね」と思ったのは、心の中だけに留めておく。



 そうして柊生さんがリビングに入ってくると、私がテーブルの上に置きっぱなしにしていた資料とサラダを目にしたのか、思いっきり顔をしかめながら「……こんな時間まで仕事してんのか?」と尋ねてきた。



「仕事っていうか、自主的な勉強みたいなのですけど」



 それを言うんだったら、マネージャーをしてた時の方がもっともっと遅い時間まで仕事してましたけどね、と。思いはしても口にはしないけど。

 それは、私が自分で決めてやっていたことであって、柊生さんのせいではないからだ。



「何か飲みます? ノンカフェインのハーブティーとかでもいいですか?」



 夜だからカフェインは控えたほうがいいよね、と気遣って提案したのだったが、柊生さんはその問いに「……じゃあそれで」と短く答えた。


 

 暖かいのでいいかと確認するとそれでいいと言われたので、電気ケトルにミネラルウォーターを入れて、かちりとスイッチを押した。



 こぽぽ……、と静かにケトルの鳴らす音が、しばらく室内に響きわたった。



 しばらく経って。

 私が、淹れたお茶を柊生さんの目の前に置くと、柊生さんの方も「……あのさ」と、こちらを見ずに気まずそうに私に向かって重い口を開く。



「……今日、一緒にいた奴って」



 言われて一瞬、柊生さんが誰のことを言っているのかがわからなかった私は、「一緒にいた奴……?」と言葉を漏らすと。

 少し遅れて、それが砥川さんのことを指しているのだということにようやっと気がつくと、「会社の、上司です」と言って、柊生さんに簡潔に答えた。



「……そうか」



 柊生さんはそれきり、机にひじをついて下を向いていたかと思うと、「はぁ〜」と大きなため息をついた。



「ごめん、俺……、カッコわりい」

「えっ?」

「ヤマが綺麗な格好して、知らない男と歩いてるの見て、すげえ焦った」



 あああ……、と。

 珍しく、柊生さんが落ち込んだ様子を見せる。



「気が気じゃなくて、お前の迷惑になることも考えずにここまで来ちまった。ほんとごめんな」

「あ、いえあの、えと。次からはちゃんと事前に連絡してもらえれば」

「……連絡したら、こんな時間でも来てもいいのか?」

「……時と、場合によりますけど」

「なんだそれは」



 私の発言に、何を勘違いしたのか知らないけれど、突然柊生さんがむっとした顔になってぐっと身を乗り出してくる。



「だから! 今日みたいなすっぴんになった時とか!」



 前みたいに、うっかりお酒を飲んでぐだぐだになっちゃった時以外ならね!

 はい! もう全部見られてますけど!



「あ……わかった」



 と、私の勢いに負けて素直にうなづく柊生さんだったが。



「でも、俺は別に……、お前が、どんな格好してても可愛いと思うけどな」



 と。

 なんだか恥じらうようにそんなことを言ってきたりするものだから――。



 いーーやーーあーー!?!?

 何これだめじゃない!?

 こんな恥じらい顔、スチルでも見たことないのにリアルで見るとかマジでどういうこと!?



 魔性なの!?

 いや、魔性の天然タラシなの!?

 これ、どこかでカメラ回ってますか!?!?



 と、柊生さんと向き合っている表側の私は、そんなことをおくびに出さずにただ固まるだけだったが、脳内では別人格の私が、そこらじゅうジタバタと暴れ回っていたのだった。

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