第二章
「行ってくるね」
あいさつを交わして家を出る。生徒手帳が見当たらなかったため、学校に確認しに行くことにしたからだ。
学校には電車で二駅、そのあとは徒歩で二十分ぐらうのところにある。バスもあるにはあるのだが、登校に間に合う時間には出ていないようだった。調べれば、もしかしたらこの時間には出ているのかもしれないが、それが手間に思えて結局歩いて向かうことにした。
聞いていた曲が五曲目に差し掛かった頃に、ようやく学校が見えた。朝は開いていた門が今ではしっかりと閉まっていた。
入口を探すべく学校をぐるっと回ると、なるほど、失敗した。最初に来た門を少し奥に進んだ所に開いている小さな門があった。すごく遠回りをしてしまった。
まぁ、気にしないことにしよう、と門へ向かう。すると、そこには一人の立ち姿があった。この時間にだれが何をしているんだろうか。
少し近づいたところで、疑問のうちの一つが解けた。なぜ分からなかったのだろうか。ついさっきまで考えていた人、まさに今朝、運命さえ感じた人がそこにいた。
一方的に意識していて、伝わっているはずもないのに、なんだか気まずい。
しかし、そこに校門があって、その先に学校があるのだから通るしかない。勢いに頼って声をかけることにした。
「今朝ぶりだね、どうしたの?」
誰かを待っているのかと思ったが、受験からはすでに2時間近く経っているからそれはないだろう。だが、その予想は外れてしまった。
「のぞみくん?.....のだよねこれ」
彼女は静かに生徒手帳を差し出した。
少し躊躇して、恐る恐る手を伸ばす。受け取った手帳には確かに僕の名前が書かれていた。
「ありがとう......ずっと待っててくれたの?」
「帰りたくなくて、それになんだか戻ってくる気がしたから」
一瞬、少しだけ彼女の顔に影がさした気がした。
改めてお礼を言い、生徒手帳をカバンにしまう。
「私はみつきさくら。三月の桜で三月桜っていうの。」
どこか儚さを感じて、その響きに言いようのない感情が浮かび上がる。
なんだか少し切ない名前のように感じる。
「名前は?」
不意をついた質問に、へ?と間抜けな声を出してしまう。
桜は笑いながら、「お互い、名前くらいちゃんと言わないとね」と見つめる。
じっと見つめられて、思わず顔を背けてしまう。恥ずかしさを誤魔化すように、名前を告げた。
「狼上希光」
桜は同じ言葉を小さく繰り返す。
「じゃあ希光くんって呼んでいい?」
あまり好きじゃない、と答えようとした。けれど、そう尋ねる桜を否定することができなかった。
「いいよ」
その返事は思ったよりも弱々しく響いていた。本当は、女の子っぽい名前だから好きじゃない。
「希光くん」
桜の言葉が空気と一緒に僕の心臓を揺らす。春のそよ風のようで、心地がいい。
心に微かな、でも確かな波紋が広がっていく。
首を傾げたまま桜を見ていると、桜はとうとうあの言葉を口にした。
「希光くんって、なんだか可愛い名前だね?」
「気にしてるのに、女の子っぽい名前だよなって......」
「ふーん、そうなんだ〜?」
悔しさを感じる反面、このやりとりが愛おしいくて大切なもののように思えた。
「私はこっち方面。希光くんは?」
僕は反対側を指差した。
「そっか、残念。」
少し悲しそうな顔をしてくれた。
またね、と別れを済ませると、お互いに背を向けて歩いた。歩いてすぐの交差点に足を止められて振り返ってみると、桜もこっちを見ていた。
手を振ってみると、桜はより一層大きく手を振ってくれた。
その時の桜の笑顔は輝いていて、僕の心に小さな痛みを残して消えていった。
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