野薔薇姫

バニラダヌキ

山の章 (全九話)

野薔薇姫 山の章 一


『――なぜなら、わたしたちもこうして生きていると思っているが、どうしてそれを知ることができるのか。それを知るには死によるほかはないのだが、生きているかぎり死を知ることはできないのだ。かくて、わたしたちはもどき、だましの死との取り引きにおいて、もどき、だましの生を得ようとし、死もまたもどき、だましの死を得ようとして、もどき、だましの生との取り引きをしようとするのである。それでもこうして、この世も、あの世もなり立っている。深く問うて、われも人も正体を現すことはない。人は生が眠るとき、死が目覚めると思っている。しかし、その取り引きにおいて、生が眠るとき死も眠るのだ。』 


          ――もりあつし・作 『はつ真桑まくわ』より抜粋――



     *



 その果て知れぬ、間断なく永遠に続く白閃のような炎熱の陽光の下、俺の懐中かいちゅうには、無慮むりょ九千九百九十九円もの大金があった。無慮むりょというのは、派遣先で徹夜して帰途についた今朝、確か小銭が四百八十何円しか残っていない汚れたチノパンのポケットに、人っ子ひとり見当たらない山間の無人駅近くで拾った皺だらけの一万円札を畏れおののきながら隠し収め、それから駅前の安食堂兼乗車券委託販売所で四百九十円の切符をあがなって単線のディーゼル車輌に乗り、ねぐらのある峰館駅まで戻ろうとしたはずだからである。それまでは足りない運賃を二駅ぶんの徒歩で補う予定だったのに、一万円という莫大な不労所得を一瞬に得て惑乱した俺は、すでに一円単位まで現実を掘り起こす意欲を失っていた。やがて無人駅をいくつか過ぎたあたりで、ふと車窓から仰いだ夏山の稜線の、巨大化した地衣類の森のような密生した深緑に惹かれ次の無人駅で発作的に下車し、途中下車なのだから手放す必要もない終点までの切符をついうっかり粗末な木製の回収箱に捨ててきてしまったのも、やはり気が大きくなりすぎていたからなのだろう。


「♪ 野バラ咲いてる~~山路を~~二人で~~歩いてた~~~」


 就学前に白黒テレビで六代目市川染五郎が歌っていたヒットソングを我知らず口ずさんでしまうほど、俺は現実から遊離していた。あの頃は俺も東北の片田舎の雑貨屋ながら、なんとか中流家庭の息子だった。そのうち六代目染五郎に色が着いて九代目松本幸四郎になると、俺は地元の国立大のツブシの効かない文科に滑りこみ、結局役人や教師にはなり損ね、地方の清浄な水と空気と安価な労働力を求めて進出してきた外資系電子部品製造工場の事務職にかろうじて就職し、そこで真面目に働いていれば死ぬまでそこそこ安泰あんたいと親も近所の連中も俺自身も能天気に信じ続けてウン十年、過労死寸前の超メタボが立派に仕上がった頃、リーマンショックがどうのこうので会社は倒産、雀の涙ほどの退職金を食いつぶしながらありもしない再就職先を探しているうちに二親ふたおやは死に近所は年寄りばかりの限界集落と化し、親が残した雀の涙ほどの土地家屋を売り払ってなんとか県庁所在地・峰館みねだて市に転進したものの、そこですら無愛想なアラフィフ男には正社員どころか長期バイトの口ひとつ空いていなかった等々、そうしたろくでもない過去の経緯いきさつは綺麗さっぱり脳味噌から放逐ほうちくされ、紅白の野薔薇に彩られた緑の山道を、なんの逡巡もなくただひたすら大汗流しながら登り続けたのである。


「♪ 夏の太陽~~輝いて~~二つの影~~うつ~してた~~~」


 ここ一年、俺は家賃や光熱費を除けば一日ワンコインぽっきりで生きていた。

 東京あたりでは家のない非正規労働者でもネットカフェ難民などという王侯貴族のような暮らしが可能と聞くが、このあたりの田舎だと、持ち家もなく定職を失った中年単身者が屋根のある寝床を確保し続けるには、日雇派遣会社に運良く紹介された安手間仕事の日銭を腹を減らして節約し、風呂なしトイレ共同アパートの三畳一間あたりにかろうじてしがみつくしかない。山谷や釜ヶ崎のドヤ暮らしも大都会であればこそ、ここいらには土木工事のたこ部屋べやすら存在しないのである。思い余って役所に相談しても、貧しい地方自治体のこと、五体満足であるかぎり絶対に生活保護など適用されないし、交番のお巡りに至っては、こっちが引ったくりやコンビニ強盗でもやらかさないかぎり麦飯の一杯もおごってくれない。ただ山の緑と陽の光だけが、内税も外税も源泉徴収も国保料も年金料も要求せず、やけくそのように無償である。まあ冬場にはそれすら滞りがちだが、とりあえず今は盛夏だ。とくにこの辺りの山合いは、都市熱とは無縁のくせに風炎フェーン及び盆地性日射加熱という天然の暖房をめいっぱい蓄積してしまう地形のため、夏場に凍死する恐れだけはない。その代わり熱中症であの世行きになる奴は多いが、主にガテン仕事で生きている俺は、もう何年ぶら下げ続けているんだかそもそも元が旅行鞄だったのかそれとも初めから布地が剥き出しの頭陀ずだぶくろだったのか忘れてしまった茶色い肩掛けかばんの中に、常時どでかいペットボトルを携帯している。中身はほとんどねぐらか駅のホームか行きずりの公園の水道水だが、今日に限っては、山稜に向かう小径こみち道標みちしるべの横に石積みの水場があったので、街では高価ないわゆる天然水がロハで詰まっていた。


「♪ 今はない~~君の面影~~~求めひとり~~僕は行く~~~」


 そこまで歌うと、真夏の納豆のように粘りきった脳味噌の奥から、昔、俺自身の怠慢で嫁にもらい損ねた娘たちの面影が、ねばねばを掻き分けてねばねばと這い出したりもする。みんなねばねばだが、あんがい清爽に笑っている。サワヤカなわけである。こんな非力な俺でも、結果的に複数の女性を不幸な運命から救っていたのだ。あれらのその後の旦那たちは、今どきたかだか万札一枚で頭がトンだりはしないだろう。このままどこまでも登っていけば今の俺などという微視的な存在は地球温暖化という巨視的な流れの中でこの滝のような大汗とともに溶けて流れてしかしまた必ずしも消え去りはしないのではないか、そんな益体やくたいもない想念を抱くこともないはずだ。


「♪ ただ一人~~行~く~~~~」

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