野薔薇姫
バニラダヌキ
山の章 (全九話)
野薔薇姫 山の章 一
『――なぜなら、わたしたちもこうして生きていると思っているが、どうしてそれを知ることができるのか。それを知るには死によるほかはないのだが、生きているかぎり死を知ることはできないのだ。かくて、わたしたちはもどき、だましの死との取り引きにおいて、もどき、だましの生を得ようとし、死もまたもどき、だましの死を得ようとして、もどき、だましの生との取り引きをしようとするのである。それでもこうして、この世も、あの世もなり立っている。深く問うて、われも人も正体を現すことはない。人は生が眠るとき、死が目覚めると思っている。しかし、その取り引きにおいて、生が眠るとき死も眠るのだ。』
――
*
その果て知れぬ、間断なく永遠に続く白閃のような炎熱の陽光の下、俺の
「♪ 野バラ咲いてる~~山路を~~二人で~~歩いてた~~~」
就学前に白黒テレビで六代目市川染五郎が歌っていたヒットソングを我知らず口ずさんでしまうほど、俺は現実から遊離していた。あの頃は俺も東北の片田舎の雑貨屋ながら、なんとか中流家庭の息子だった。そのうち六代目染五郎に色が着いて九代目松本幸四郎になると、俺は地元の国立大のツブシの効かない文科に滑りこみ、結局役人や教師にはなり損ね、地方の清浄な水と空気と安価な労働力を求めて進出してきた外資系電子部品製造工場の事務職にかろうじて就職し、そこで真面目に働いていれば死ぬまでそこそこ
「♪ 夏の太陽~~輝いて~~二つの影~~うつ~してた~~~」
ここ一年、俺は家賃や光熱費を除けば一日ワンコインぽっきりで生きていた。
東京あたりでは家のない非正規労働者でもネットカフェ難民などという王侯貴族のような暮らしが可能と聞くが、このあたりの田舎だと、持ち家もなく定職を失った中年単身者が屋根のある寝床を確保し続けるには、日雇派遣会社に運良く紹介された安手間仕事の日銭を腹を減らして節約し、風呂なしトイレ共同アパートの三畳一間あたりにかろうじてしがみつくしかない。山谷や釜ヶ崎のドヤ暮らしも大都会であればこそ、ここいらには土木工事の
「♪ 今はない~~君の面影~~~求めひとり~~僕は行く~~~」
そこまで歌うと、真夏の納豆のように粘りきった脳味噌の奥から、昔、俺自身の怠慢で嫁にもらい損ねた娘たちの面影が、ねばねばを掻き分けてねばねばと這い出したりもする。みんなねばねばだが、あんがい清爽に笑っている。サワヤカなわけである。こんな非力な俺でも、結果的に複数の女性を不幸な運命から救っていたのだ。あれらのその後の旦那たちは、今どきたかだか万札一枚で頭がトンだりはしないだろう。このままどこまでも登っていけば今の俺などという微視的な存在は地球温暖化という巨視的な流れの中でこの滝のような大汗とともに溶けて流れてしかしまた必ずしも消え去りはしないのではないか、そんな
「♪ ただ一人~~行~く~~~~」
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