第42話 再会


「あんたの敗因は、『閉鎖』の愚能指数グノーシスに力を使いすぎたことだ」


 ラズリタの前に、ぼろぼろになったアマネが倒れていた。翼状のカイエは折れてしまい、動く様は痛々しい。余力はありそうだが、身体の中で感情が相反してるみたいに、動きが取れなくなっていた。


「……人間なんて見捨てれば、僕にも勝てたのにな」


 心から残念そうに、ラズリタは誰に言うわけでもなく呟いた。

 人間たちにくるしめられたアマネは、長い間、心神喪失の状態が続いた。

 正気に戻ったのだって、ここ数百年の話だ。かつてはアマテラスと呼ばれていたアマネも、その時にカイエを二つも失い、今では全盛期の半分以下の力しか残っていない。

 自分よりも遥かに強かったアマネが、人間に執着し、精神を壊し、弱くなり―――こうして自分に敗北する姿には、勝利の陶酔などなく、虚しさの方が大きかった。

 侵触体であることを誇るラズリタにとって、アマネは恥だった。


「勝手と無責任、それを欺瞞で蓋して出来上がるのが人間だよ。――あんたは、信じるものを間違えたんだ」


 だから〈赤の原色王〉を信じる自分は正しいと、ラズリタの中で実感が湧き上がった。


(……思ったより疲弊させられた。連れていくついでに、何人か食ってから戻ろう)


 ラズリタはミラーハウスを見た。人間が隠れている、その反射鏡の建造物を。

 りんりん、と耳障りにならない音色。

 ピアスに触れ、ラズリタは通信器をオンにする。


「ラズリタ。申し訳ありませんが、わたしは非常艇で先に帰ります」

「はあ? なんのために?」

「わたしの任務が終わったからです。報告したら『すぐ帰ってこい』と言われましたので」

〈赤の原色王〉からの直々の帰星命令――その事実を報告し、エフは通信を切った。


 ……どういうことだ?


 エフの任務は『ガタルソノアのカイエを移送する際に囮になり、ガリスを消すこと』だと聞いている。それで言うなら任務は既に終わっているはずだ。

 自分にも知らされていない任務が、エフにはあったのか――。


 ―――いいや。僕でも知ってる任務が、エフにはあるじゃないか。


 それはあり得ない存在を探す調査。母星に残った〈赤の原色者〉たちの不安を消すために、地球に居るとされている〈青の侵触体〉を探し出すという、徒労であるはずの任務。


「まさかっ……!」


 当惑するラズリタが、衣擦れの音を耳にする。


「みすて、ない……ッ!」


 満身創痍のアマネが立ち上がり、背後の人間たちを守るようにカイエを広げていた。

 あまりにも痛々しくて、純粋で、自分を顧みない姿は殉教者のようだった。


「人間は……本当に、ちょっとずつだけど……みんな優しくなってるっ! 神様を信じて誰かを魔女扱いなんてしない。人の自由を奪って奴隷になんてしない。戦争だって、昔よりずっと少なくなった! 世界はちゃんと、少しずつ優しい方向に進んでるんだよっ!」


 人間の醜悪な本性と暴力性に、裏切られ傷つけられ、尊厳まで踏みにじられた。同族である侵触体からも蔑まれ、同情すらされたというのに。


「私はこれからも、人の優しさを信じる」


 それでもなお、アマネは人間の味方をするのだった。


「人だけじゃない。コヨミさんや私が『愛』を知ったように――全ての侵触体も、人と分かり合えるって信じてる! それが、私のユメなんだよっ!」


 どんなにつらくて、苦しくても――この生き方しか、アマネは知らないから。

 きっと死ぬまで、この在り方は変わらない。

 自分自身を救うことさえせず、最後まで、アマネは人のために戦い続けるのだろう。

 ラズリタは、気持ち悪い益虫でも見たかのように表情を変えた。


「……そうかよ。だったら死んでくれ。侵触体の威厳があるうちに、僕が殺してやる」


 無視してもよかったが、殺したくて堪らなくなった。

 自分の意志を告げたアマネに、ラズリタはカイエを向けて歩き出した。


「―――うん。わたしも、そんなアマネさんが好き。だから、そのままでいていいよ。アマネさんの希望を裏切るような矛盾は、全部わたしが壊すから」


 慄然ゾクリとして、ラズリタは後ろを振り返った。

 アマネとの戦闘に際して背後に置いていた、ガタルソノアのカイエが入ったケース――そのすぐ近くに、青いカイエを現したミウナが立っていた。


(ばっ……かな……ッ!?)


 アマネとの会話に夢中になっていたが、それで乱入者の気配を見落とすほど油断はしていない。理由はただ一つ――ミウナの気配がガタルソノアと完全に同質だったから。

 アズリとラズリタ――姉妹の侵触体の気配が、似てしまうように。


『そんなもの、魔王の再臨だよ』


 記憶上かこの自分が、震えた声で現在いまの自分に語り掛けた。


「ふっ、ふざけるな! それに触るなッ!!」


 這い寄ってきた狂気を振り払い、ラズリタは走り出した。

 銀色のケースの真上で、二色のカイエがぶつかり合う。

 ミウナがカイエで、ケースを持ち上げた。まるでお手付きを罰するように、ラズリタは叩き落とす。宙に投げ出されたケースに、ミウナとラズリタが同時に手を伸ばした。


(僕の方が近い!!)


 勝利を確信し、ラズリタは取っ手を掴もうと五指を開いた。

 ―――とぷん、と水音がした。

 瞬間、ケースがくるんと回り、ミウナの方に取っ手が向いた。

 液状になっていた中身が片側に寄ったことで、方向が変わったのだ。

 ケースの中身は、自分の意志でミウナを選んだ。


「こんのクソ女っ……!」


 ガタルソノアの顔を思い浮かべながら、ラズリタは吐き捨てた。

 ケースを確保したミウナが後方に跳ぶ。その着地点を狙い、ラズリタは全部のカイエを動員した。中身は今液状になっている。――奪われるくらいなら、ここでぶちまける!

 攻撃を防ぎ切れなかったミウナを慮って、ケースは自らミウナの盾になった。


 ガタルソノアのカイエを収めたケースが、ラズリタによって破壊される―――。

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