第30話 ふたりぼっちで春を俟つ Ⅰ
死者が冷たいものだとは、わたしは思ったことがない。
食べられた命は血液となって、身体の中を循環する。寒さに打ち勝てるほど温かくなる。
あの血の温かさは、生きてる人の温度ではなく血液という形になった死者の温度だ。だからゴミ捨て場が温かいのもそういう理由に違いない。
人の気配がなくなったのを感じて、わたしはゴミ捨て場から姿を現した。
そして、今より生活できそうな場所を探して動き出す。
ずるずると身体を引きずって彷徨い、最終的に、わたしは木材置き場を見つけた。
その隙間に入り込み、身体を丸めて呼吸する。眠りに落ちようとした。落ちている間は、何も考えなくて済むから。
そうして眠りに落ちて――だけど結局、夢という形で、わたしは思い出してしまう。
自分が、土星を追い出された時のことを。
わたしの〈黄〉のカイエに〈赤〉が混じりだした。それはわたしが成長するに連れて、段々と色濃くなり、いつの間にか誤魔化しが利かないほど明瞭になった。
原色紛いと蔑まれ、母星を追放された〈黄の原色者〉だけが生きる楽園――そこに〈赤の原色者〉が侵入していたと判明すれば、間違いなく殺される。だから家に引きこもった。窓から街を眺め、時間が解決することに期待していた。
だけど結局、わたしは見つかってしまった。幽閉され、残りの命を陰惨に使い潰されることが怖くて泣いたのを覚えている。
でも――お母さんが、助けに来てくれた。
大して強くもないくせに、血まみれになりながら、わたしを迎えに来てくれたのだ。
母はわたしを『流れ星』に乗せると、土星からの脱出までの時間、しんがりを務めた。自分の命を、最後の瞬間までわたしのために費やした。
そしてわたしは、この地球に流れ着いた。
「おかあさん……」
思い出して涙が出てきた。でも頭を撫でてくれる相手も、抱きしめてくれる相手もいない。だから自分で自分のことを抱いた。寒さに耐えきれなくて身体を丸めるように。
『あなたが幸せになったら、お母さんが迎えに行ってあげる』
母は最期にそう言って、笑って、わたしを送り出した。
そんなの欺瞞だ。
だって、母はわたしを――〈赤の原色〉の血を引いた娘を産んだのだ。土星での扱いなんて考えたくもない。むしろ殺されてる方が幸せに決まってる。きっと母は迎えになんて来ない。
子供だましだ。親が子に送る優しいウソだ。
それでもわたしは、心のどこかでそれを信じていて――信じているからこそ、永遠に母親は迎えに来てくれない。だってわたしは幸せじゃないから。幸せじゃないと迎えには来れない。
だから自分は、永遠に独りぼっちだ。
このまま見知らぬ惑星で、ゴミのように死んでいく。
いや、ゴミは死んだ後だから、死んでゴミのようになるが正しいか。
そう、自分は死ぬ。
死んでゴミになる。
母と引き剥がされ、見知らぬ土地に投げ出され――わたしは諦めていた。
「……猫さん?」
夢と現実の狭間で泳いでいたわたしは、稚い声に呼びかけられた。
顔を持ち上げ、木材の隙間からそれを見る。
人間の少女だった。まだ幼い――たぶん十五歳くらいだろう。世界の隅々まで見ようとするようなまん丸い目が、陰に潜むわたしをじーっと見つめている。子どもの純粋さと大人の予感を感じ始めた佇まいが、少女の年齢を物語っていた。
「…………猫じゃない」
少し迷って、わたしは返事をした。
今のわたしには、襲う体力も気力も残っていない。
だから、喋った。叫ばれるのも嫌だが、ずっと興味を持たれて干渉されるのはもっと嫌だ。いっそのこと委縮させて、嫌われればいいと思ったのだ。
だがわたしの予想に反し、少女は目をきらきらと輝かせた。
「あなた喋れるのっ!? すごいすごいっ! ニャースみたい! 好きな人いるの?」
にゃーす? 好きな人って、急になんだ?
そのにゃーすってのと関係あるのか??
おそらくは人間の文化だろうが、この際どうでもいい。そんなことよりも、わたしを怖がることも、不気味がることもしない――喜んでいる少女を訝しんだ。
「……お前、怖くないのか?」
「なんで? あなたわたしを引っかくの?」
「いや、引っかかないけど……」
「だったらいいじゃん! 喋れる猫さん! わたし、子どもの頃に『シャインストーリー』を読んでから、ずっと喋れる猫さんを探してたんだ」
「だから、猫じゃな――」
少女が何度も猫と呼ぶものだから、わたしも少し苛立って――そこで自分の姿が、木材で陰になって見えていないんだと分かった。猫だと勝手に思ってるのだ。
姿を見せれば、少女に叫ばれるに違いない……いや、叫ばれていいんだけど……むうぅ。
自分でも初めての気持ちに戸惑いながら、わたしは少女の前に出た。
「わあ……!」
少女が驚いて声を漏らした。
姿を見せたわたしは―――タコのような姿だった。体表はスライムみたいな粘液に包まれ、頭足類のような足がうねっている。そのくせ目だけは、意志や感情が宿った人間らしいから、さぞかし気味悪いだろう。
地球と同様、宇宙もまたプレートの『層』で構成されている。それを『星辰』という。これをまたぐ際には、肉体を持ち越すことが出来ないので、そのまたぎ先で――今回であれば地球の人間――の肉体を奪わなければいけなかった。
それが出来ていない侵触体が、今のわたしの姿だった。こんな自分を見れば、もう少女もここには来ないだろう。
「なんか……あれだね、ぎりポケモンにいそうな感じ」
「ぽけもん……? お前、本当に怖くないのか??」
少女はうぅんと唸り声をあげた。
「猫みたいに毛皮はないけど……まあっ、これはこれで、きもかわいいからよし!」
「誰がきもいだ! ぶっ殺すぞおまえ!」
青筋を立てて吠えるが、少女はけらけらと笑いながら「そんな怒んないでー」と言った。
不思議な奴だった。おかしい奴という方が正しいかもしれない。喋れる猫を信じてる時点であれだが、それ以上に、地球外生命体を見ても即座に受け入れる素直さに驚いた。
少女は、みんなを幸せにする魔法の存在を信じていそうなくらい、無邪気だった。
「ねえ。あなた名前は?」
「なまえ、は……」
名前はあった。確かに自分は持っていた。自分の命を賭すほど愛してくれた母が付けてくれたものがあったはずなのだ。
だが惑星を出る直前に致命傷を負い、その時にカイエを失ったせいで忘れてしまった。
「……名前は……ない」
今は、もうない。
忘れたとは言えなかった。奪われたのに、忘れたなんて言い方をするのが癪だった。
たどたどしいわたしの返事に、少女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「なら、わたしが考えてあげる! うんっとね……じゃあ、わたしが好きな『シャインストーリー』の喋れる猫さんの名前からとって、ムギノにしよ!」
「だから猫じゃないんだが……」
辟易するように呟いたムギノをよそに、少女は楽しそうに笑っていた。まるで、猫をお迎えしたようなテンションだ。これから訪れるであろう幸福を妄想するみたいに。
雪が降りそうな、寒い十月のことだった。
そうしてムギノと、少女の交流が始まった。
三か月後には終わってしまう、雪解けのひと時が。
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