第20話 飼育赤街


「移動って……電車なんですね」


 ソノアのカイエを取り戻そうと、わたしたちは『あまはら』を出発したけど、その移動手段は普通の電車だった。てっきり侵触体らしい――概念世界の列車とか――で行くとばかり思っていたので、少し面食らってしまった。

 アマネさんは背伸びがバレた子どもみたいに、うぐっと声を漏らした。


「えっとね……アビストスは色んなお店をやってるんだけど、売上って給料とか作戦の費用にそのまま使えるんだ。なんだけど実は……喫茶『あまはら』は、火の車なのっ!」

「…………」

「大赤字なのっ!」

「あ、火の車の意味が分かんなかったわけじゃないです」


 目をじとーっとさせているわたしを置いて、アマネさんは肩を落とした。


「うぅん、なんでお客さん来ないんだろ……。料理もおいしいのになぁ」

「ランチライムにお店閉めてるからでは……? あとディナーも閉めてたし」


 とはいえ、それも仕方ないのかもと思った。今日はわたしがいたけど、いつもはアマネさん一人で回しているようだし、ランチライムは閉めざるを得ないんだろう。

 それこそ、あと一人いれば大丈夫だと思うけど……。

 わたしがちらりと見ただけで、ムギノは目敏く視線を悟った。


「あ? なに見てんだ、ぶっこおすぞ」


 舌足らずな殺害予告をされ、わたしは苦笑した。


「ごめん……その、ムギノは働かないのかなって」

「当たり前だ。なんたってムギは猫だからな! 猫は食べるのは仕事なんだ」


 そう言ってムギノは、誇らしげに耳をぱたぱたさせた。

 猫だからってどういう意味だろう……? わたしがソノアからカイエを貰ったみたいに、猫だったムギノは、カイエを手に入れて人間になったのかな……?


「それに、昼間は眠いから動きたくないんだ。日の光も怠いし」

「……あっ。もしかして、猫だから?」

「は? そんなわけないだろ、なに言ってんだお前」

「ご、ごめんなさい……」


 思いっきり梯子を外された。理不尽すぎる。

 その時、窓の外を赤い光が横切った。

 そっちに興味を持ったムギノは、わたしのことは完全に忘れて、光を捕まえようと座席の上を飛び跳ね始めた。まるでレーザーポインターに反応する猫のみたいだ。

 アマネさんも「ムギっ、他の人に迷惑だから! おんりして、おんり!」と諫めている。

 一人になった。それでわたしは、窓の外を眺めた。

 わたしは、コヨミさんとの会話を思い出す。


『急がないと、今度はミウナちゃんのカイエがリンクしてしまうわ』

『……ソノアの時みたいに、わたしの居場所が気づかれるってことですか?』

『ええ。解除する方法は――そのカイエを取り込むことだけ』

 わたしの気持ちを見透かしたように、コヨミさんははっきりと言った。

乗運命致ノルンメーターによれば、リンクされるのは今晩の零時よ。だからそれまでに―――』


 がたごとん、がたんごとんっ、と決まりきったリズムで電車が揺れている。その度に揺れる窓の外の世界は夜に沈んでいた。水没しているみたいだと思った。


 わたしはソノアのカイエを奪い返したい――でも、取り込みたくはないのだ。

 思い出は頭蓋骨よりも密度が小さいから、いつかは必ず忘れてしまう。

 だからカイエという形で、頭の外側で取って置けるなら、どんなにいいだろうか。


 ごおんっと音がして、電車がトンネルに入る。

 ……窓に反射する電車の中に、わたしとソノアがいた。海岸から帰っているようだ。

 ソノアは大切そうに、メンダコのぬいぐるみを抱いていた。侵触体には誕生日がない。じゃあ今日をソノアの誕生日にしようよって話して、わたしがプレゼントしたのだ。

 二人で朝の海岸沿いを歩いた理由が、もう思い出せない。

 こうなることが悲しいから――わたしは、カイエを取り込みたくない。

 わたしは絶対に、ソノアのカイエを奪い返す。

 そしてそれを、永遠に手元に置き続けるのだ。


「あ、もう着くよ」


 アマネさんに襟首を掴まれたムギノは、だらんとしていた。無事に捕獲されたらしい。

 電車が悲鳴のような音を鳴らし、ブレーキをかけて止まる。

 本能的に。感覚的に。目にカイエの因子が集まり、瞳の青が深くなったのがわかった。筋肉であれば硬く強化されるように、眼球は特異なものすら視えるようになる。

 わたしたちは電車を降りた。

 ―――途端、世界が真っ赤に染まった。

 視界が広く開けて、町を一望できるようになる。

 もはや町ではなく霊園だった。多くの廃墟が墓標のように立ち並んでできた群衆。よふかしをする民家の明かりや、遅番を務める街灯もいない。暗闇を怖がる人らしさが消えた光景は、夜で溺れ死んだように静まり返っていた。


飼育赤街シークレッドだよ。ミウナは、見るの初めてだよね」


 アマネさんは、小学生に戦争を教える先生みたいに話してくれた。


「アビストスに敵対してた侵食体には、『疎遠』の愚能指数グノーシス――結界っていえば伝わるかな――で街ごと隔離して、人間を飼うことがあってね。コヨミさんが掃討したけど、今もこうやって町は残ったままなんだ。『きさらぎ駅』も飼育赤街シークレッドの一つだね」

「で、でも、さっき電車に乗ってたときは普通に……」

「それは『景観』の愚能指数グノーシスで外側から覆い隠してるから。死体にかけるブルーシートみたいなものだよ。人が見てしまわないように、普段はアビストスが隠してる」


 墓標と形容したわたしには、アマネさんのたとえはすんなり入ってきた。

 たぶんこれが、都市伝説や怪談で話される「異界」の正体なんだろう。

 ……一つだけ、わたしはふと気になった。

 ソノアと暮らしたあの家から見える、本当の景色は――どんな姿だったんだろうか。

 ソノアの目には、いったい世界はどんなふうに映っていたんだろう。

 あの深い青色の瞳が見ていたものが、どうかわたしと同じでありますようにと。

 わたしは、それだけを祈った。

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