第15話 ようこそ、喫茶あまはらへ!


 ただ着替えただけなのに、なんだか違う自分になったような気がした。たぶん衣服っていうのは心の換装なんだろう。

 わたしは鏡の前に立ち、新しい武装を見やった。

 青を基調としたエプロンドレスは、メイド服と着物を足して割ったような印象だった。和が備える柔らかさと、洋の持つ華やかさが溶け合っていて可愛らしい。わたしなんかには相応しくないようで、どうにも恥ずかしかった。

 更衣室から出ると、わたしと同じ服装のアマネさんが待っていた。

 ただし色だけは違っていて、アマネさんのは優しそうな緑色をしていた。


「おー、似合ってるじゃん。やっぱりミウナは青色で正解だったね」

「そ……そう、ですか……?」


 他人から褒められる機会がこれまでなかったので、つい照れてしまう。

 そのとき、カウンターの奥から気配がした。

 あの人だ、とすぐに思い、わたしは暖簾をくぐって来るその人を注視した。

 案の定、伊耶宵(いざよい)コヨミさんだったが――なんていうか、気配が全然違った。白色のハイライトが入った黒髪は、陽光で綺麗なコントラストを目立たせている。その色合いが毛先から滴り落ちるのを防ぐように、翡翠色のシュシュが髪をまとめて前に垂らしていた。

 姿形は同じ。でも気配は別人のようで、わたしはつい呆然としてしまう。

 そんなわたしに、コヨミさんは気遣わし気に笑った。


「あら、ミウナちゃん。おはよう、身体はもう平気かしら?」

「……あ、はい……!」

「昨日はごめんなさい。あたしとしたことが、つい力加減を間違えちゃったみたいで……。痛くなかった?」

「ぜ、ぜんぜん大丈夫です……! 痛くは、なかったと思います」


 というか、意識が飛んだのも一瞬すぎて何も感じなかった。


「ならよかったぁ。アマネから聞いたわ。いきなり〈青の原色王〉になって大変でしょうけど、一緒に頑張っていきましょう。同じ仲間……いいえ。家族として、あたしたちもミウナちゃんの力になるわ」

「家族……」


 わたしはその言葉を復唱していた。

 ソノアが消えてできたこの空洞は、きっとこの人たちが、これから時間をかけて埋めていくんだと思った。


「だからミウナちゃんは――あたしのことは、今日からママって呼んでいいのよっ!」

「わかりま……はい?」


 なんか今、変なセリフが聞こえた気がする。

 どう反応しようか迷うわたしに、コヨミさんが小首を傾げながら言う。


「あたしことはママって呼んで?」

「あ、聞こえてなかったわけじゃないです」


 反射的に塩対応してしまった。もしかして侵触体の間では、自分より強い相手をママと呼ぶルールや文化があるのだろうか。

 認識がすれ違ってる可能性も考えて、一応、わたしはコヨミさんに尋ねる。


「ええっと……ママですか? 子どもが持つ一等親の女性を指す、あの?」

「そう、そのママよ! あたし、ママって呼んでもらうのが好きなのよ。ずっと昔は呼んでもらえてたんだけど、最近はご無沙汰なのよねぇ。だからミウナちゃんには、ママって呼んでほしいわ。ミウナちゃんってなんか、こう……娘って感じがするし!」

「えっと……これからよろしくお願いします、コヨミさん」

「そ、そうね、よろしく……そういえば、まだモーニングの準備終わってなかったわ……」


 やんわりと拒絶されたコヨミさんは、ずずーんと肩を落として、キッチンに戻った。

 いや、呼んであげたいとは思ったけど、わたしにはハードルが高すぎる。

 でもコヨミさんの人となりは伝わってきた。ちょっと母性が暴走しかかってるようだけど、甘えられるのが好きな人なんだろう。

 今のやり取りを後ろで見ていたアマネさんは、仕方なさそうに苦笑した。


「あはは、コヨミさん振られちゃったね。ミウナとは初めて会うから、期待してたのかも」

「期待、ですか……?」

「んっとね、人間と違って侵触体は何千年も生きてる。だから紀元前とかからみんな顔なじみだったりして、もう他の侵触体からはママって呼んでもらえないんだよ」


 仲間の侵触体たちに「ママって呼んでよぉ」と縋りつき、鬱陶しがられるコヨミさんの姿が浮かんできて、思わず笑ってしまった。

 アマネさんは、少し同情するようにキッチンの方に目を向けた。


「大昔は、人間たちに呼ばせようとしてたらしいけどね。でも、ここ百年くらいは科学の発展でそれも出来なくなってきたから」

「完全に不審者じゃないですか……」


 監視カメラができたから諦めたって、ほとんど露出狂の考え方だ。頭の中にいるコヨミさんが、幼い子どもたちに「ママって呼んでぇ……!」と頬を上気させながら言い寄りだした。やっぱりあの人、実はとんでもない変態なんじゃないかな。


「ちがうちがう。ミウナが想像してる感じじゃなくてさ。ほら、私たちって神様だったから」

「神様?」

「そうだよ。北欧神話のオーディンとかロキ、日本書紀のアマテラスとか、聞いたことあるでしょ? あれは私たち侵触体のこと。神話っていうのは、アビストスができるよりも前――侵触体がまだ、地球の支配領域を巡って争っていた様子を、人間たちが書いたものなんだよ。

 でも、世界が科学主義になっていく時に、アビストスの統治者が『世界を人の意志に任せ、自分たちの存在を隠す』って決めて、私たちは表舞台から姿を消した。……まあその時でも、コヨミさんはママなんて呼んでもらえなかったらしいけど」


 それもそうだ。数千年か、それ以上も生きているコヨミさんを――女神をママなんて呼べるはずがない。

 とはいえ、その背景を聞くと、コヨミさんには申し訳ないことをした。

 数千年も母性を抑え込んできたところへ、十六年しか生きてないわたしがやって来たのだ。あの落ち込みようを見ると、かなり期待していたに違いない。

 ちょっと頑張って、呼んであげようかな。

 いつになるかは、わかんないけど……。

 密かに覚悟を決めるわたしの隣で、アマネさんは古風な壁掛け時計を見上げた。


「よし、そろそろかな……! それじゃあ、今日も一緒にがんばろっか!」


 アマネさんは、からんからんっと音を立てて外に出た。

 ドアの看板をくるりとひっくり返して『営業中です!』がよく見えるようにした。眩しくて春らしい日差しが、アマネさんの衣装をよく魅せていた。

 そうしてわたしは、喫茶『あまはら』の店員として、今日も働き始めたのだった。


 …………いや、なんで??


 モーニングも終わった正午に、わたしはテーブルを拭きながら正気を取り戻した。

 つい数時間前、わたしは「アビストスと協力関係になる」ことを受け入れた。そして、この喫茶店に案内され……言われるままエプロンドレスに着替え、こうして普通に接客していた。

 お客さんがいなくなると、アマネさんはわたしを労うように笑った。


「そろそろお昼休憩にしよっか。ミウナ、すごい接客上手だね! おかげで助かったよー」

「あ、はい、ありがとうございます……ってそうじゃなくって!?」


 思わず叫んでしまったわたしに、アマネさんは不思議そうに首を傾げた。


「わたし、アビストスに連れてかれると思ってたんですけど……ここはいったい……?」

「あっ、ごめん。そのあたり説明し忘れてたね」


 申し訳なさそうに苦笑したアマネさんは、手は動かしたまま教えてくれる。


「ほら、さっき言ったでしょ? もう神様ごっこは辞めて、自分たちの存在は隠してるって。だからアビストスの侵触体は、普段はこうやって人間のフリして生きてるんだよ」


 そうして人間社会に馴染んでいるのだと、アマネさんは言った。わたしはそれに納得した。とても自然だと思ったのだ。クラスの友達もバイト先の先輩も、その人が人間だっていう確証は最初からどこにもないのだ。


「なんていうか……もっと殺伐とした感じかと思ってました」

「まあそういうのは大体、夜かな」


 かちりと時計の針が重なるように、今夜に何かが確定したような予感がした。


「というわけで、昼間は楽しく賑やかに、人間生活を楽しむんだよ。はいっ、ミウナの!」


 アマネさんは厨房の方から、二人分のカレーを畳席に持ってきてくれた。そして靴を脱ぐとスプーンを手にして「いただきます」と言った。どうやらこの場所で食べるらしい。


「……え、ここで食べるんですか? その、お客さんが来るんじゃ……」

「あー、お昼は愚能指数グノーシスで人が来ないようにしてるから。ゆっくり食べれるよ!」


 ランチタイムに人払いする喫茶店ってどうなんだろう……。

 しかしアマネさんには、目の前のカレーが冷めることの方が問題のようだ。ぱくりと頬張ると「んんぅ~! コヨミさんの料理おいしい~!」と口をもごもごさせながら呟いた。


 おいしそうに食べるアマネさんを見ていたら、わたしまでおなかが空いてきた。思えば昨日から何も食べてない。午後もあるし、無理にでも食べたほうがいいと思った。

 くすみも傷もないスプーンを持ち、わたしはカレーを口に入れた。


(あ、おいしい……!)


 前にソノアと一緒に作って食べたけど、こんな味にはならなかった。熱でほぐれた野菜から染み出した旨味が、まろやかな味を作り出している。ごろっと入っている牛肉は柔らかくて、簡単に噛むことができた。呑み込むと、胸の真ん中あたりが温かくなった。

 そこにあった空洞の端っこが、ほんの少しだけ埋まる。埋まってしまう。

 きっとこうやって、些細な思い出から順にソノアは色褪せていくのだろう。思い出にもカウントしていなかった日常を忘れ、大切だった時間をわすれ、ついには顔だってわすれてしまう。


 いつかソノアを思い出せなくなるのだろうか。

 いつかそれを受け入れてしまうのだろうか。

 ―――そうしてきっと、ゆっくり変わってしまうのだろうか。


 夜の海水のような暗い考えは、しかし来店者を告げる華やかな音で終わった。

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