第43話:鷹の眼差し☑

星夜の洞窟、その名の通り夜空の星々を思わせる無数の発光鉱石が洞窟の壁面を彩るサテライト。その中枢に位置するナディアの執務室は、魔鉱石相場の急騰から約3ヶ月が経過したこの日、緊張感と期待に満ちていた。


壁一面を覆う巨大なホログラフィック・スクリーンには、苦境に陥っているサテライトや企業の詳細な情報が次々と映し出されている。その光景は、まるで宇宙の星座図を眺めているかのようだった。各サテライトや企業を示す光点が、その経営状態に応じて色を変え、明滅している。


ナディアは、スクリーンの前に立ち、鋭い眼差しでそれらの情報を吟味していた。彼女の表情には、まるで獲物を狙う鷹のような鋭さと、同時に新たな玩具を手に入れた少女のような好奇心が混在していた。


「次は?」ナディアの声には、抑えきれない興奮が滲んでいた。その声音は、静謐な執務室内に響き渡った。


情報部のリーダー、イザベルが一歩前に進み出た。彼女の手元のタブレットを操作すると、新たな情報がメインスクリーンに映し出された。


「こちらは、『翠緑の谷』サテライトです」イザベルの声は、プロフェッショナルな冷静さを保ちながらも、わずかに興奮を滲ませていた。「主要産業は高級木材の生産と加工でしたが、ミリスリア擬製生物の登場により、労働集約的な産業が急速に衰退しています」


翠緑の谷サテライト、その名の通り緑豊かな森林に覆われた渓谷を中心とする生態系。かつては最高級の家具や建築材を生産する木工の聖地として知られていたが、今やその栄光は過去のものとなりつつあった。


ナディアは眉を寄せ、詳細な説明を求めた。「具体的にはどのような影響が出ているの?」


イザベルは即座に応答した。「はい。ミリスリア擬製生物の導入により、木材の伐採から加工までの全工程が自動化されました。これにより、人間の労働力や技術力に強みがあった『翠緑の谷』の競争力が著しく低下しています」彼女は一瞬息を整え、続けた。「さらに、魔鉱石価格の高騰により、擬製生物の導入コストが急増し、経営を圧迫しています」


ナディアは興味深そうに頷いた。その表情には、複雑な計算を行う者特有の集中力が現れていた。「バランスシートはどうなってる?」


イザベルはスクリーンを切り替え、詳細な財務情報を表示した。数字の羅列が、まるで星座のように浮かび上がる。「資産総額は50億クレジット、負債総額は45億クレジットです」


クレジット、サテライトシステム全体で使用される統一通貨単位。その価値は、各サテライトの経済力や魔鉱石の埋蔵量などによって変動する。


イザベルは続けた。「しかし、注目すべきは計上されていない無形資産です。『翠緑の谷』は、数百年に渡って培われた木材加工の技術と、希少樹種の育成ノウハウを持っています。これらは金銭的価値に換算しづらいものの、非常に価値のある資産だと考えられます」


ナディアは目を細め、深く考え込んだ。その姿は、まるで古代の賢者のようだった。「ミリスリア擬製生物の時代に、そのような伝統的技術が活かせるかしら?」


イザベルは自信を持って答えた。「実は、最近の市場調査によると、ミリスリア擬製生物が生産する均質な製品に飽きた富裕層の間で、手作りの木製品への需要が高まっています。『翠緑の谷』の技術は、このニッチな市場で大きな価値を持つ可能性があります」


ナディアの目が輝いた。その瞳には、新たな可能性を見出した者特有の光が宿っていた。「なるほど。それは面白い視点ね」しかし、彼女の表情はすぐに厳しさを取り戻した。「ただ、私が求めているのはより大きなマーケットよ。他にはどんなサテライトがあるの?」


「次に、『鉄の要塞』サテライトです。このサテライトは重工業に特化していますが、ミリスリア擬製生物の導入により、労働力の需要が激減しています。また、魔鉱石価格の上昇で原材料コストも高騰し、経営が圧迫されています」


ナディアは首を横に振った。「重工業も同じね。ミリスリア擬製生物の登場で、人間の労働力に競争優位があったサテライトはどんどん衰退していくわ。これも見送りましょう」


イザベルは次々と新たな情報を提示し、ナディアはそれぞれに鋭い質問を投げかけた。多くのサテライトが、ミリスリア擬製生物の台頭や魔鉱石価格の高騰によって苦境に陥っていた。しかし、ナディアの目は将来性のある産業と、一時的な経営判断ミスによる価値の棄損を見分けることに注がれていた。


そして、ついに彼女の目に留まったのは、ある特殊なサテライトだった。


「X-273は、バイオテクノロジー分野で高い技術力を持つサテライトです」イザベルの声が、静寂を破った。「特に、新種の微生物開発において業界をリードする存在でした」


X-273、その名前は無機質だが、そこには高度な科学技術と先進的な研究施設が集積するサテライトを指す。生命科学の最前線を行く研究者たちが集う、知の聖地とも呼ばれる場所だ。


ナディアは僅かに眉を上げた。「'でした'、か」その一言には、鋭い洞察力が込められていた。


イザベルは頷き、続けた。「はい。ですが高額な設備投資を行ったタイミングで魔鉱石相場急騰があり、資金繰りが悪化。研究開発費の捻出が困難になっています」彼女は一瞬言葉を切り、深呼吸をした。「サテライト破綻の可能性を懸念した諸銀行の貸し渋りもあり、高利回りの短期サテライト債を発行せざるを得ない状況となり、現在債務超過寸前の状態です」


ナディアは冷静に情報を整理しながら、質問を投げかけた。「バランスシートの詳細は?」


イザベルは即座に新たなホログラムを展開した。そこには、X-273の詳細な財務情報が表示されていた。数字の羅列が、まるで暗号のように並んでいる。


「総資産は50億クレジット。うち、固定資産が40億クレジットを占めています」イザベルの声が、数字の海を航海するように続く。「負債総額は48億クレジットで、そのうち35億クレジットが短期借入金です。自己資本比率は4%まで低下しています」


ナディアは数字を見つめながら、さらに踏み込んだ。「バランスシートに計上されていない無形資産は?」


イザベルは一瞬躊躇したが、すぐに答えた。「はい。最も重要なのは、彼らが保有する技術ノウハウと研究データです」彼女の声には、わずかな興奮が滲んでいた。「特に、一部の微生物はミリスリア擬製生物との相利共生の可能性が確認されたという噂があります。これらの微生物の資産価値は計り知れないと言えるでしょう」


ナディアの目が鋭く光った。その眼差しは、まるで獲物を捕らえた猛禽類のようだった。「その微生物はミリスリア擬製生物に対してどう作用するの?」


「そこまでの検証は行われておらず、未知数です」イザベルは慎重に言葉を選びながら答えた。「ただ、作用がどのようなものであっても何らかの利用価値は見出せるでしょう。適合性が確認された微生物も一種類ではなく複数あるようです」彼女は一瞬言葉を切り、深呼吸をした。「順当にいけば、彼らの技術はミリスリア擬製生物の普及に伴って価値が増していくと思われます」


ナディアは深く頷いた。彼女の頭の中で、すでに買収戦略が形作られつつあった。その思考の速さは、まるで高性能コンピュータのようだった。


「よし、買収を進めましょう」ナディアの声には、揺るぎない決意が込められていた。「オファー価格は、現在の純資産の1.5倍。ただし、条件として全ての技術ノウハウと研究データの譲渡を要求する」


イザベルは驚きを隠せなかった。その表情には、計算違いを疑う色が浮かんでいた。「1.5倍ですか? 現状を考えれば、もっと安く...」


ナディアは冷ややかな微笑みを浮かべた。その表情には、長年の経験から得た自信が滲んでいた。「いいえ、これが最適解よ」彼女の声は、静かでありながら力強かった。「彼らは窮地にあるが、自社の価値も理解している。あまりに安いオファーは、彼らの警戒心を煽るだけ。1.5倍なら、彼らも 'fair' だと感じるはず」


ナディアは一瞬言葉を切り、窓の外に広がる星空を見つめた。その瞳には、未来への強い期待が宿っていた。「そして、それでも我々にとっては大きな利益になる。私たちが求めていた宝石よ。磨けば磨くほど、その価値を増す可能性を秘めた原石」


イザベルは納得したように頷いた。彼女の表情には、ナディアの洞察力への敬意が浮かんでいた。「では、直ちに交渉チームを編成します」


ナディアは静かに頷いた。彼女の目は再びホログラム地図に向けられた。そこには、まだ多くの 'ターゲット' が赤く輝いていた。星夜の洞窟の影響力は、着実に拡大しつつあった。


この買収が成功すれば、星夜の洞窟はバイオテクノロジー分野でも強固な地位を築くことになる。ナディアの頭の中では、すでに次の一手、そしてその先の展開まで描かれていた。彼女の野望は、一つのサテライト買収にとどまるものではなかった。それは、全サテライトシステムを覆す壮大な計画の一部に過ぎなかった。


執務室の窓から見える星空は、ナディアの野望を映し出すかのように輝いていた。その光景は、まるで彼女の前に広がる無限の可能性を象徴しているかのようだった。星夜の洞窟の未来は、ナディアの鷹の眼差しによって切り開かれようとしていた。

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