第41話:翠玉の深淵より☑

エメラルドヘイヴンの最深部、地下深くに広がる巨大な洞窟。その中心に佇む「翠玉の間」と呼ばれる厳かな会議室は、高濃度のミリスリアで満たされていた。天井から垂れ下がる魔鉱石の結晶群が放つ柔らかな緑の光が、空間を穏やかに照らし出す。その光は、重厚な円卓を囲む六人の人物の表情を浮かび上がらせ、彼らの姿に神秘的な威厳を与えていた。


円卓を囲むのは、エメラルドヘイヴンの枢密会のメンバーたち。アステール、セレフィナ、ガーランド、エリサーネ、カリスタ、トリスタン。彼らの凛とした表情の奥には、深い憂いが宿っていた。その眼差しは、外界で渦巻く混沌を映し出しているかのようだった。


「翠玉の間」は、エメラルドヘイヴンの創設以来、最も重要な決定が下される場所として知られていた。部屋の中央には、「エメラルドの泉」と呼ばれる小さな噴水があり、そこから湧き出る水は微量のミリスリアを含んでおり、わずかに緑色に輝いていた。


沈黙を破ったのは、アステールの右腕であるセレフィナだった。彼女の声は冷徹さを帯びていたが、アステールに向けられた眼差しだけは不思議な柔和さを湛えていた。


「アステール様、我々の生態系は安定を保っていますが、各サテライトの状況はいかがでしょうか?」


アステールは深い溜め息を漏らし、ゆっくりと口を開いた。彼の声には、世界の複雑な現状が凝縮されていた。


「現状は厳しい。ミリスリア擬製生物の導入に成功したサテライトのうち一部はベーシックインカムを導入し、難民の受け入れも可能になっている。だが、全てのサテライトがそうではない」


彼は一瞬言葉を切り、「エメラルドの泉」に目を向けた。その緑の輝きは、彼の言葉に深みを与えているようだった。


「利益を設備投資に回すサテライトでは、生活困窮者が他の生態系へ流出している」


防衛主席のガーランドが、アステールの言葉に続いた。彼の声には緊迫感が滲んでいた。


「特に星降る谷では、難民の流入により住民との軋轢が激化しています。治安維持も困難を極めているとの報告があります」


星降る谷は、その名の通り、夜空に流れる星々の美しさで知られる自然豊かなサテライトだった。しかし今や、その美しい景観は難民キャンプで覆われ、かつての平和な雰囲気は失われつつあった。


経済主席のトリスタンは慎重に言葉を選びながら、さらなる問題点を指摘した。


「難民を受け入れるサテライトは限られています。その結果、人口の一極集中が進み、資源供給の逼迫が懸念されます」


彼の眼差しには、将来への不安が映し出されていた。


医療主席のエリサーネは眉間にしわを寄せ、静かに、しかし切実に語った。


「医療施設の状況も深刻です。難民の健康状態は悪化の一途を辿っています。特に、『ミリスリア欠乏症』と呼ばれる新たな疾患の蔓延が懸念されます。早急な対応が必要です。」


ミリスリア欠乏症は、高濃度のミリスリア環境下で生活していた人々が、突如としてミリスリア濃度の低い環境に置かれた際に発症する症状の総称だった。倦怠感、記憶障害、免疫機能の低下などの症状を引き起こし、重症化すると生命の危険さえあった。


探索運搬主席のカリスタが言葉を継いだ。彼女の声には、資源管理の専門家としての冷静さが滲んでいた。


「魔鉱石の供給も課題です。需要は増加の一途ですが、新鉱床の発見は困難を極めています。探索班の疲弊も看過できません」


カリスタの言葉に、全員が重々しく頷いた。魔鉱石は、ミリスリアを蓄え、放出する唯一の物質であり、サテライトシステムの生命線とも言える存在だった。その枯渇は、文明の崩壊を意味していた。


アステールは深く息を吐き、静かに頷いた。彼の眼差しには、重責を担う者の決意が宿っていた。


「我々の使命は明確だ。エメラルドヘイヴンのリソースを効率的に管理し、他のサテライトとの協力体制を強化しなければならない。この危機を乗り越えるために」


会議室に再び沈黙が訪れた。枢密会のメンバーたちは、エメラルドヘイヴンの、そしてサテライトの未来に思いを巡らせた。その表情には、世界の命運を左右する重責を担う者たちの覚悟が刻まれていた。


外界では、ミリスリア駆動の擬製生物がもたらした新秩序と混沌が交錯し続けていた。「翠玉の間」の魔鉱石の柔らかな光に照らされ、彼らの決断が世界の未来を形作ろうとしていた。エメラルドヘイヴンの深奥に佇む広大な洞窟は、今や歴史の転換点となる瞬間を静かに見守っていたのだ。


アステールは立ち上がり、「エメラルドの泉」に歩み寄った。彼は手をかざし、湧き出る水を受け止めた。


「我々は、未曾有の危機に直面している。しかし、我々には知恵があり、団結がある。エメラルドヘイヴンの未来は、我々の手にかかっている。共に、この試練を乗り越えよう」


その言葉に、全員が固く頷いた。翠玉の間を包む魔鉱石の光が、一瞬強く輝いたように見えた。それは、彼らの決意に呼応するかのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る