第38話:予感☑

星夜の洞窟サテライトの中枢、ナディア・ストーンブリッジの書斎。窓から差し込む夕暮れの柔らかな光が、古びた木製の書斎机と、その上に広がる無数の資料を優しく照らしていた。部屋の隅には、かすかに光る発光鉱石が置かれ、薄暗い空間に神秘的な雰囲気を醸し出していた。


ナディアは、ペンを走らせながら、深い思索に沈んでいた。彼女の指先から漏れる微かな音だけが、静寂を破る唯一の存在だった。エメラルド・ニュース・ネットワーク(ENN)から入手した機密情報が、彼女の頭脳を休むことなく稼働させていた。


「倫理観など皆無ね...」


その囁きは、レヴァンティスの指導者たちの冷酷さを如実に表現していた。ナディアの整った眉間に、僅かな皺が寄る。レヴァンティスサテライトは、その名が示す通り「高みを目指す者たち」を意味する古語に由来し、常に進歩と効率を追求してきた。しかし、彼らの合理主義は、ナディアの想像を遥かに超えていた。


労働者をミリスリア擬製生物に置き換える動き。それはもはや空想の域を脱し、現実のものとなっていた。ミリスリアとは、世界に活力をもたらす神秘的なエネルギー源であり、その濃度が高い環境下では、通常では考えられないような現象が起こることが知られていた。その力を利用した擬製生物は、人間の労働力を遥かに凌駕する効率性を持っていた。


ナディアは椅子に深く腰を下ろし、資料に目を通しながら唇を噛んだ。レヴァンティス研究開発部門における擬製生物の活用状況は、さらに衝撃的だった。高度な知能を要する職の大半が既に置き換えられているという事実に、彼女は一瞬、驚きを隠せなかった。


しかし、彼女の瞳に宿った驚愕の色は、すぐに冷静な分析の光へと変わった。ミリスリア擬製生物がもたらす効率性と同時に生じるリスク、そしてそれが経済全体に及ぼす影響を、ナディアは冷徹に見極めていった。


供給面でのボトルネック、特に魔鉱石の埋蔵地の探索が労働力だけでは解決できない問題であることを再認識した彼女は、相場の急騰を確信した。魔鉱石は、ミリスリアを蓄え、放出する不思議な鉱物であり、サテライト世界の繁栄を支える根幹となっていた。その予測は、より強固なものへと変わっていった。


「これは市場に激震が走る...」


窓辺に立ち、夕暮れの光に照らされながら、ナディアは小声で呟いた。レヴァンティスの慎重な計画性と冷徹な手腕に、彼女は一種の敬意さえ感じていた。彼らは開発を極限まで進めた後で初めて公表に踏み切ったのだ。この戦略によって、エメラルドヘイヴンの指導者アステールや他の有力サテライトからの妨害を巧みに回避したのである。


深いため息と共に、ナディアは再び椅子に腰を下ろした。破壊的イノベーションが現実となった今、彼女たちにできることは、この激流に逆らわずに乗り切る方法を見出すことだけだった。


再び立ち上がったナディアの瞳には、揺るぎない意志と新たな戦略への決意が宿っていた。星夜の洞窟サテライト特有の通信端末、「星影コミュニケーター」に手を伸ばし、次なる指示を与えるための準備を始める。この装置は、洞窟内の複雑な地形と、洞窟壁面に埋め込まれた発光鉱石ネットワークを利用した独自の通信技術であり、外部からの傍受が極めて困難だった。


レヴァンティスの動きを見据え、自身の持つ資源と知識を最大限に活用し、激動の時代における勝者としての道を模索する。星夜の洞窟サテライトが誇る金融コングロマリットとしての地位を活かし、市場の変動を先読みした戦略を練り上げていく。


夕暮れの柔らかな光が満ちた書斎で、未来への不安と挑戦への覚悟が入り混じる中、彼女は静かに、しかし確実に次なる一手を打つ準備を整えていった。激流の中で生き残り、そして勝利を掴むための戦略が、彼女の頭の中で着実に形作られていくのだった。


窓の外では、星夜の洞窟サテライトの空――つまり大空洞の天井には、無数の星々が瞬いていた。その星々の光は、かつてナディアが魔鉱石取引で成功を収めた日々を思い起こさせる。しかし今、彼女の目は遥か遠くを見据えていた。その闇の向こうに、ナディアは未知なる未来を見ていたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る