第25話:沈黙の代償☑

シルバーホライゾン社の最上階に位置するリチャードのオフィスは、都市の喧騒から隔絶された静謐な空間だった。広大なガラス窓からは、黄金に輝く夕陽が差し込み、室内を温かな光で満たしていた。その光は、机上に広げられた無数の資料を照らし出し、それぞれのページが持つ重要性を強調しているかのようだった。


リチャードは、深い思索に沈みながら、一枚一枚のデータシートを丹念に精査していった。彼の鋭い灰色の瞳は、まるでレーザーのように紙面を走査し、時折、重要な箇所に出くわすと、ペンを手に取り印をつけた。その動作は慎重で、古代の学者が貴重な文献を解読するかのようだった。


黄金の平原サテライトで起きたクーデターの調査結果は、リチャードの予想を遥かに超える複雑さを呈していた。彼の眉間に刻まれた深い皺は、その状況の難解さを如実に物語っていた。


「単なる感情的な反発ではない...」


リチャードは小声で呟いた。その声は、重厚な木製の机に吸い込まれるように消えていった。


「組織的で計画的な動きだ。オルドサーヴィス側のみならず統治機構側においても」


彼の注意を特に引いたのは、予想外の事実だった。不満分子の数が驚くほど少なく、多くの人々が自分たちの仕事に誇りを持っていたという調査結果。この矛盾する状況に、リチャードは新たな疑問を抱かずにはいられなかった。


黄金の平原サテライトは、その名の通り、広大な黄金色の草原が広がる豊かな土地だった。主要産業は高級農作物の生産と、それを原料とした加工食品の製造だった。サテライトの中心部には、巨大な穀物サイロが林立し、遠目には黄金の塔のように見える。その周辺には、最新鋭の農業機械工場や食品加工工場が点在し、サテライトの経済を支えていた。


リチャードの思考が深まっていく中、突如として静寂を破る鋭い電子音が鳴り響いた。彼は反射的に、デスクに置かれた最新型の通信装置に目を向けた。それは、エメラルドヘイヴンとの直通回線として知られる特別な装置だった。画面に浮かび上がった名前を見た瞬間、リチャードの表情が一瞬にして硬直した。


「セレフィナ...」


その名は、エメラルドヘイヴンの実質的な統治者として知られる女性のものだった。アステールの右腕として、彼女は冷徹な判断力と卓越した政治手腕で、エメラルドヘイヴンの繁栄を支えていた。その存在は、多くのサテライトリーダーたちにとって、畏怖と尊敬の対象だった。


リチャードは深呼吸を一つし、心を落ち着かせてから、通信を受け取った。画面に浮かび上がったのは、冷徹な美しさを持つ女性の姿だった。セレフィナの瞳は、まるで深い氷河のような翠緑であり、そしてその奥底には計り知れない知性が宿っていた。


「リチャード、動いているようね。」


セレフィナの声は、氷のように冷たく、感情を感じ取ることができなかった。


リチャードは、プロフェッショナルとしての態度を崩さず、丁寧に応じた。


「セレフィナ。何か御用でしょうか?」


しかし、彼の内心には緊張が走り、背筋が凍るような感覚を覚えた。


セレフィナは、リチャードの丁寧な口調を完全に無視し、用件を淡々と伝え始めた。


「あなたたちが真相究明に向けて動いていること、把握しているわ。そのような行動を取っている相手に、補償を出すつもりはないわ。」


リチャードは一瞬、言葉を失った。彼の頭の中で、様々な思考が駆け巡った。シルバーホライゾンの経営方針、クライアントとの信頼関係、そしてエメラルドヘイヴンとの微妙な力関係。これらの要素が、複雑に絡み合いながら彼の判断を左右していた。


しかし、すぐに冷静さを取り戻し、反論しようとした。


「しかし、セレフィナ。我々は既に多くのリソースを投入しており、その補償は...」


「黙りなさい、リチャード」


セレフィナの冷酷な声が、彼の言葉を容赦なく切り裂いた。その声音には、エメラルドヘイヴンの絶対的な権力が込められていた。


「もしもあなたたちが、クーデターの真相を探る動きを止めるのであれば、今回シルバーホライゾンに生じた損失と同等の額、エメラルドヘイヴンへの納税額から免除しましょう」


リチャードの瞳が驚きで見開かれた。エメラルドヘイヴンへの納税は、全てのサテライトとその関連企業にとって重大な経済的負担だった。その免除は、シルバーホライゾンにとって莫大な恩恵をもたらす可能性があった。


彼は、セレフィナの提案の意味を慎重に吟味した。沈黙が数秒間続いた後、彼は渋々と応じた。


「分かりました。提案を受け入れます。」


通信が終わろうとする中、リチャードは最後の賭けに出た。


「セレフィナ、オルドサーヴィスの件、どうやら単なる突発的なクーデターではないようですよ」


オルドサーヴィスは、黄金の平原サテライトで長年にわたり秩序維持を担ってきた組織だった。その歴史は、サテライトの建設初期にまで遡る。当初は単なる警備会社だったが、次第にその影響力を拡大し、今や黄金の平原の政治にも深く関与するようになっていた。


セレフィナの表情に、一瞬だけ何かが走った。それは驚きか、それとも焦りか。しかし、すぐに彼女は元の冷淡な表情に戻り、冷たく言い放った。


「いずれにせよ、今回の対応はアステール様の意志よ。それ以上のことは、知る必要もないわ。」


アステールの名前が出た瞬間、リチャードは全てを悟った。アステールは、エメラルドヘイヴンの創設者にして最高指導者である。その存在は、単なる政治家や指導者を超えた、まさに神格化された存在だった。彼の意志は、全てのサテライトとその住民にとって、絶対的な法則のようなものだった。


通信が途切れ、リチャードは重々しく椅子に身を沈めた。


「アステール様の意志...」


その言葉が、彼の頭の中で何度も反響した。


シルバーホライゾンが始めたばかりの真相究明への道は、ここで突如として閉ざされた。しかし、リチャードの心には新たな疑問と不安が芽生えていた。彼は深い溜息をつき、窓の外に広がる都市の景色を見つめながら、今後の戦略を練り直す必要性を痛感していた。


エメラルドヘイヴンとの関係は、今や一層複雑な様相を呈している。今後のためにも彼らの真の意図を見極めるための新たな道筋を見出さねばならない。リチャードは再び通信装置に目を向け、これから待ち受ける困難な交渉への覚悟を固めた。


真実への追求は阻まれたかもしれない。しかし、リチャードの探求心は、まだ完全には消え去っていなかった。彼の目には、新たな挑戦への決意が宿っていた。窓の外では、夕陽が徐々に沈みゆき、都市の灯りが一つ、また一つと点り始めていた。それは、リチャードの心に芽生えた新たな希望の灯火のようでもあった。

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