第21話:機械仕掛けの宇宙☑

エメラルドヘイヴンの中枢、都市の中心に聳え立つ「翠玉の塔」の最上層に位置するアステールの私室。窓外には夕闇が深まりゆく空が広がり、徐々にその姿を現し始めた星々が、室内の静謐な空気に呼応するかのように瞬いていた。薄明かりの中、部屋の中央には一際存在感を放つ物体があった。それは、アステールが最近入手した機械式天球儀であり、その精巧な作りと荘厳な佇まいは、周囲の調度品を圧倒するほどであった。


アステールは慎重な手つきで、天球儀を覆う絹のようになめらかな布を取り除いた。その動作には、貴重な宝物を扱う者特有の緊張感が滲んでいた。カバーが取り除かれると同時に、天球儀の精緻な構造が露わとなり、室内に漂う微かな光を反射して輝きを放った。


「セレフィナ、これを見てくれ」


アステールの声には、普段の冷静さを失った興奮の色が混じっていた。その様子は、長年の盟友であるセレフィナにとっても珍しいものであった。


セレフィナは、アステールの呼びかけに応じて天球儀に近づいた。彼女の鋭い目は、瞬時にその複雑な機構を捉え、あらゆる細部を観察し始めた。


「これは...サイクロンロックを動力源としているのですね」


セレフィナの観察眼は鋭く、即座に核心を突いた。


サイクロンロックとは、中程度のミリスリア濃度で安定した周期的振動を発生させる高耐久性の鉱石である。通常は工業用機器や一般的な機械の駆動力として利用されるが、この天球儀に使用されているものは特別な調整が施されているようだった。


アステールは満足げに頷いた。


「そうだ。このサイクロンロックは、特別に調整されたものだ。通常のものより遥かに安定した周期的振動を生み出す」


彼は天球儀の側面にある小さなレバーに手をかけた。レバーを操作すると、サイクロンロックが発する微かな振動音が室内に響き渡った。その音は、まるで宇宙の鼓動のようであり、聞く者の心に神秘的な感覚をもたらした。


天球儀の表面に描かれた星座や天体が、ゆっくりと動き始める。その動きは、実際の夜空の動きと完全に同期していた。星々の軌跡は、まるで天球儀の表面に光の筆で描かれているかのようであり、その精密さは見る者を魅了した。


「驚くべき精度です」


セレフィナは、天球儀の動きを食い入るように観察しながら呟いた。


「この精密さは、単なる装飾品の域を超えていますね」


アステールは微笑んだ。


「ああ、そうだ。これは単なるインテリアではない。エメラルドヘイヴンの天文学発展にも寄与するだろう」


彼は天球儀の下部にある制御パネルに手を伸ばした。そこには、様々な設定を調整できるダイヤルが並んでいた。それぞれのダイヤルには、星座の名前や天体の動きを示す記号が刻まれており、その複雑さは天文学の深遠さを物語っていた。


「これを操作することで、過去や未来の星空を再現することも可能だ」


アステールは説明を続けた。


「天文現象の予測や、過去の事象の検証にも使える。例えば、古代の航海者たちが見上げた星空を再現し、彼らの航路を検証することもできるんだ」


セレフィナは、天球儀の機能に感銘を受けつつも、実用性を重視する彼女らしい質問を投げかけた。


「確かに素晴らしいものです。しかし、これほどの精密機器を維持するのは、相当なコストがかかるのではないでしょうか?ミリスリアの消費量も気になります」


アステールは一瞬、思考に沈んだ。


「確かにその通りだ。だが、この技術がもたらす知識の価値は、維持費を遥かに上回る」


彼は天球儀の星座を指さしながら続けた。


「この正確な星の動きを理解することで、我々は宇宙の法則をより深く知ることができる。そして、その知識は必ずや我々の生活を豊かにするはずだ。例えば、星の動きから気候変動を予測し、農業の生産性を向上させることができるかもしれない」


セレフィナは黙って頷いた。時々、アステールはロマンの奴隷になる。彼女は、アステールの理想主義的な発言に対して常に現実的な視点を提供する役割を担っていたが、今回は彼の熱意に押され、反論を差し控えた。


天球儀は静かに回り続け、室内に柔らかな光を放っていた。その姿は、アステールが思い描く理想郷の縮図のようでもあった。精密で美しく、そして深遠な知識を内包する存在。それは、エメラルドヘイヴンそのものを象徴しているようにも見えた。


二人は、しばらくの間無言で天球儀を見つめ続けた。その静寂の中で、アステールの理想と、セレフィナの現実主義が静かに交錯していた。それは、エメラルドヘイヴンの未来を象徴するかのようだった。


外の空では、実際の星々が輝きを増していた。天球儀の星と、本物の星が呼応するように煌めく様子は、まるで天地の調和を表しているかのようだった。アステールとセレフィナは、その美しい光景を前に、それぞれの思いを胸に秘めながら、静かな時間を共有し続けた。


この瞬間、二人の心の中には、エメラルドヘイヴンの未来への希望と不安が交錯していた。天球儀が示す宇宙の秩序と、現実世界の混沌。その狭間で、彼らは自らの役割を見つめ直していた。やがて夜が更けていく中、アステールとセレフィナは、この静謐な時間が彼らにもたらした新たな洞察を胸に、明日への準備を始めるのだった。

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