第14話:綱渡りの策略☑

黄金の平原サテライトの夜空に、無数の星々が瞬いていた。その光景は、まるで天上の神々が、この地上の策略と駆け引きを冷ややかに見下ろしているかのようだった。リリアは、オルフィウスとの密談を終えたばかりの足取りで、静寂に包まれた宿舎へと帰還した。彼女の足音は、廊下の石畳を軽く叩き、その響きは彼女の心の中で渦巻く思考の重さとは対照的だった。


宿舎の一室、リリアの私室は、質素ながらも整然としていた。壁には黄金の平原サテライトの詳細な地図が掛けられ、机上には整理された書類の山が積まれていた。窓際には、彼女が孤児院時代から大切にしてきた小さな観葉植物が置かれ、その緑の葉は月明かりに照らされてかすかに輝いていた。


リリアは深く息を吐き、椅子に腰を下ろした。彼女の頭脳は、オルドサーヴィスのヘッド、ダリオンへの報告をめぐる思考で満ちていた。オルフィウスとの約束を守りつつ、オルドサーヴィスの監視の目を欺く—―その綱渡りのような均衡を保つため、彼女の頭脳は休む間もなく策略を紡ぎ出していた。


「オルフィウスとの約束、ダリオンへの忠誠...」リリアは小さく呟いた。その言葉には、二つの世界の間で引き裂かれる彼女の心情が滲んでいた。


彼女は机の引き出しから、小さな手帳を取り出した。その手帳は、リリアが孤児院時代から使っているもので、表紙には「希望の記録」と控えめに刻まれていた。ページをめくると、そこには彼女の人生の節目が克明に記されていた。孤児院での日々、オルドサーヴィス入隊、そして現在の任務に至るまで、全てが詳細に綴られていた。


リリアは、最新のページに新たな一行を書き加えた。「二重スパイとしての第一歩」。その文字には、彼女の決意と不安が滲んでいた。


夜が更けていく中、リリアは明日のダリオンへの報告の準備に取り掛かった。ダリオンは老練な指導者である。統治機構の立場もある程度は把握しているだろうが、エメラルドヘイヴンとの関係がさらに悪化していると聞けば、必ずそれを利用して自身の優位を築こうとするだろう。しかし、総体としてのサテライト運営はそれでは上手くいかない。彼女は、オルフィウスから得た情報を巧みに歪め、オルドサーヴィスに危機感を植え付ける内容に加工していった。その作業は、まるで精巧な細工を施す職人のようだった。


「セレフィナの怒り...」リリアは考え込みながら呟いた。「それを誇張すれば、ダリオンの警戒心を高められるはず」


彼女は、エメラルドヘイヴンの参謀セレフィナの反応を、実際よりも激烈なものとして描写することにした。セレフィナは、エメラルドヘイヴンの実質的な指導者として知られる冷徹な戦略家だ。その彼女の名を借りることで、リリアの報告により重みを持たせることができる。


夜が明けると、リリアは慎重にダリオンの執務室へと向かった。オルドサーヴィス本部の廊下は、朝の静寂に包まれていた。壁に掛けられた肖像画の目が、まるでリリアの内なる葛藤を見透かしているかのようだった。


ダリオンの執務室の前で、リリアは深呼吸をし、心を落ち着かせた。そして、重厚な扉をノックした。


「入れ」


ダリオンの低く響く声が聞こえ、リリアは静かに扉を開けた。執務室内は、朝日が差し込む大きな窓と、無数の書類や地図で埋め尽くされた壁に囲まれていた。ダリオンは、巨大な机の向こうで、鋭い眼差しでリリアを見つめていた。


リリアは一歩前に進み、厳かに敬礼をした。「報告いたします」


彼女の声は、緊張を感じさせない冷静さを保っていた。しかし、その内面では激しい葛藤が渦巻いていた。これから語る言葉の一つ一つが、サテライトの未来を左右する可能性がある。そして同時に、彼女自身の運命をも決定づけるかもしれない。


リリアは、慎重に言葉を選びながら報告を始めた。オルフィウスとセレフィナの会食、納税遅延問題、そしてセレフィナの激怒—全てが、彼女の綿密な計算のもとに組み立てられた物語だった。


ダリオンの表情が、報告を聞くにつれて変化していく。最初は冷静だった彼の目に、次第に危機感が宿り始めた。


「セレフィナが...オルドサーヴィスの一掃を示唆したと?」ダリオンの声には、驚きと怒りが混ざっていた。


リリアは僅かに頷いた。「はい。セレフィナの怒りは相当なもので、実行に移る可能性が高いように思われます」


彼女の言葉に、ダリオンの拳がデスクを強く打った。その音は、執務室内に鋭く響き渡った。


「くそっ!」ダリオンの怒号が室内に響いた。「セレフィナめ、やはり我々を邪魔者と見做しているのか」


リリアは、ダリオンの怒りを静かに見守りながら、内心で安堵のため息をついた。彼女の策略は、予想通りの効果を上げていた。


ダリオンは、深いため息をついて椅子に寄りかかった。「よくぞ、この情報をもたらしてくれた。リリア、お前の働きに感謝する」


リリアは再び敬礼をした。「私はただ、オルドサーヴィスとサテライトのために尽くしているだけです」


その言葉には、二重の意味が込められていた。オルドサーヴィスへの忠誠を装いながら、同時にサテライト全体の利益を考えているという彼女の真意が、巧みに隠されていた。


「引き続き、情報収集に努めよ」ダリオンの声には、信頼と期待が滲んでいた。


リリアは頷き、静かに執務室を後にした。廊下に出ると、彼女は深く息を吐いた。胸の内で渦巻いていた緊張が、少しずつ解けていくのを感じた。


しかし、安堵は束の間だった。リリアは、自分がより深い闇へと足を踏み入れたことを痛感していた。二重スパイとしての道は、まさに剣の刃の上を歩むようなものだ。一歩間違えれば、全てが崩壊する。


その日の夜、リリアは再び自室で思索に沈んだ。窓から差し込む月明かりが、彼女の姿を柔らかく照らしていた。


「この道を行くしかない」リリアは静かに呟いた。「サテライトの未来のために」


彼女の決意は、揺るぎないものとなっていた。二つの世界の間で揺れ動きながらも、リリアは自分の信じる道を進み続けることを選んだのだ。


翌朝、リリアは新たな覚悟と共に目覚めた。彼女の瞳には、これまで以上に強い決意の光が宿っていた。黄金の平原サテライトの朝日が、彼女の姿を優しく包み込む。その光の中に、リリアの未来への希望と、試練に立ち向かう勇気が映し出されていた。


彼女は、再びサテライトの街へと足を踏み出した。二重のマスクの下で、リリアの新たな一日が始まろうとしていた。

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