苔の王:エメラルドヘイヴンの空虚な繫栄について
@uyuris
プロローグ
第1話:楽園の継承者☑
夜明けの柔らかな光が、静謐な楽園の輪郭を徐々に浮かび上がらせていく。澄み切った空気に、かすかな風が花々の甘美な香りを運び、静寂な空間に穏やかな水音が響き渡る。この神秘的な空間の中心には、広大な水域が広がっていた。
岸辺に、一匹の巨大な生き物の姿があった。それは玄武、太古の昔から存在する四神の一柱である亀の姿をした神獣であった。その巨体は、まるで動く小山のようであり、甲羅には幾重にも重なる年輪のように深い溝が刻まれていた。玄武の存在は、この楽園の調和と永遠性を体現しているかのようだった。
玄武は音もなく水中へと沈んでいく。その様は、大地そのものが水中に溶け込んでいくかのような荘厳さを湛えていた。風化し、苔むした甲羅は長い年月を物語っていたが、その姿には依然として威厳が満ちていた。玄武が首を伸ばすと、水面に小さな波紋が広がる。その動きは緩慢でありながら、計算されたかのように無駄がなかった。
水しぶきが宝石のように空中に舞い、朝日に照らされて虹色に輝いた。玄武の周りでは、小魚たちが好奇心に駆られたように群れ、時折その甲羅に触れては素早く逃げていく。彼らの動きは、まるで玄武との古くからの友情を楽しむかのようであった。
この楽園の別の一角に、一人の少年がいた。彼の姿は、周囲の自然と完全に調和しているようでいて、どこか異質な雰囲気を醸し出していた。小鳥たちは彼の肩に止まり、リスたちは足元で戯れている。しかし、その目は鋭く、瞳の奥には計算高さと知恵が宿っていた。
この少年は、後にアステールと呼ばれることになる人物である。アステールは、楽園に棲まう多種多様な生物たちの間で、巧みな外交と策略を駆使し、自らの地位を築き上げていた。彼は、各種族の特性を熟知し、それぞれの長所短所を把握していた。
アステールの戦略は実に巧妙であった。強大な種族同士を競わせることで互いに牽制させ、一方で弱小種族を糾合して新たな勢力を形成する。時には対立を煽り、時には協調を促す。こうして楽園全体のパワーバランスを操作し、結果として自身の相対的な影響力を増大させていった。この絶妙なバランス感覚によって、アステールは楽園における権力構造の頂点に近づいていったのである。
玄武は、この変化を静かに見守っていた。アステールの行動には確かに打算的な面があるものの、それは楽園全体の調和を乱すものではなかった。むしろ、彼の存在が楽園の新たな秩序を生み出しているようにも見えた。
水浴びを終えた玄武は、重々しく水から上がり、アステールの方へとゆっくりと歩を進めた。玄武の巨体からは威厳と力強さが滲み、眼差しには慈愛と叡智が宿っていた。アステールは玄武の接近に気づき、静かに跪いた。
悠久の時を生きてきた玄武にも、自身の終焉が近づいていることは感じ取れていた。しかし、アステールの姿を見つめるその表情には、安堵の色が浮かんでいた。楽園の未来を託すに足る後継者の出現を、玄武は密かに喜んでいたのである。
「少年よ」玄武の声は、深く、しかし優しさに満ちていた。「汝に一つの力を授けよう」
アステールは静かに頷いた。彼の心には、期待と緊張が交錯していた。玄武は巨大な頭部をアステールに近づけ、その額に軽く触れた。
突如として、アステールの体内にミリスリアと呼ばれる波動が流れ込んだ。与えられた力は、この世界に4つしか存在しない生命エネルギーの源泉とされる一つである。それはアステールの全身を駆け巡り、彼の肌を一瞬、淡い光に包ませた。その瞳の奥底には星々の輝きが宿ったかのようであった。
「この力を、汝のため、そしてこの世界のために使うがよい。」玄武はそう告げると、ゆっくりと体を地面に横たえた。瞬間、空気が微かに震え、玄武の体が光の粒子へと還ってゆく。その楽園の情景は、天地創造を彷彿とさせる荘厳さを湛えつつも、永遠とも思える年月続いてきた調和を象徴しているかのようであった。
後に「苔の王」と揶揄されることになるアステールは、玄武から受け継いだ源泉の力をどのように使っていくのか。彼の物語はここから始まったのである。
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